10-3 まさかとは思うけど
ティッシュに包んだ白い結晶を受け取り、沙月は「えーっと……ここでいいのかな」と呟きながら部屋の四隅へ移動していった。
床には散乱した漫画やプリンのカップが転がっており、その上を慎重にまたぎながら、彼女はひとつひとつ塩の包みを置いていく。
「……なんかこれ、儀式っぽいね」
兎子が渋い顔で後ろをついて歩きながら、気味悪そうに口を尖らせる。
沙月は半笑いで肩をすくめ、「うちの部屋、もう完全に祭壇だよ」とぼやいた。
だが最後の四隅に置かれた瞬間――真子が両手を組み、低く宣言する。
「これでよし。妖精はこの結界を嫌って、近づけまい」
その声は不思議な重みを帯びていて、散らかった部屋の中に確かな「守り」の空気をもたらした。
塩を四隅に置き終え、ひとまず安堵の空気が流れたその時――。
真子はしゃがみ込み、ティッシュに包まれた塩の小さな粒をじっと見つめる。
「……しかし、量が少ないな」
低く冷静な声に、沙月と兎子の肩がビクリと揺れた。
「長期戦になるなら、今後もためておく必要がある」
「ええええーーっ!? またやるの!?」
沙月が両手を振り上げて絶叫。
「ぜ、絶対イヤだからね! あんな辱め、二度とごめんだから!」
兎子は顔を真っ赤にして、布団に潜り込む勢いで叫ぶ。
しかし真子は腕を組んだまま、揺るぎなく言い放った。
「安全のためだ。お前たちの協力は不可欠だぞ」
その瞳には一片の迷いもなく、まるでこれは聖戦だと言わんばかりの確信に満ちていた。
部屋にようやく静けさが戻った――と思ったそのとき。
「……ぐぅぅぅぅぅぅぅ」
沈黙を破ったのは、何とも情けない音だった。
「ね、ねえ……お腹空いてきたんだけど」
沙月が顔を赤くしながらお腹を押さえる。
「……私も。なんか食べたいな」
ベッドの端に腰を下ろしていた兎子も、小声で同意する。
突風妖精との死闘が終わった安堵のせいか、緊張の糸が切れた瞬間に空腹が一気に押し寄せてきたのだ。
二人の表情には焦りがにじむ。
「このまま部屋から出られないなら……ご飯、どうするの……?」
沙月の声には、妙な現実味と絶望感が混ざっていた。
部屋を揺らす突風は止まっているのに、今度は胃袋が暴れ始めた――。
真子は腕を組んだまま、二人の慌てぶりを冷ややかに眺めていた。
「落ち着け。状況を整理するぞ」
その声は戦闘中と変わらぬ冷静さを帯びている。
「結界が張られている以上、すぐに部屋から出るのは不可能だ」
沙月と兎子は同時に顔を曇らせる。
「うう……じゃあ、このまま餓死……?」
しかし真子は続けた。
「だが――食事なら、なんとかなる」
その一言に、二人の目がぱっと輝く。
「え!? ご飯あるの!?」
沙月は机をバンッと叩いて前のめり。
「ほんと!? 真子っちゃん、持ってきてたの!?」
兎子も身を乗り出して期待に満ちた目で見つめる。
次の瞬間、希望と絶望の落差が待ち受けているとも知らずに――。
真子は一瞬の間を置いて、静かに告げた。
「……持ってきてはいない」
「えええええっ!?」
沙月の絶叫が部屋に反響する。椅子から転げ落ちそうになりながら、必死に食い下がる。
「じ、じゃあ!? どこにあるの!? 私たちのご飯はどこにあるの!?」
その必死の問いに、真子は迷いなく人差し指を伸ばした。
「……あそこだ」
沙月と兎子が視線を追う。指差された先は――部屋の片隅に置かれた、満杯のゴミ箱。
「……いやいやいやいや!」
沙月が全力で首を振る。
「ちょっと待って!? あそこ、ゴミしかないからね!? ゴミ! 文字通りのゴミだからね!?」
兎子もおずおずと眉をひそめる。
「……真子っちゃん。まさかとは思うけど、そこから食料を探すつもりじゃ……」
真子の瞳には揺らぎがなかった。




