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アラスカ紀行

作者: 田中裕久

日時:Sun,3 Feb 2002 18:39:09

件名:アラスカ紀行


 やあどうも。田中裕久です。お元気ですか?僕の方は元気ですが、今僕はどこにいると思います?今僕は何とアラスカに来ています。彼女にふられ、修論をやっと出した僕はもう廃人同然で、何を見ても何を聴いても感動しない、心の寂しい人間になり果てていました。オーロラを見れば何かが変わる、僕の心はそう言っていました。僕は気が付くとアラスカ行きのユナイテッド航空に飛び乗っていました。今こちらは二月二日の夜の二時で、さっき犬ぞりの犬たちにえさをあげたところです。日本とアラスカでは距離が遠いからこのメールも少し遅れて着くかもしれませんね。



日時:Mon,4 Feb 2002 12:30:42

件名:アラスカ紀行2


 やあどうも。お元気ですか?今こちらは二月三日の夜の十時です。今日は節分ですね。元気に豆はまきましたか?こちらは吹雪で、今日は一日エスキモーの村に滞在しました。もうアザラシの肉も食べ飽きました。セブンのおでんが食べたいです。ところで、今日この村でハスキー犬の赤ちゃんが二匹生まれました。村の酋長が僕に名前を付けてくれと言ってきたので、ごんとななにしました。ごんは口の周りが黒いからで、ななは松嶋奈々子のようにおしとやかに育ってほしいからです。早くオーロラを見て日本に帰って、てんやの天丼が食べたいです。


酋長と雑談した後は、村にただ一つある集会場(氷でできているのですが)でみんなでハンカチ落としをして遊びました。それから、フルーツバスケットも。もちろんエスキモーの人たちはフルーツを見たことがないので、おにの人が「アザラシ食べたことある人」とか、「ペンギンの赤ちゃん抱いたことある人」とか、日本人なら誰も立たないような設問でみんなが立ち上がって、ワイワイワイワイ大騒ぎです。うらやましいですか?



日時:Tue,6 2002 Feb 12:40:42

件名:アラスカ紀行3


 やあどうも。お元気ですか?こちらは今日も吹雪で、結局朝から晩までハンカチ落としをして過ごしました。こちらの人々はみんな暇で我慢強い性格なので、同じ事を半永久的に繰り返します。ところで今日はこの村に新たな旅人がやって来ました。ベッカムといって、サッカーのイングランドの代表選手です。彼はサッカー界ではわりと人気者なのですが、前のワールドカップでアルゼンチンの選手の挑発に乗って退場になっちゃってそのせいでチームが負けちゃってとても傷ついていて、今年のワールドカップの前にぜひオーロラを観ておこうと来たようです。


というわけで彼も仲間に入れてあげたのですが、彼は駆け足自体は早いのですが、まだいまいちハンカチ落としのルールやテクニックが飲み込めていないようで一番下手くそです。彼もサッカーを離れればただの坊主です。ハンカチ落としの要領は、と僕は言いました。サッカーのドリブルのようにみんなの周りを走り抜くことだ。君はサッカーって知ってるかい?彼は一瞬目を輝かせ、俺はサッカーのイングランド代表でサッカー界ではプリンスなんだぜ、とでも言いたそうでした。でも少しもじもじして、結局、わかった、としか言いませんでした。案外シャイな人です。



日時:Thu,7 Feb 2002 11:48:52

件名:アラスカ紀行4


 やあどうも。お元気ですか?こちらは相変わらず吹雪で、ハンカチ落としの日々です。最近はもう、はるばるアラスカまでオーロラを観に来たんだかハンカチ落としをしに来たんだかよく分からなくなってきました。 

それにしてもベッカムのハンカチ落としの上達ぶりには目を見張るものがあります。今日などは僕の背後にそーっと近づいて来て、あやうく負けるところでした。二度ほどわざと足をひっかけて転ばしてやりましたが。そうすると自分の足の痛さをがまんして僕の足の心配をします。どこまでも偽善者ぶった男です。


もうこの村に滞在して何日目になるでしょうか?始めは歓迎ムードだった村人たちも最近は、この人はハンカチ落としだけは上手いけれど、その実何をしに来たのだろう?と白い目で見られているように感じるのは気のせいでしょうか?僕的には、それもこれもベッカムのせいだと思います。奴は袋いっぱいに飴やらチョコやらを持ってきていて、それを村の子供たちに少しずつあげて手なずけています。どこまでも姑息な男です。こんなことなら僕もお菓子をいっぱい持って来ればよかったです。うまい棒のサラダ味とか明太子味とか。



日時:Sat,9 Feb 2002 13:12:41

件名:アラスカ紀行5


 やあどうも。お元気ですか?こちらはまだ吹雪で、もう特に書くこともありません。僕の心もすさんだままです。それから、僕としても、もうあまりベッカムの悪口は言いたくないのだけれど、奴は本当に嫌な男です。奴は何と、トドの皮でサッカーボールを作ろうとしています。この村の人たちにもサッカーの面白さを教えてあげようと思って、と目を輝かせて言っていますが、僕にはどう考えても、ハンカチ落としで僕にかなわないから自分の得意分野で人気者になろうとしているとしか思えません。ボールが出来しだい、暖炉に投げ込んでやろうと思います。


ところで、もうすぐバレンタインですね。こちらには残念ながらバレンタインの習慣はありませんが、それに似たものとして、メトネトポポフスキー祭というものがあります。これは村人たちが集会場に集まってハンカチ落としやフルーツバスケットをした後、村の娘たちがこの村に滞在する旅人にトドのひげをプレゼントする、というものです。それも一番好きな旅人に。だからこの村には義理トドなどは存在しません。明日がこのお祭にあたります。ついに偽善者エロベッカムと雌雄を決する時が来ました。



日時:Mon,11 Feb 2002 12:40:56

件名:アラスカ紀行6


 やあどうも。お元気ですか?とはもう聞きません。僕が元気じゃないからです。メトネトポポフスキー祭の結果は散々でした。この村の女性74人のうち、72人までが偽善者エロベッカムにひげを渡しました。しかも僕の二本のひげは、隣に住む80才のばあさんと、17才の、こちらはちょっとかわいい娘なのですが、後で、これでは僕があまりにかわいそうだから、とベッカムが無理やり娘に届けさせていたことが発覚しました。そういえば彼女はその瞳にうっすらと涙を浮かべていました。

全身に72本のひげを付けたベッカムに、はりねずみみたいで素敵だね、と力なく皮肉を言うと、ヒロヒサだって翼をたたんだエンジェルみたいじゃないか、と奴はどこまでも爽やか且つ優しいのです。僕はこんな屈辱を味わう為にはるばるアラスカまで来た訳じゃないのに。僕はただオーロラが観たかっただけなのに。僕の怒りは、この話に安易にベッカムなど登場させた作者へも向けられます。僕は確かに、考え方が偏っているし、虚言癖もあるし、方向音痴だけれど、世の中の大抵の男たちは、ベッカムと比べられれば同じような結果になるのではないでしょうか?もはやこの話自体が早く終わってほしいです。



日時:Tue,12 Feb 12:45:13

件名:アラスカ紀行7


 やあどうも。僕の心は果てしなくすさんでいます。今日は村の集会場にも行かず、シクシク泣きながら、一日ちびくろさんぼを読んでいました。さんぼはいいです、ちっちゃいから。じゃんぼもいいです、おっきいから。とにかく、大抵の人はいいです、ベッカムよりは。ベッカムはさっきから隣のベットで聖歌を歌いながら、サッカーボールを作っています。黒いマジックで五角形を書いているから完成間近なのでしょう。僕は寝たふりをしながらこっそりこのメールを打っています。ベッカムが眠りしだいボールを暖炉で焼き払おうと思います。それはちょっとしたどんと焼きになるはずです。



日時:Wed,13 Feb 2002 12:16:02

件名:アラスカ紀行8


 やあどうも。ついにやってやりました。昨夜ベッカムが寝入った後、僕は出来上がったばかりのサッカーボールを暖炉の中にたたき込んでやりました。予想通り、暖炉の中でボールが焼かれていく光景は、ちょっとしたどんと焼きのおもむきがありました。本当にいい気味です。世の中はアラスカでサッカーが出来るほど甘くはないのです。さっきからベッカムはシクシク泣きながら何やら呟いています。せいぜい僕のことを恨むがいいさ、と思います。僕だって、前の彼女と四年間はぐくんだ愛を、知らない誰かにどんと焼きにされたのです。人生はずいぶん複雑なように見えるけれども、結局の所、とどのつまりはどんと焼くか焼かれるかです。僕はぼんやり油断したばかりに、前の彼女との愛をどんと焼きにされたのです。人間は、もし無傷で生き延びたいならば、人など信用せずにどんと焼きを続けるべきなのです。焼いて焼いて、焼き続けるべきなのです。 


その時のことです。今までシクシク泣いていたベッカムが、その泣き腫らした顔で無理に笑顔を作りながら、僕に手を伸ばしてくるではありませんか。僕の鼓動は、少しずつ、しかし確実に高鳴っていきました。



日時:Thu,14 Feb 2002 12:54:16

件名:アラスカ紀行9


 泣き腫らした顔で無理に笑顔を作りながら、ベッカムは僕の手を取って静かに言いました。どうも僕の人生は二番目の夢だけがかなうものらしい。中島みゆきも歌っているようにね。だってほら、僕の夢を託したボールはこの有り様さ、と。そこで僕は突き放すように言いました。だって君はワールドカップでアルゼンチンの選手に復讐するのが一番の夢で、そのためにオーロラを観に来たんじゃなかったのかい?と。


ベッカムは首を振って答えました。始めにここに来た理由は確かにそうだった。それから、君より人気者になろうと思って子供たちにお菓子を配っていたことも事実さ。でもね、ここで君と出会って、一緒にハンカチ落としをしてぐるぐるぐるぐる、溶けてバターになるまでみんなの周りを走り回って、僕の中で何かが確実に変わったんだ。人生、どんと焼きだけじゃない、もっと大切なものがあるってね。 それは何だい?と僕が聞く前に彼は言いました。


ウイニングイレブンのロングパスの練習で1200ポイントを超えるとエディット選手にドゥンガが出てくる。知っているか?と。


この人はよく分からないけれど、もしかしたら・・・変わっているだけでものすごくいい人なのかもしれません。



日時:Fri,15 Feb 2002 11:59:57

件名:アラスカ紀行10


 やあどうも。お元気ですか?今日アラスカは、僕がこちらに来て初めて吹雪がやみました。あたり一面の銀世界を照らす、約一ヶ月ぶりの太陽は本当に温かく、そういえば温井さんは今頃どうしているのかな?なんて考えたり考えなかったりで、本当に静かな午後でした。ごんとななもだいぶん大きくなりました。今日二匹を初めて外に出すと、始めは戸惑って僕の周りをウロウロしていましたが、今は雪の中でじゃれあっています。僕は今、べっちゃんがシェスタのうちにいたずらの落とし穴を掘ってきたところです。

 昨夜、僕とべっちゃんは、夜を徹して語り合いました。べっちゃんはアルゼンチン戦で退場になっちゃったことで受けた心の傷や、三才になる息子がどう見ても自分に似ていないことを、僕は四年間付き合っていた彼女にふられて、そんな中で修士論文を書かなければならなかった孤独感を、涙ながらに語り合いました。僕らはお互いの話を、「分かる分かる」と、まるで「笑っていいとも!」のお客さんの如き熱心さで聴き、相手の話が終わりそうになると「えーーー?」と、これもいいとものように抗議し合いました。



日時:Sat,16 Feb 2002 12:15:36

件名:アラスカ紀行11


 やあどうも。お元気ですか?アラスカは今日も一日晴れました。そうそう、昨日僕の掘った落とし穴にべっちゃんが落ちたのは傑作でした。べっちゃんはおでこを二針縫うけがをしたけれど、ヒロヒサのジョークは最高だ。でも、もう落とし穴だけはやめてね、と言ってくれました。明日は張り切って、もっともっと大きな穴を掘ろうと思います。こんなべっちゃんとのふれあいを通して、僕のかじかんだ心が、少しずつときほぐれていくのを感じます。もう一度人を信じてみようかな、なんて考えたりしてます。



日時:Sun,17 Feb 2002 12:42:16

件名:アラスカ紀行12


 やあどうも。お元気ですか?こちらは今日、とうとうオーロラが出ました。それは何の予兆もなく、突然現れました。僕はその時、べっちゃんのために夜を徹して落とし穴を掘っているところでした。穴を掘るのに疲れて一度大きく伸びをすると、そこに既にオーロラは現れていたのです。それは圧倒的に大きく、まるで月を中心に僕を空へいざなうように、ゆっくりと揺らめいていました。僕がべっちゃんを呼ぼうとすると、べっちゃんも既に気付いて、ETの耳ほっかを付けて外に出てきているところでした。  

べっちゃんはもう泣いていました。べっちゃんの泣き顔をみると、僕の方も自然に涙がこぼれました。僕らはしばらくの間、泣きながら空いっぱいに広がるオーロラを観ていました。空はこんなに広かったのか、混乱する頭の中で、僕はそんなことを考えていました。それから、彼女にいきなりふられた9月29日から今日までの、辛かった日々が次から次へと頭に浮かんできました。べっちゃんはこらえきれずに激しく嗚咽しています。辛かった日々が僕より長かったぶんだけ、感慨も深いのでしょう。



日時:Mon,18 Feb 2002 22:32:16

件名:アラスカ紀行最終回


 僕がそっとべっちゃんの肩を抱くと、べっちゃんの泣き腫らした目は、「ここは連句、巻くとこだよね」と言っていました。粛然として、僕はおもむろに発句を詠みました。「木枯らし過ぎて音なき月の温かさ」。するとべっちゃんはややしばらくして後、「二月廿日の有明の影」という脇句を付けました。僕らは天心に輝く月と、それに薄絹をかけたような艶やかなオーロラのもと、こうして三十六歌仙を巻きました。

 

人生でどんと焼きよりも大切なものは何か、シャイなべっちゃんはここから先を恥ずかしがって言ってくれません。だから僕が替りに言ってしまいます。人生において、どんと焼きよりも大切なものは何か。それは、エディット選手にドゥンガが出てくることではなく、ましてや、小泉進次郎のセクシーな英語などではなく、おそらく、いわゆる愛ってやつです。いつでもどこでもハグハグしたい、そんな気持ちです。明日の朝、僕は成田に向けて旅立とうと思います。言うと別れが辛くなるから、べっちゃんには置き手紙を残して帰ろうと思います。帰国パーティーは開かないでください。泣いちゃいそうなので。それでは。   


                            おしまい




2週間のご愛読、ありがとうございました。元々は2週間前にパソコンの階層の奥の方からこれを発見したことに始まり、今読み返すと案外面白くない?みたいな感じでみなさまに送ってしまいました。刺さらなかった人にとっては2週間の迷惑LINEになってしまったかもしれません。すいません。


人生は早いもので、この「アラスカ紀行」を書いてから22年の歳月が過ぎました。

あっという間です。

残りの人生、結構本気で創作をしようと思っています。


あと、「アラスカ紀行」よりももっと濃いい「僕とホームレスの交換日記」というのがあるので、よかったら読んでください。

https://estar.jp/novels/4732797


それでは。

                       2024年9月2日  田中裕久


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