第二章:魔法馬の再生
競馬好きのサラリーマン・圭介(35歳)は、交通事故に遭い、魔法と競馬が支配する異世界「エクウス王国」に転生する。
その王国では、魔法馬を駆使した競馬が経済の中心となっていたが、かつて名門だった競馬場「グリーンフィールド」は、経営難と騎手不足で倒産寸前の状態に。圭介は女騎士で支配人のリーナに頼まれ、競馬場再建を引き受ける。
1. 《蒼風》の再起への挑戦
「……ひどいな」
圭介は《蒼風》の身体を指先でなぞった。
痩せ細った肋骨は浮き上がり、たてがみはぱさつき、毛並みは艶を失っていた。さらに、脚の関節部分にはうっすらと炎症が見え、わずかに熱を持っている。
「これは……腱炎か」
「知ってるの?」
リーナが驚いたように顔を上げた。
「人間のスポーツ選手でいえば、筋断裂みたいなもんだよ。痛みが抜けても、無理に走れば再発する可能性が高い」
「……やっぱり、もう走れないの?」
「いや、まだ可能性はある」
圭介は迷いなく言い切った。
「けど、やり方を間違えれば確実に潰れる。時間がかかるし、リスクもある……それでも、やるか?」
「……もちろんよ」
リーナの声には、迷いがなかった。
「だったら協力してくれ。リハビリには毎日の積み重ねが大事だ」
「もちろんよ、異世界の競馬オタクさん」
リーナの笑みを見て、圭介は小さく笑い返した。
翌日から、圭介は《蒼風》の再起に取り組み始めた。
「まずは関節の負担を減らすところからだな」
圭介は地面に厚く敷き藁を敷き、蒼風が動きやすい環境を整えた。さらに、筋肉の柔軟性を取り戻すための「魔法ストレッチ」を試みた。
「痛みが強くなるようなら、すぐに止めるぞ」
手のひらに回復魔法の青い光を灯し、圭介はゆっくりと蒼風の脚を伸ばし始めた。
「……大丈夫そうだな」
蒼風は目を細め、苦しげな表情も見せない。
「この調子で、少しずつやっていこう」
圭介は、筋肉をほぐすマッサージと魔法ストレッチを繰り返しながら、蒼風の状態を見守り続けた。
「やれるもんだな……」
数週間後、蒼風は立ち姿に力強さを取り戻していた。背筋はまっすぐに伸び、たてがみの艶も蘇ってきた。
「ずいぶん良くなったじゃない!」
リーナが嬉しそうに蒼風の首を撫でる。
「でも、ここからが正念場だ」
圭介は慎重な表情のままだった。
「筋肉がついてきても、レースではスピードと持久力の両方が求められる。次は調教だな」
「調教なら任せて。あたし、あいつの騎手でもあるんだから」
リーナは得意げに胸を張った。
「おう、頼んだぞ」
2. 調教開始――風をつかむ走り
「いくわよ、蒼風!」
リーナが声を張り上げると、蒼風は地面を蹴って駆け出した。
――バッ!
その瞬間、風が生まれたかのように砂埃が巻き上がった。
「……すげぇ」
圭介は思わず息をのんだ。蒼風の走りには、普通の馬にはない独特のリズムがあった。まるで風そのものが身体を押し上げているような軽やかさ。それが風属性の魔法馬の力なのだろう。
「でも……まだ足りないな」
蒼風の動きは鋭く、スピードも十分だったが、どこかぎこちなさが残っていた。
「リーナ、いったん戻ってこい!」
数周したところで、圭介は手を上げてリーナを呼び止めた。
「何よ? かなり調子いいじゃない」
「いや……蒼風のバランスがまだ崩れてる。脚の回転が早すぎるんだ。もっと、風を“受ける”感覚を意識してみろ」
「風を受ける?」
「そう。力任せにスピードを出すんじゃなく、風の流れを感じて走るんだ。まるで、風に乗るように」
「……なるほどね」
リーナは目を閉じ、深く息を吸い込んだ。
「やってみる」
再びスタートラインに立つと、リーナは蒼風の首筋を軽く叩いた。
「いくわよ」
次の瞬間――
――ヒュウウウウッ!
蒼風が走り出すと同時に、突風が巻き起こった。
「……いいぞ、そのままだ!」
蒼風は無駄のない動きで加速し、コーナーを流れるように駆け抜けていく。
「これが……蒼風の走りか」
リーナが背中越しに見せた笑顔は、誇らしげで、そしてどこか懐かしさを感じさせた。
3. 一筋の光
「圭介!」
練習が終わったあと、リーナが駆け寄ってきた。
「なあに?」
「これ……見てよ」
リーナが手にしていたのは、一通の招待状だった。
「《王国ダービー》の出場申請が通ったんだ!」
「マジか!」
圭介は思わず声を上げた。
《王国ダービー》は、王国中の競馬場が誇る名馬たちが集まる最大のレースだ。ここで勝てば、グリーンフィールドの名は再び広まる。
「……いよいよだな」
圭介はふと、蒼風が静かに厩舎の中でこちらを見つめているのに気づいた。
その青い瞳には、再び燃えるような輝きが戻っていた。
「よし、やってやろうぜ、蒼風」
圭介がつぶやくと、蒼風は静かに首を振った。まるで「任せろ」とでも言うように。
「……期待してるわよ、異世界の競馬オタクさん」
リーナの言葉に、圭介は軽く笑った。
「おう、楽しみにしとけ」
再び熱気が戻りつつあるグリーンフィールド競馬場。
その片隅で、蒼風の青いたてがみが、静かに風に揺れていた。