湖面の物語
彼女はしゃがみ込んで、目の前に広がる湖面を見つめていた。
彼女が湖面に指先で触れると小さな波紋が広がって行く。
彼女が指し示す先、湖面の中には一つの世界があった。
彼女はしゃがみ込んで目の前に広がる湖面を見つめていた。
彼女が湖面に指先でそっと触れると小さな波紋が広がって行く。
「また見ているのか?」
背後から覗き込み彼は声をかけた。
「そうよ。綺麗でしょ。」
彼女の指し示す先、湖面の中には一つの世界があった。
海という大きな水面。そこに浮かぶ大小様々な島。幾つもの街があり人がひしめく。
そして彼らが空と呼ぶこの湖面は緩やかな橙色に包まれていく。
「ああ。綺麗だ。」
「見て。もうすぐ夜が来るわ。」
湖面は橙色から緩やかに藍色へと変わって行き、一つまた一つと星が輝き出す。
やがて湖は一面星に覆われた。
その時、星の微かな瞬きが一つ消えた。
「ああ、あの子は役目を終えたわ。儚いわね。」
「ああ。誰かの願いを叶えたのだろう。」
「そうね。」
彼女はそう呟くと彼を見上げて微笑んだ。
そして彼も彼女に微笑みを返す。
「そろそろ帰らないか?夜は冷える。」
「ええ。」
差し出した手を取り立ち上がり、そのまま二人は手を繋いで歩き出す。
「今日は湖で何を見ていたの?」
草原を歩きながら彼は訊ねた。
彼女は笑って言う。
「今日はあの子がケーキを作っているのを見ていたの。クリスマスケーキですって。ボーイフレンドと一緒にケーキでクリスマスのお祝いをするんですって。」
「あの子って君のお気に入りの?」
「そうよ。あの子スポンジケーキを焦がしちゃって、もう一回作り直していたのよ。凄く頑張っていたわ。」
「よくわからないけどクリスマスってなんだい?スポンジケーキとは?」
彼女は肩をすくめてみせた。
「私もよくわからないのよ。誰かの誕生日を祝う日みたい。お祭りみたいなものかしら。生クリームを塗ってフルーツを乗せて食べるのよ。とても面白そうな世界だわ。」
「行ってみたい?」
悪戯っぽい笑みを浮かべて彼は訊ねた。
「うーん。見ているから楽しいのかも。」
空には星が一面に広がっていた。
「あっ。流れ星だわ。」
彼女が指し示した先を彼は見る。
流れ星が一つ二つ、そしてまた一つと次々に流れて行く。
「今夜は流星群だな。」
「願い事をしたらきっと願いが叶うわ。」
彼女は声を弾ませて無邪気に言う。
「願いなら叶っているよ。」
彼の瞳は彼女だけを映し出す。
「君と会えた。」
瞳の中で彼女は幸せそうに笑った。
「ねえ。この星空の向こうにも湖があるのかしら。」
「さあね。僕にとっては君がいること、それが世界の全てさ。」
「ふふふ。」
星が瞬く湖を背に二人は歩いて行く。
流星はまだまだ流れており、彼女達の世界の願いが叶えられて行く。
「今夜は賑やかね。」
「ああ。今夜は星誕祭だからね。」
「道理で星が騒いでいると思った。」
「今夜は星がたくさん生まれるからね。星も騒ぐさ。」
湖上のボートハウスで夫婦でビールを飲みながら語らう。
「湖面の星達が喜んでいるみたい。流星が凄いことになってるもの。」
「本当だね。湖面の中の世界では流星がとても綺麗だろうね。」
そして彼はビールを一気に煽った。
口髭についた泡を彼女は布巾で拭いてあげた。
「私、さっきから当てられちゃって。」
彼女はほうとため息をつく。そして一言。
「若いっていいわね〜。」
「湖面の中の恋人達の話かい?」
「そうよ。」
彼女は遠い日を懐かしむようにどこか遠くを見つめた。
「思い出していたの。貴方と出会った頃のこと。」
「出会った頃かあ。可愛かったな。」
そう言って彼はまたビールを煽る。
「今は可愛くないってこと?」
「そんなことは言ってないさ。」
そしてまたビールを煽る。口髭に泡がついた。
「ちょっとペースが早すぎるんじゃない?お腹が霜降りになっちゃうわよ。」
「霜降り美味しいそうじゃないか。」
そう言って彼はがははと笑った。
こうしてそれぞれの夜は更けていく。
クリスマスの夜のイメージから派生して書いたお話です。
読んでいただきありがとうございました。