うまい話
その日も、イリノは刃物研ぎの仕事に精を出していた。ここ最近は、料理屋の主が包丁などをまとめて研ぎに出すなど、割と注文が多くあった。そのため刀剣の販売は休みがちとなり、隣で鞘をこしらえているマリノラは手持無沙汰となった。それでも彼は文句を言わないどころか、いつもイリノが行っている池に向かい、そこでめぼしい剣を拾ってくるのだった。
そんな中、彼らの前に一人の老人が現れた。男はザザスと名乗り、この町で鍛冶屋を営んでいると告げた。一体何の用だと訝るイリノに、ザザスは笑みを浮かべながら口を開いた。
「儂の工房の隣が空いたのじゃ。どうじゃろうな、お前さん。そこで店を出さんかね」
聞けばその工房はギルドの近くにあり、イリノ自身も何度か通ったことのある場所だった。
「儂も年をとってな。今までは鉄を打って研いでとやっておったが、もう体が辛くてな。鉄打ちは弟子に任せることとして、研ぎの部分はお前さんに任せたいと思ったのじゃよ」
聞けば、隣の家はこの老人が買い取ったらしく、それなりの広さがあり、そこで寝泊まりも十分できる広さなのだと言う。家賃は月に銀貨一枚と、今、彼が寝泊まりしている宿屋よりも割高になるが、継続した仕事があり、雨露しのぐ屋根があり、あの女性のいるギルドに近いとなれば、悪い話ではなかった。
イリノは老人にちょっと考えさせてくれと言って引き取ってもらうと、腕を組んで考え込んだ。
「なあ、マリノラ。お前、俺と一緒に来ないか? あのジイさんの工房なら知っている。その隣の家……確かに空き家だった。まあまあの広さだ。俺たち二人の店を出すくらいはできる大きさだ」
その言葉に、マリノラは大きく首を振った。
「イヤだね。俺ぁまっぴらだ。大体そんなところに行ってみろ。あのジジイの手下になるもんじゃねぇか。俺ぁイヤだ。確かにうまい話だが、きっと裏があるぞ」
「イヤだったら断ればいい。またここに戻ってきて商売すればいいじゃないかよ」
「いや、お前はいいかもしれねぇが、俺がおまんまの食い上げになっちまう。あのジジイらが作る剣を研ぐのに精いっぱいになっちまったら、俺は食っていけねぇ」
「いや、そうとも限らないぞ。俺は鍛冶屋の息子だからわかる。鉄を溶かして打ってとなりゃ、そう毎日品物が上がってくるわけはないんだ。他の人の研ぎと刀剣の研ぎはその合間に十分できると俺は踏んでいるんだ。マリノラ、どうだろうか。刀剣の売り上げはお前にやる。だからどうだ、俺と一緒に行かないか」
「そ、そりゃ、お前……。そうなったら、お前の取り分が減っちまうぞ?」
「いや、あそこは場所がいいんだ。料理屋が軒を連ねている。きっと包丁や刃物の研ぎの仕事が増えると俺は踏んでいる。それに、だ。お前のその腕があれば、刀剣の仕事以外の仕事も舞い込んでくるぞ。モノは試しだ。やってみないか」
「うう~ん」
マリノラは腕を組んで空を見上げた。その様子を見てイリノは、この男は承知するだろうと心の中で確信していた……。




