幸せの絶頂になる
イリノの店は最初こそ客足は伸びなかったが、ひとたび客が訪れると、その腕の良さが評判を呼び、ひと月後には一日に十人前後の客が訪れるようになっていた。町の鍛冶屋に頼むよりも安く仕上がりも早く、さらには切れ味も向上するとあっては、人々が集まるのは自然なことであると言えた。
ただ、イリノ自身は気がついていた。この切れ味のよさは、自分の腕ではなく、野原で拾ったこの白い石であるということを。だが、今は仕事が上手くいっているので、彼は余計なことを考えないことにしていた。
予想よりも早く、その日の生活には困らなくなった。そうなるとさらに欲が出てきて、もっと稼ぎたいと思うようになった。今の彼は日々の仕事の傍ら、次なる手を考えるようになっていた。
ここ数日は特に忙しく、ギルドに行く暇はなかった。彼の出している露店の周囲には食べ物を売る店もある。最近は付き合いも兼ねて、その店で食事をしていたのだった。
そのギルドに顔を出すと、いつもいたあの女性はいなかった。椅子には誰もいないのだ。あの彼女はどうしたのだと、思わずその場に立ち尽くす。
「……何か、御用ですか」
聞き覚えのある声で我に返る。カウンターの奥からあの女性がこちらに向かってきていた。驚きと安堵感で、キョロキョロと意味もなく周囲を見廻してしまう。そんなイリノに女性は優しく微笑みかけた。
「ああ、あなたは……。ここ数日、お見えになりませんでしたね」
「あ、え、お、う……。あ、いや、みっ、店を、店を出しましたから……」
「そうですか、それはおめでとうございます。また何か困ったことがあれば、いつでもお越しください」
「はひゃい」
返事にならない返事をして、彼はその場を離れる。そしてそのまま宿屋に帰り、自室のベッドに潜り込んだ。
……俺のこと、気づいてくれていたんだ。
嬉しかった。彼女の記憶の中に自分がいたことが嬉しかった。俺のことに気がついていて、さらに、話しかけてきた。彼女も、俺のことは悪くは思ってはいないことは確かだ。
「……俺、あの女性と、結婚しよう」
仕事も上手くいきそうだし、その上、嫁さんも……。彼はまさしく今、幸せの絶頂にいた……。