鳴き声の正体
王女はピクリとも動かずに耳を澄ませている。イリノは一体何事が起こっているのかがわからず、ただ、息をひそめて彼女の様子を見守っている。
「聞こえぬか」
目だけをこちらに向けて王女が口を開く。イリノも耳を澄ませてみるが、怪しい物音は全く聞こえてこないために、ただ、首を振るしかなかった。その様子が気に入らないのか、彼女は一瞬だけ眉間に皺を寄せると、やおら立ち上がり、スタスタと玄関に向かって行った。
「あの、王女様、どちらへ?」
イリノの言葉に返答することなく、彼女はそのまま外に出ていく。慌てて彼女を追いかける。
家の外で彼女はゆっくりと首を左右に振っている。と、何かを思い出したかのように右側に向かって歩き始めた。そちらは森の、谷に降りる道に続いている。
「あのっ……」
後ろから声をかけようとしたが、彼女は背中を向けたまま手でイリノを制して、ズンズンと歩いて行く。
ふと、森に入ったところで彼女は突然足を止めた。ゆっくりと首を左右に動かす。イリノには何も聞こえないが、彼女には確かに何かが聞こえているようだった。
「何か、見えるか」
突然王女が口を開く。その手の指が森の中を指している。一体何事かとイリノは彼女の前に出て、指さす場所にじっと目を凝らす。
周辺には雪が解け残っている。ただ、雪と森の木々しか目には見えない。
「うん?」
よく見ると雪の中に二つの小さな薄い緑色の光が見えた。よく見てみると、そこには一匹の子猫のような動物が佇んでいた。その猫は、こちらを見ながら体を震わせていた。イリノはその猫にゆっくりと手を伸ばした。
「珍しいな。こんなところに猫がいるなんて」
そんなことを呟きながら彼は王女の許に戻る。
「猫です。猫がいました」
「猫、か」
抱きかかえるような状態で王女に猫を見せる。よほど寒いのか、それともイリノらに不安を感じているのか、猫はプルプルと体を震わせている。白、というより鼠色に近い毛を持った猫だ。
「かわいそうに。親とはぐれたのかな。震えちゃっていますね」
イリノは子猫を大切そうに抱えてやる。猫は相変わらず不安そうな面持ちでイリノをじっと見つめている。
「先ほどからこの猫がずっと鳴いていた。その鳴き声から助けを求めているように聞こえたのでな」
「王女様は動物の言葉がわかるのですか?」
「いや、そんなことはない。ただ、そんな風に聞こえただけだ。面白いことを言うやつだな貴様は。ハッハッハ」
そう言って王女はカラカラと笑った。
どうやらこの子猫は親とはぐれたらしい。ということは、このままでいればこの猫は死んでしまうことになる。それはさすがにイリノにとっても避けたいところだった。彼は一旦この子猫を家に連れて帰ることにした。
「ずいぶん警戒されている。どこに連れていかれるのか、不安がっているようだ」
家に帰る道すがら、王女が突然そんな言葉を口にした。
「どうしてそんなことがわかるのです」
「先ほどから小さな声で、ニーニーと鳴いているではないか」
そう言われてみれば、子猫はイリノの腕に抱かれながら、不安そうな面持ちで震えている。ときおり口をパクパク開けている。どうやら鳴いているらしいが、イリノにはどう耳を澄ませてみても、その鳴き声は聞こえなかった。
……俺の耳が悪くなったのかな。
そんなことを思いながら彼は家の扉を開けた。
さっそく、沸かしてある湯を別の容器に移して、そこに水を入れて温度を整える。そこに猫をゆっくりと浸けてやる。
「ニャッ! ニャッ! ニャッ!」
何かを懇願するような目で猫は鳴き声を上げた。その声を聞きながら、ああ、俺の耳は大丈夫だと思わずホッと胸を撫で下ろす。
お湯で体を洗ってやる。猫は湯の温かさに最初は驚いていたが、やがてすぐに大人しくなった。湯の高さが足が付く程度とわかってからは、大人しく湯を浴び続けていた。
猫は結構汚れていて、しばらくすると湯が真っ黒になった。それを入れ替えて、新しい湯で洗い直してやると、そこには見事な銀色の毛が現れた。
猫を湯から出して布で拭いてやる。何とも気持ちよさそうな顔をしていて、まるで人間みたいだと、少し可笑しくなった。
さらには、朝乳牛から採ったミルクを少し火にかけ、温めてから子猫に出してやる。最初こそそれが一体何なのかがわからないのか、イリノとミルクの入った容器を交互に眺めていたが、やがて、鼻をスンスンと鳴らして匂いを嗅ぐと、それがミルクであることを認識したのだろう。一心不乱にそれを飲み干した。
「お腹もすいていたんだな」
イリノはそう言いながら、さらにミルクを温めて、猫に飲ませてやる。ややあって、満腹したのか、猫はミルクから顔を話すと、前足で顔をこすり始めた。どうやら満腹したようだった。
暖を取り、満腹して安心したのか、猫は大きなあくびをすると、眠そうな表情を浮かべた。イリノが抱いてやると、すぐに猫は小さな寝息を立て始めた。その姿は実にかわいらしかった。
「もしかすると、その動物は猫ではないかもしれないな」
王女が唐突に口を開く。驚いたイリノは、彼女に視線を向けた。




