暗鬱とした気持ち
それは王女自身にも全く予想すらしていない言葉だった。自分でも不思議な表情を浮かべているのがわかる。そんな彼女に対してイリノは静かに口を開いた。
「あなたを匿いたいと思います」
「匿う?」
「はい。このままここにいては襲われます。襲われたら、俺は殺されるでしょうし、王女様も最後には殺されると思います」
「……」
「ですから、ここから逃げたいと思います。そのためには、その鎧は邪魔なのです」
「わっ、わかるように、説明せよ」
「この近くに、俺が育った村があります。そこに王女様をお連れしたいと思います。ただ、ここから村に向かうためには、急な山道を、間道を抜けなければなりません。王女様はお目が悪いですね。その状態では危険ですし、下手をするとあの、カーサとスウゴに追いつかれてしまう可能性もあります」
「それで、なぜ、私が鎧を脱がねばならぬのだ」
「背負っていくためです」
「うん?」
「あなたを背負って行きます」
「せおう?」
「あれ?」
何とも言えぬ空気が流れた。どうやら王女は背負うという行為を知らないらしい。本当かよ、という言葉を飲み込みながら、イリノは言葉を続ける。
「俺の背中に乗っていただきます」
「何だ、それは」
「あなたが歩く必要はなくなるということです」
「歩かないで、どうやってそなたの村まで行くのだ」
「だから……ああ~面倒くせぇな」
そう言ってイリノは立ち上がった。
「このままここにいたらあいつら二人に好き放題されて殺される。一人で行けば山の中で迷う。だから、俺の村まで連れて行って匿うと言っているんだ。別に俺はどっちでもいい。ここであの二人に襲われるか、一人で行って山で迷うか、鎧を脱ぐか、今すぐ選べ!」
そこまで言って、しまったと思った。これは、失礼に当たる行為だ。下手をすると斬られかねない。ヤバいなと思っていると、王女がゆっくりと立ち上がった。思わず後ずさりをする。だが、彼女は鋭い目つきをしたまま、口を開いた。
「鎧を脱がせよ」
「え?」
「鎧の脱ぎ方がわからぬ。そなた、鎧を脱がせよ」
そんなこと、俺も知らねぇよ、心の中で呟いた。
◆ ◆ ◆
王女の鎧は思ったよりも簡単に脱がせることができた。脱がせてみて驚いたが、それはかなり軽いものだった。これならば別に背負っても何とかなりそうだったなとは思ったが、それは口に出さないでおいた。
さすがに肩から腕にかけて装着しているプレートと、膝から下につけているプレートは外すことはできなかった。それは服に縫い付けられていたからだ。さすがにそれを脱がせてしまうと、彼女は下着一枚になってしまうので、それは断念したのだ。
彼女にとっては思い入れのある鎧だったのだろう。大岩の前に置いたそれを、名残惜しそうに撫でていた。とはいえ時間はない。ぐずぐずしていると、あの二人が戻ってきてしまう。
「それでは、行きましょうか」
「どうすればよい」
王女が立ち上がりながら口を開く。さっきのあどけない顔とは別人のように恐ろしい形相をしている。やはり怒っているのかと思いながら、リュックを前に抱えて、そのままでいてくださいと言って彼女を背負おうとする。
「ぶっ、無礼者っ!」
いきなり頭を殴られる。まあまあ痛い。その痛みをこらえながら、少しの間、おとなしくしておいてくださいと言って、再び王女を背負う。
……重い。予想以上に重かった。一体どうなっているのか、と心の中で悲鳴を上げる。後でわかったことだが、彼女のシャツは二枚重ねとなっており、その間に鉄の糸が張られていたのだ。言わば鎖帷子を装備していたために、かなりの重さとなっていたのだった。
だが、このくらいの重さは許容範囲であると言えた。軍曹の訓練ではこれよりも重い袋を担いで走っていたのだ。それに比べれば、全然歩いて行ける重さだった。
「なるほど、そういうことか」
王女が声を上げる。それはイリノの言っていたことが理解できたとも取れたし、すべてのことを諦めたようにも聞こえた。イリノは無言のまま道なき道を歩き出した。
一見するとそれは無謀な山歩きのようにも見えた。だが、彼には見えていた。獣たちの足跡が。一番の問題は、大型の獣に出会うことだったが、今は冬の季節だ。出会ったところでイノシシあたりが精々だろう。そんなことを考えながら歩を進める。
この森の中では絶対にあの二人に見つからない自信があった。あとは、村に帰ったときのことだけが心配だった。
……オヤジ、怒るだろうな。
二、三発殴られるのは諦めるしかない。だが、こちらは王女様を連れている。さすがにあのオヤジでも、王女様の前では大人しくなるだろう。問題は、村人の中から敵に王女の存在を通報する者がいないかどうかだ。すぐ近くのゼザサ婆さんなどはおしゃべりだ。噂話が大好きだ。あの婆さんに見つかると、いろいろとややこしいことが起こるかもしれない。
……村に帰っても、長くは居られないかもしれないな。
少し暗鬱とした気持ちになる。ただあの村の人々は王に対する忠誠は高い。折に触れて王様王様と崇めている。その娘がやって来るのだ。無下には扱わないだろうという希望だけが救いだった。
そんなことを考えていると、高い崖の下に出た。ここを登り切ったところに、あの村がある。イリノはふと、背中にいる王女に話しかけようとした。だが、彼女は彼の肩を枕に、静かに寝息を立てていた。




