暗闇の死闘
「誰か、魔法を扱える者! ライトを出せ!」
ルエネス大尉の声が聞こえる。しばらくすると、小さな光が闇の中に現れた。大尉の端正な顔がその中に浮かび上がった。
「どうしました?」
イリノが大尉の傍に行くと、そこには男の遺体が仰向けに転がっていた。それは、王国軍の服を着ていた。
「……どうして我が軍の兵士が倒れているのだ」
大尉は立ち上がると周囲を見廻した。そのとき、何かが飛んでくる音が聞こえた。
「伏せろ!」
誰かが叫ぶ。イリノはその言葉に反応することができなかった。突然、何か強い力に引っ張られるようにして地面に組み敷かれる。ルエネス大尉だった。華奢に見えたが、意外と力があるのだな、などと考えていると、周囲に矢が刺さった。
「敵襲だ! ライトを消せ! 散開ィ!」
大尉の声が聞こえたその瞬間、周囲は再び闇に包まれた。一瞬の間をおいて、再び矢が降ってきて周囲に刺さった。イリノは立ち上がり、脱兎のごとく走り出した。おそらく数秒後にはまた、矢の雨が降ってくることだろう。それまでに、その攻撃範囲から離れねばならない。
矢の音が聞こえる。その場に蹲り、両手で頭を抱える。音が止むと走り出す。どこをどう走っているのかはわからないが、音を聞く限りでは、矢の攻撃範囲からは離れているようだった。
腹ばいになって周囲を見廻す。呼吸を整えながら耳に全神経を集中させる。遠くの方でバタバタと何やら音がする。襲われているのか、戦っているのか、それとも逃げまどっているのかイリノには判断できなかったが、ともかくもこの場にはいない方がいいと本能的に感じて、その状態のままゆっくりと後退する。そして、音が聞こえなくなると、立ち上がってそのまま駆けだした。
どのくらい走っただろうか。遠目に森の木々が見えた。敵に襲われたらとりあえずあそこに逃げ込めばいいと、その場に座り込む。
……敵襲ってか。何もこんな夜中に襲うことはないだろうに。ツイてないな。
そうは思ってはみたものの、よくよく考えれば、このまま逃げてしまえばいいのではないか。逃げたとしても、誰も追って来る者などいないだろう。自由になれたのだ。そう考えると、嬉しさがこみあげてきた。
「いや、もしかしたら、仲間が近くにいるかもしれねぇ。とりあえず、明るくなるまで様子を見るか」
誰に言うともなく呟く。周囲の音に注意をしながら、再び腹ばいになる。誰もこっちに来てくれるな、明るくなって、周囲に誰もいなければ、すぐに走り出して逃げよう。そんなことを考えていたそのとき、こちらに向かってゆっくりと歩いてくる足音が聞こえた。思わず体が震える。
このまま走って逃げてしまおうかという考えと、動くと、手に持っている剣が少なからず音を立てたり、足音が鳴ったりして、敵に存在を知られることになる。ここでやり過ごすべきだという考えが頭の中をめぐる。足音はなおもこちらに近づいてくる。
すぐ傍で足音が止まる。鎧を着こんでいるのだろう。カシャカシャと鉄が触れ合う音がする。間違いなく、兵士だ。カーサかスウゴであれば安心できたのだが、二人ではないことは確かだった。ただ、ここからでは敵か味方かは判断できない。たとえ味方であったとしても、イリノは名乗り出る気はさらさらなかった。それはそれでまた、兵隊生活に戻るだけで、下手をするとあの、大佐野郎のときのように奴隷のような扱いを受けるだけだ。
一瞬の間をおいて、ヒュン、ヒュンと風を切る音がした。最初は何だかわからなかったが、兵士の動きからは、どうやら腰に差している剣を抜いて、それを振り回しているようだった。どうやら向こうもこちらの存在には気づいているらしい。この段階で、イリノは相手を敵だと認識した。
味方ならば何らかの声をかけるはずだ。そこに誰かいるのかとか、小隊長殿とかいった声は聞こえてこない。つまり相手は自分を明確に敵と認識して、命を奪いに来ていることになる。
すぐにその場を離れなかったのを心から後悔した。今からでも遅くはないと考えながら態勢を変えて、座ったままの状態でゆっくりと後ずさりをする。手に持っている剣を抜いて相手と立ち会おうかとも考えたが、勝てる気はしなかった。むやみやたらと振り回しているように見えるが、相手は正確にこちらと距離を詰めながら剣を振っている。それなりの腕であると考えてよかった。森の中に入ってしまえば、こちらの存在を秘匿しやすくなる。うまくすれば、スキを突いて倒すことも可能だ。だが、相手はじわじわとこちらとの距離を縮めてきていて、このままでは本当に斬られかねない状況になりつつあった。
思わず立ち上がって走り出す。相手は鎧を装備しているようだし、さらには重い剣を振るっている。こちらは剣を持ってはいるが、鎧は着込んでいない。十分に引き離せるはずだ。
「そこにいるのは、わが軍の兵士か!」
突然声が聞こえてきて立ち止まる。声の主は、女性だった。
……もしかして、王女様?




