背中越しの別れ
マリノラとの会話は最後までかみ合わなかった。部隊に戻ると言うイリノと、そんなことをする必要はねぇというマリノラとの間で、話しは平行線を辿ったのだ。
マリノラの言うことも確かに的を射ていた。彼はこの町を捨ててどこか安全な場所に逃げようと繰り返した。そしてそこで二人で、もとの研ぎ屋と革細工屋をやろうというものだった。
イリノとしてもそうしたいという思いはあった。正直言って、この町にいるとどうしてもサーヤさんのことが思い出されてしまう。できることなら、一旦、全く別の環境に身を置いて、彼女への感情を整理したかった。気持ちを落ち着かせたかった。こんなことになるのなら、もっと早く彼女に思いを伝えるなり、口説くなりをしておけばよかったし、さらに言えば、格好をつけて緊急徴兵などに応募せずに、そのままこの町に残ってサーヤさんと距離を縮めればよかったのだとも思うが、それは今となってはどうしようもないことだった。
だが、このことをマリノラにはどうしても言えなかった。そのため、同じ仲間のスウゴを見捨てるわけにはいかず、このまま部隊を脱走すれば、あの大佐がこの町にやって来て、町の人々に乱暴を働くかもしれない、などという主張を繰り返した。
マリノラの考えは一貫していた。王国軍はこの町を守ってはくれなかった。そんな王国に義理はない。この町には世話になったが、自分の命の方が遥かに大事だ。まずは自分の命を守りたい。だから俺は安全な場所に逃げる。実に彼らしい、わかりやすい理由であった。
結局二人の議論はかみ合うことはなく、業を煮やしたマリノラが勝手にしろ、俺は一人でこの町を出ていくと言ったところで、お開きとなった。
「もう、お前ぇに会うことはないかもしれねぇ。世話ンなったな」
マリノラは店を出ていこうとするイリノの背中越しにそんな言葉を投げつけた。その声は少し震えていた。一瞬、振り返って何かを言おうとしたが、できなかった。彼はそのまま店を出た。
一度に両腕をなくした気持ちだった。愛する女性と信頼のおける相棒の二人を失ったのだ。今から謝って、やっぱり俺もお前についていくよと言えば、彼のことだ、おおいいってことよと気前よく許してくれるに違いない。だが、なぜかそれはするべきではないという直感にも似た感覚が、それを止まらせていた。
「もうすぐ日が暮れる。日暮れまでに帰らないと、あの大佐野郎、何をしでかすかわからないぞ」
カーサはそう言って、イリノに早く戻ろうと促す。その言葉に背中を押されるようにして、彼は小走りに駆け出した。
城門の前まで来ると、カーサはそこに繋いでいた馬の手綱を取り、ひらりと跨った。イリノも彼の後ろに跨る。
「行くぞ」
そう言って馬を走らせる。実に早く走る馬だ。周囲の景色がまるで流れるかのように変わっていく。体に当たる風が、心に抱えている悲しみやわだかまりを少しずつどこかに飛ばしてくれるような気がしていた。
「……あそこだな」
どのくらい走っただろうか、実際、そんなに長い時間ではなかった。ふと見ると、遠めに人が集まっているのが見えた。あの、大佐野郎が率いる部隊だ。するとカーサはするりと馬を降りて、轡を取って歩き出した。
「ちょっと、何をしているんだよ。早く帰らないといけないんじゃないのか」
「それはそうだが、お前に花を持たせてやろうとしているんだ」
「どういうことだよ」
「まあ、心配するな。俺がうまくコトを運ぶ。お前は大人しくしていろ。大佐野郎の前に出たら、馬を降りろ。お前は、それだけやればいい。格好よく降りろよ」
そう言いながらカーサは豪快に笑った。
二人の帰還に気がついた兵士たちが右往左往している。部隊のすぐ傍まで来ると、あの大佐が兵士たちをかき分けるようにしてこちらにやって来た。イリノは素早く馬から下りる。
「ぐあっ!」
気がつけば顔面を拳で殴られていた。あまりの衝撃にイリノはたたらを踏んで尻もちをついた。
「一体いつまでかかっておるのだ! 一時間以内と命じただろうが! 貴様らは命令違反だ! 命令違反を犯した兵への罰は死である! お前たちの首をここで刎ねる!」
そう言って大佐は腰に差している剣の柄を握った。そのとき、カーサが大佐の前に片膝をついて畏まった。
「誠に申し訳ございません! 実はカイルラルの兵士に襲われまして、ヤツらを仕留めるのに時間がかかりました。完全装備の上、それなりに腕も立つ者でしたので……。ですが、小隊長殿の必死の働きによりまして、ヤツらを撃退せしめてございます。そして、ヤツらの乗っていた馬を奪って参りました。見事な馬でございます。この馬に免じて、どうか、命ばかりはお助けを、お願い申し上げます」
大佐は苦々しい表情を浮かべていたが、やがてカーサが手綱を引く馬に視線を向けると、大股でそこに向かい、まじまじと馬を見た。
「……いい馬だな」
大佐はそう言ってひらりと馬に跨った。そして馬上からイリノとカーサを見下ろしながら、
「今日のところは、命だけは助けてやる。今度、命令違反をやったら、命はないものと思え。わかったか!」
「ははっ!」
カーサはそう言って再び頭を下げた。そのとき、馬が大きく嘶いて、前足を高く上げた・・…。




