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さよなら、そして、ありがとう

イリノは動くことができなかった。瞬きすら、することができなかった。彼は去っていく二人の後姿をただ茫然と眺めるしかなかった。


本来ならば二人を止め、どこか安全な場所に移して、ジークリフトの傷の手当てをし、服を着替えさせた上で送り出すものだ。そう頭では理解できていても、体が言うことを聞かなかった。


実際、イリノ自身もカーサの言葉に同感だった。こんな寒空の中、着の身着のままで町を出るというのは、正気の沙汰ではない。それに、ジークリフトは軍服を着ている。カイルラルの兵士に見つかれば、捕らえらえるか、悪くすると殺される可能性すらある。そうなった場合、サーヤさんの身にも危険が及ぶことになる。まさに、二人の行為は自殺行為以外の何物でもなかった。


どんどん二人の姿は小さくなっていく。きっと、サーヤさんとはこの後二度と会うことはないかもしれない。色々と言いたいことはあったが、どうしても体が動かなかった。そうしているうちに、二人の姿は消えてしまった。


「ありゃ、死んじまうな」


誰に言うともなくカーサが呟く。


「女の方は大丈夫かもしれないが、男の方は早く手当てをしないと命にかかわるんじゃないか。まあ、どこかであの女が介抱して、そのあとしっぽり……といけばいいがな。まあ、この町の状況だと無理だろう。イリノ、いいことがあるぞ。お前、あの二人の後を付けろ。おそらく男の方は途中で死んじまうだろう。そこへお前が行って女を助ける。そこが野原だったら、その場で押し倒しちまえ……って、おい、イリノ」


イリノは泣いていた。自然と涙があふれてきて、止まらなかった。もう二度と会えないかもしれないと思うと、もっと話をしておくべきだった、好きだと言っておくべきだったと後悔の念が沸き上がってきたのだ。そんな彼を見て、カーサは笑いながらグッと彼の肩を掴んだ。


「ま、女なんざ星の数ほどいるんだ。今に、あんな女ことぁ忘れちまう」


「忘れ……」


「なんだ?」


「忘れちゃうのか……。忘れたくないなぁ……。初めて、幸せにしたいって思えたひとだったんだ……。大事にしたい、一緒にいたいって思ったひとだったんだ……。この気持ち、忘れちゃうのか……。忘れたくないな……忘れたく、ねぇな……」


「イリノ、お前な」


カーサはそう言うと、大きなため息をついた。


「せっかくだからお前に世の中をうまく渡っていく方法を教えておいてやる。それはな、期待しないことだ。期待するから腹が立つし、悲しい思いをするんだ。お前の場合はな、あの女がお前に気があると思っていた。もしかすると、お前のことを好きになってくれるんじゃないか、好きなんじゃないかと思っていたんじゃねぇか? だから、その思いを裏切られたから、悲しいんだ。腹が立つんだ。人に期待しない、それが、この世の中をラクに生きてく方法さ。覚えときな」


「そんな……うまく、割り切れねぇよ」


「割り切れなくても割り切るんだよ」


「うううう……」


「さ、もう帰ろうぜ。大佐殿がカンカンになって怒っていることだろう。面白かったが、少し時間をかけすぎた。このままこの町にいてもいいが……あそこからこの町は割と近い。怒った大佐野郎がここに来る可能性はある。見つかったら、最悪の場合、逃亡とみなされて殺される可能性すらある」


……殺してくれるんなら、殺してくれとイリノは心の中で呟く。そんな彼の心情など知ったことではないとばかりに、カーサは言葉を続ける。


「イリノ、お前がこの町を離れて遠くに逃げるってんなら、相談に乗るがな」


「……スウゴはどうするんだよ」


「何とかするだろうよ」


「……俺たちが戻らないと、アイツが下手をしたらひどい目に合うかもしれないんだろう?」


「可能性は、なくはないな」


「じゃあ、戻ろう。その前に、マリノラに……店に行って、アイツに伝えてくる」


イリノは腕で顔をゴシゴシと磨くと、両手で頬をパンパンと叩いた。


「やっぱりお前は、面白いやつだ」


そう言ってカーサはカラカラと笑った。まだ、サーヤさんのことは整理がつかなかった。ついさっき、彼女はこの道を通ったのだ。あそこを曲がったのだ。などと考えながら歩く。今から走れば間に合うんじゃないかという思いも確かにある。だが、あの光景を見ると、彼女はジークリフトを心底から好いているように見えたし、追いかけたところで、状況が変わるとは到底思えなかった。だが彼はそれでも、彼女のことは死ぬまで忘れないと心に誓っていた。


……さよならサーヤさん。そして、ありがとう。


心の中で呟きながら、彼はマリノラのいる店に向かって歩き出した。

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