魂抜けて……
イリノは黙ったまま、座り込む人々の間を縫うようにして彼女の許に向かった。そして、すぐ傍まで来ると、ゆっくりと片膝をついた。
「……サーヤさん、俺です。イリノです。わかりますか?」
「……」
彼女は呆然としたまま動かない。目すら合わせてくれなかった。
「……目の前で人が殺されちまってな。その上に、防衛隊が、緊急徴兵された者が全滅したって聞いてから、こんな状態なんだ」
イリノは思わず奥歯を噛んだ。そこまであのジークリフトに思いを寄せていたのがショックだった。だが、その彼が死んだということならば話は別だ。今はこんな状態だが、そのうち回復することだろう。俺が、サーヤさんの心の支えになればいい。そう考えた彼は、スッと立ち上がった。
「いつまでもここにいることもできないだろう。とりあえず、どこかにサーヤさんを移そう」
「そうは言ってもお前ぇ、どこに行くってんだよ」
「それは……俺が何とかする」
「この町は宿屋も焼かれちまったし、ザザスの爺さんも逃げちまって行方不明だ」
「俺たちの店は」
「一応残っている」
「じゃあ、そこにサーヤさんに移ってもらおう」
「バカ言え」
マリノラは声を落とすと、ささやくように呟いた。
「あそこは俺が寝泊まりしているんだ」
「どっかに移ればいいじゃないかよ」
「移るって、どこへ」
「それは……。お前がここで暮らすか?」
「バカなことを言うな! 俺ぁイヤだ!」
「……冗談だよ。ザザスの爺さんたちは逃げたと言ったな? あのデカい屋敷はどうなっている」
「一部は焼けたが、全部じゃねぇ」
「じゃあ、そこで寝泊まりをしようじゃないか。店の隣だ。爺さんたちが帰ってきたら、物騒なので、俺たちが屋敷を守ってましたと言えばいい」
「ああ……あの、屋敷、か」
「悪くないだろう?」
「……まあ、な」
「そうと決まればお前、すまないけれども、店に行ってちょっと片付けておいてくれないか。俺はサーヤさんをおぶっていくよ」
「……ああ、わかった」
マリノラはそう言って立ち上がった。ふと見ると、入り口付近にカーサが扉にもたれかかりながら、中の様子を眺めていた。
「さ、サーヤさん、行きましょう」
そう言ってイリノは手を出すが、彼女は相変わらず視線を泳がせたままだ。まさに、魂が抜けた状態と言ってよかった。
「……です」
「え?」
「結構……です」
「いや、大丈夫です。近くに俺の店があります。そこで休んでください。こう見えても、メシを作るのは得意です。おいしいものを食べて……」
「放っておいて、ください」
力はないが、彼女の言葉は明確にイリノを拒否するものだった。彼は黙ってサーヤを眺め続けたが、やがて、ゆっくりと立ち上がった。
「また、来ます」
サーヤの視線は相変わらず宙を泳いでいる。今はショックで他のことは考えられないのは、わかる。きっと、時間がたてば回復するはずだ。そうだ、今夜は温かい食事を持って来よう、そんなことを考えていたとき、背後でカーサの声が聞こえた。
「おい、大丈夫か!?」
見るとそこにはボロボロの軍服を着た男が四つん這いになっていた。ハアハアと肩で苦しい息をしている。
「王国軍の兵士か? これは……剣で斬られたのか。手当をした方がいい」
カーサの言葉を無視するように、男はゆっくりと立ち上がった。その顔を見てイリノは思わず声を上げそうになった。
「ジッ……」
男は、ジークリフトだった。背中にも傷があったが、体の前にも傷があり、そこから血が滲んでいる。
「ジーク!」
突然女性の声が聞こえたかと思うと、何か、小さなものがイリノの脇を通り過ぎた。それはサーヤさんだった。彼女はジークリフトに勢いよく抱き着く。そのまま二人は床に倒れこむ。
「ジーク……生きていたのね……よかった」
「ああ。死ぬわけにはいかない。エリーを置いて、死ぬわけにはいかない」
そう言いながら二人は抱擁を交わし合っている。
ややあって、二人はゆっくりと立ち上がった。サーヤさんはずっと泣いている。
「エリー、今すぐここを出よう」
ジークリフトの声に、サーヤさんはコクリと頷く。それを見た男は、彼女の手を取り、ゆっくりと歩き出した。
「おーい、どこ行くんだお前ら」
カーサが声をかけるが、ジークリフトがちらりと振り返っただけで、二人は歩みを止めようとはしなかった。
「あいつらまさか、あのままでこの町を出ていく気か? この寒空の中、あんな格好じゃ凍えちまう。それにだ、男の方は軍服着ているじゃねぇか。あんなボロボロの格好じゃ……うん? イリノ、お前……どうした?」
イリノは茫然とした表情のまま、固まっていた。




