一抹の不安
イリノが選抜隊に入ってひと月が経った。
「……」
体が一回り大きくなっていた。身長は相変わらず伸びないままだが、体が引き締まった上に、筋肉がついて、かなりいい体格になっていた。そんな彼をデルフ軍曹は満足げに眺めている。
「正直、貴様がこれほどやるとは思わなかった。俺の訓練に泣き言一つ言わずに付いてきた。その意気やよし」
毎日、十キロの袋を担いで十キロを走り、その後、腕立て、腹筋、背筋運動をたっぷりとして午前中が終わる。昼食を摂り、休憩を挟んで、昼から剣と槍、時には体術の訓練などが行われて一日が終わる。そんな日々だったのだ。
この過酷すぎる訓練はイリノにとってよい結果をもたらせた。夜、ぐっすりと眠れるようになったのだ。サーヤさんのことは相変わらず胸の内にあるが、彼女に対する不安感よりも、疲れと、そこから来る睡魔が勝っていたのだった。
あの白い石の効果は抜群だった。昼の休憩時にその石を枕に横になり、十分も眠ると、午前中の疲れが一気に回復する。そして、午後の稽古で打たれた打撲や傷も、その石を枕に眠ると、朝には回復していたのである。こうしたことにより、彼の体はみるみる変化していき、現在のような立派な兵士、もとい、肉体になったのであった。
ここに来て彼は、この緊急招集に応募したことを少し後悔していた。あの、ジークリフトが応募するのなら、サーヤさんとの時間はなくなる。その間はまさに、彼女と距離を縮める絶好のチャンスだったのだ。
だが、彼の心には、一つの希望が芽生えていた。ちょうど、一緒に選抜隊に入った者たちが、彼の話を聞き、背中を押してくれたからだ。
選抜隊五名のうち、カーサとスウゴという二人の男と特に仲良くなった。この二人は冒険者上がりだというが、剣の腕も立ち、デルフ軍曹とほぼ、互角の腕前だった。そんな二人は何故かイリノに興味を持ち、三人で色々と話をするようになったのだった。
「そりゃ、女をオトそうとするんだったら、何と言っても金だよ。金のねぇ男に女はよりゃしゃないもんさ」
カーサのこの言葉が、イリノに希望を与えた。彼はすでに日本円して一千万円を超える金を持っていたし、それは、ギルドのサーヤさんも知っていることだった。聞けばあの、ジークリフトにはそんなに金はないのだと言う。とすれば、自分にも十分にチャンスがあると言うことだ。
……そう言えば、金を預けてから、サーヤさんは俺に優しくなった気がするな。ということは、あの女性もやっぱり俺のことはまんざらではないんじゃないか。
そんなことを考えると、早くこの招集が解除になり、サーヤさんの許に帰りたいと思う。好きだという思いは伝えた。あとは、彼女の返事を聞くだけだ。
だが、緊急徴兵の解除はまだ先らしい。イリノをこの選抜隊に推薦した将校――ルエネス大尉が語ったところによると、侵攻が噂されるカイルラル王国は、どうやら本気でこの国を攻めようとしているらしいのだ。その証拠に、カイルラル王国とこの国を繋ぐ道の拡張工事を行っており、それは、迅速にこの国に兵士を送るためであることは明らかであると言うのだ。
「ただ、兵力の点で言えば、我が国の方が圧倒的に有利だ。国王様はどうやら、国境に我が軍三万を展開させるおつもりらしい。その様子を見れば敵は戦意を喪失して引き上げるとお考えのようだ」
この国の軍人の大半が、同じように考えているらしい。ただ、ルエネス大尉はそれらとは少し違った考えを持っていた。
「ただ、一万対三万というのはどう考えてもカイルラルの方が不利だ。そんな負けるとわかっている戦いをするほど、あのカイルラル王はバカではない。もしかすると、確実に勝てる何かを掴んでいるのかもしれないが、それが何なのか、私にもわからない」
彼はそこまで言うと、フッと相好を崩して、さらに言葉を続けた。
「まあ、私のこの懸念が杞憂に終わることを信じてはいるけれどね」
「心配しなさんな大尉殿。敵はきっと、国王様のお考えの通り、我が国の軍勢を見ればすぐに引き返すことでしょう。なぁーんにも心配はいりません!」
カーサはそう言ってガハハと笑った。イリノはその様子を見て、一抹の不安を覚えるのだった……。




