心躍る
イリノが徴兵に応募したと聞いたザザスは、少し困った表情を浮かべたが、やがて元の表情に戻ると、ゆっくりと頷いた。
「まあ、ええじゃろう。儂も少し怠けすぎた。お主がおらん間は、儂が老骨に鞭を打つことにしよう」
彼はそう言うと、さらに言葉を続ける。
「緊急徴兵と言うくらいじゃから、期間はそんなに長くないじゃろう。長くて二か月というところかの。その間、体を鍛えてくるのじゃな。下手をすると、一週間くらいで帰ってくるかもしれぬな」
そう言って彼は呵々大笑した。
短期間の兵役だから、いざ戦闘になれば、槍除けや矢除けの盾にされる可能性があるが、おそらく国王は兵力を多く見せるために兵力を増強しているのだ。だから、給金が高いのだとザザスは説明してくれた。
「よかったじゃねぇか。思ったよりも早く帰ってこれそうだな。それなら、餞別は、いいな」
マリノラが返る道すがら、そんなことを言ってきた。
「餞別? そんなもの、いらないよ。言っちゃ悪いが、金はそれなりにあるんだ」
「バカ。そうじゃねぇ。餞別ってのは、女のことだよ、オンナ。お前ぇまだ、だろう? 兵士になる前に、立派な男になっていくのがお決まりなんだよ。それこそ、女を知らねぇで兵舎に行けば、イジめられちまうんだ」
「いっ、いやっ、おっ、俺は、別に……」
「まあ、期間が短そうだから、その必要もなさそうだ。それに、今の時間からじゃ集合に間に合わねぇ。娼館には、お前ぇが無事に帰ってきたときに行こうじゃねぇか」
そう言ってマリノラはカッカッカと笑う。だが、イリノにはその気がまるでなかった。どうしても、彼の心の中には、サーヤさんへの思いが溢れていた。
マリノラと別れ、宿に帰って準備をする。持ち物は少ないので、砥石代わりに使っている白い石をリュックに入れて部屋を出る。宿屋で清算を済ませて、世話になった礼を言う。愛想の悪い宿屋の親父がぶっきらぼうに、
「住む場所を見つけたのかい。それとも、旅にでるつもりかい」
と聞いてきたので、緊急徴兵があって、そこに応募したことを告げると、親父は目を閉じてゆっくりと顔を左右に振った。それは、呆れていたようにも見えたし、行ってはならぬと言っているようでもあった。
その親父に少し多めの宿代を渡して、外に出る。日暮れまでまだ時間がありそうだ。彼はギルドに向かうことにした。
「……」
ギルドの前に、あのジークリフトがいた。鋭い視線で集合場所を見据えている。そこには誰も来ていなかったが、彼の体からただならぬ雰囲気が溢れていた。
その彼を一瞥して、ギルドの中に入る。サーヤさんは立ったまま入り口に視線を向けていたため、すぐに目が合う。少しドキリとしたが、彼女の傍に行き、スッと一礼する。
「ちょっと、行ってきます。そのまえに、ご挨拶をと思いまして……」
「そう、です、か」
「いろいろとお世話になって……ありがとうございました。帰ってきたら、また、ご挨拶に伺います」
「……」
サーヤさんは心配そうな表情を浮かべている。自分のために、そんな顔をしてくれることが嬉しかった。
「お気をつけて……」
「はい。優しい言葉を、ありがとうございます。俺は、そういう優しいひとは、好きです」
イリノはそう言いながら一礼して踵を返した。その場を去ろうとすると、サーヤさんに呼び止められた。
「あの……」
「……何でしょうか」
「……お体を、お大事、に」
「ありがとうございます」
そう言って彼はギルドを後にした。
集合場所はそこから歩いてすぐの所だった。彼は心躍っていた。サーヤさんに好きと言うことができたこと、彼女もまた、心配してくれたことが、何よりもうれしかった。
……嫌いな男をわざわざ呼び止めるか? サーヤさんの中で、俺の印象は悪くないはずだ。これはひょっとすると、上手くいくかもしれないぞ。
イリノの心は、踊っていた。




