チャンスを逃した?
相変わらず、イリノたちの仕事は絶好調だった。彼らは朝から晩までよく働き、それに伴って、収入も飛躍的に増えていった。そして、彼がこの店を出して三ヶ月経つと、彼の手持ちの金貨は百枚を超えるまでになった。
イリノはその金を大事に帯で腹に括りつけていたが、さすがにそれだけの金となると重さも相当なものとなり、彼は常に不要な疲れに悩まされることになっていた。そんな様子を見かねたマリノラが、その金をギルドに預けてはどうだと提案してくれた。
「ギルドで金って、預かってくれるのか?」
「やっぱり何にも知らねぇんだな、お前は。当たりまえさね。ギルドってのは、世界中に拠点があるんだ。そこに預けておけば、どこでも金は引き出せる。まあ、多少の手数料は取られるが、自分でもっておくよりは遥かに安全だぁな」
マリノラはそう言ってカッカッカと笑った。
渡りに船とはこのことだった。ギルドのサーヤさんに話しかける機会が訪れたのだ。彼は喜び勇んでギルドに向かった。
サーヤさんはカウンターの前に座っていた。ちょうど仕事が終わったらしい。小さなため息をついている。彼はゆっくりと彼女の前に座った。
「あの……」
「はい。どうなさいました?」
「おっ、お金を、預けたいのです、が」
「はい、ギルドのカードはお持ちですか?」
イリノは懐からカードを取り出して渡す。そのとき、彼女の手が彼の手に触れた。
小さくて、白い、美しい指だった。それに、冷たい。彼はその感触を忘れないために、無意識のうちに自分の手をギュッと握った。
サーヤさんはカードに手をかざすと、フワッと青色の光が煙のように出てきた。そして、イリノに視線を向けると、お預けになる金額はおいくらでしょうか、と尋ねた。彼は腹にしまっていた鹿革でできた袋を取り出すと、彼女の目の前に置いた。
「これ、全部です」
「……拝見しますね」
彼女の真っ白い指が汚く黒ずんだ皮袋に触れる。何だか申し訳がない気がした。
そんな彼の感情を知ってか知らずか、彼女は袋を開けると中を見て一瞬動きを止めた。
「……こちら、全部、でしょうか」
「はいっ」
彼女はキョロキョロと周囲を見廻すと、静かに、そして手際よく金貨を数えていった。高額であることがバレないよう、カウンターの中で数えるという配慮があった。驚いたことに彼女は、袋の中から正確に十枚ずつを掴んで取り出してきた。中で数えている様子はない。袋を手に入れてすぐに引き出す。手には十枚の金貨が握られている。見事と言ってよかった。
「……百十四枚ですね」
「あれ? 百十五枚ではなかったですか?」
「百十四枚です」
彼女はきっぱりとそう言い切った。数え直すなどということはせずに、その目には確固たる自信が見えていた。何とも言えぬ迫力に、彼は失礼しましたと言って黙る他はなかった。
カリカリと目の前の書類に記入すると、再びイリノのカードを手に取り、手をかざす。カードがほのかに青く光る。
「はい、確かに受け取りました。ギルドのお金の引き出し方は、ご存知ですか」
「は、はい」
「では、お返しします」
そう言って彼女はカードをイリノの目の前に置いた。彼はそれを受け取ると、ありがとうございますと言って、そそくさと席を立った。
猛烈な後悔が湧き上がってくる。どうして、彼女ともっと話ができるチャンスだったのに、切り上げてしまったのか。話したいことは山ほどあったし、聞きたいこともたくさんあった。なのに……。
「あ、いけね」
そう言えば、あの袋の中の金が全財産だった。すべての金貨を預けてしまったので、今の自分は無一文であることに気がついたのだ。もう一度サーヤさんの許に行けば金は返してくれるだろうが、そんな間抜けな自分を彼女には見せたくはなかった。
「バカだな、俺は」
誰に言うともなくそう吐き捨てて、彼はギルドを後にした。宿に帰ると、ベッドの上に一枚の金貨が落ちていた。きっと、あの袋に入れるときに落ちたのだ。助かったという安堵の思いと同時に、やはりあのサーヤさんは仕事ができることがわかって、彼は何とも言えぬ満足感に包まれながらベッドにゴロンと横になった……。




