7
名もなき英霊の精魂なき傀儡が、石棺の蓋を一つ、また一つと開けていく。骸の隊伍が形成する包囲の輪が、薄闇の奥から少しづつ狭まってくる。
真っ向から戦えば勝ち目などない。逃げずに次の部屋に進むとするならば、何とか切り抜けて行くしかない。私は件の『三人称薬』とやらを飲み干してから、脳裏に渦巻く『ある仮説』を検証し、脱出劇を実行に移すほかにないと感じていた。
私は砂塊となったゴーレムの体の一部を掬い上げた。物音を立てないように注意しつつ、壁伝いにその場を離れる。スケルトンには視覚がないが、音には敏感に反応する。鎧を着込んだままでは難しいが、壁に身を預け、摺り足で動けば、部屋中のスケルトンを崩れ去ったゴーレムの近くに誘き寄せつつ、移動できるはずだ。
闇の中で蠢く万骨の軍勢の気配に怯え、滴る冷や汗を全身に感じながら、少しづつ、少しづつ、横に移動していく。気取られれば、待っているのは確実なる『死』に他ならない。あの冷たく不快な感覚に慣れてしまう訳にはいかない。
一分一秒が、永遠とも思える時間に引き伸ばされたような感覚に陥った後、私は自分が部屋の四隅に到達したことに気付く。入り口付近の壁際から四隅への距離からして、この部屋の一辺の長さは恐らく数十メートル。(私の気が完全に動転していないことを前提としての話だが)不幸中の幸いにも、狭いタイプの石室だ。
張り付く壁を変え、方向を転換し、精神を削る長い長い小旅行、――即ち三十メートル程度の全身全霊を賭した横歩きに成功する。ここで、例の『仮説』を検証する用意が整う。私は先ほど右手に掬ったゴーレムの砂を、松明の光の中に放った。
――地下に築かれた迷宮。松明の火勢は弱まるばかりだが、今までの探索中に消えたことはない。息苦しさも感じないことはないが、酸欠で死ぬほどではない。この迷宮が何者によって造られたのかは正確に分かっていないが、仮に生身の人間を使って建造されたのなら、絶対に『通気口』が存在しているはずだ。
――そして通気口は、石室間を繋ぐ回廊にあるはずだ。回廊に蔓延る苔。湿った石畳。恐らく、地上で降った雨が通気口から雨樋のように流れてきたのだろう。それが私の『仮説』だ。通気口の存在は、ノエルも言及していなかったため心許ないが、ゴーレムに探索活動の殆どを任せていたため、気に留めなかったという可能性もある。それに今はどれほど心許なくても、この『仮説』に賭けてみるしかない。
私は光の中で漂う砂塵の行方を、目を凝らして見詰めた。浮遊する砂粒は、視界の奥へと流れ込んでいった。私の気の迷いでなければ、入り口方向とも違う、正面へと向かう微弱な空気の流れがあるようだ。私は自身が立てた『仮説』の正しさが証明されることを一心に願いつつ、ノエルの魔導書の38ページを開いた。
魔法陣が溢れんばかりの光を四方に放つ。煌々とした魔法発光は、初めに、ゴーレムの遺骸付近に集結した無数のスケルトンを彫り出した。そして輝きの突端が、部屋の対岸に到達する。現れたのは古めかしい穹窿。――回廊への入り口だ。
――走れ。
私は疲弊した心身を奮い立てるように、心の中で、そう叫んだ。
回廊の入り口を目指した全力の疾駆によって、金属製の武具が音を立てる。
私の動きを知覚したスケルトンの群れが、真っ黒い眼窩で一斉に私を捉える。
私は緩めておいた腕甲の留め具を外し、スケルトンの一団に放り投げる。
スケルトンは一瞬怯んだように見えたが、すぐさま態勢を整えると、殺意も慈悲も、正義も狂気もない虚無の剣を高く掲げ、私を目掛けて飛び掛かってくる。
しかし、回廊の入り口は既に目前。私が走り去ろうとした寸前、私の疾走を止める一本の骨の腕が足元から伸びてきた。古の戦傷によって下半身を無惨に削がれ、地を這いずるスケルトンの一体が、私の足に絡みついてきたのだ。
「クソっ」
背後から迫りくる凶刃の一群。私は短剣を引き抜いて、素早く骨の腕を斬り払った。そして転がり込むように、回廊の中へと体を押し込めた。
穹窿の内側に入ると、殺到するスケルトンが響かせる死の足音は、一斉に途絶えた。彼らは自らの墓所を離れられない、契約魔法の一種に呪縛された存在だ。この迷宮においては、特定の石室の内部でのみ活動が許された約定なのだろう。
私は爆発するような心臓の拍動を抑え、倒れた体を起こし、窮屈な回廊の中で座り込む。ここを抜けた先が『第15石室』。前に精霊と遭遇した地点だ。
「……少しくらい、期待してもいいよな」
乱れた呼吸を整え、立ち上がり、また、歩きだす。
回廊に吹いた微風が、私の頬を掠め、次の石室へと流れ去っていった。