盗賊
馬車の旅も四日目、俺達はオトの町と呼ばれる小さな町に到着した。
これまで毎日夜は村の外での野営が普通だったが、ここでは町の外で一泊という事にはならないみたいだった。しかし町中にあるのは乗り合い馬車専用の駐馬場と御者の為の宿泊場だけで、乗客達は野宿しないのであれば各自で宿を取るしかないと知らされる。
俺達と共に乗った乗客のうち二人はここで降り、おそらく明日には別な乗客がまた増えるだろうとの事。
俺達各自の残金は一人銀貨十枚程度、タミナスの冒険者ギルドでの登録にも銀貨五枚(五千円)の料金が必要になるらしく、結局俺達四人は馬車の荷台の中で寄り添って眠る事を選んだ。
ただ食事だけはまともなものが食いたいと、銀貨一枚を消費して場末の食事処の様な店で腹を満たしたのだった。
この頃になると俺達も正教会が一時金として渡してくれた銀貨四十枚というのがどれ程のものなのかを理解し始め「かなりケチりやがったな」なんて愚痴を溢すこともしばしば、実際このままではタミナスの街に着いたその日からでも稼がなければ生活資金が欠乏する。
そんな事を話しながら夜を迎え、トウマとミヤコが早々に眠りにつく。二人ともスマホが無いと何も出来ないと相変わらず文句を言い、実際暇を持て余している様だった。
トオルはというとこの寒空の中、槍を手にしてブンブンとそれを適当に振っている。調子に乗ってクルクルと槍をバトンの様に回転させたりしているが、それが実戦でどれ程役に立つかは疑問だ。
俺はと言うと駐馬場内にある野宿用スペースに別の野宿者が作ったのであろう即席の石竈に火を入れ暖を取りながら一人考えていた。
この四日間で色々な情報を知ることが出来た。
アンデッド災害、吸血鬼被害といった実感の湧かないホラー話のようなものから、現実的な馬車の旅の危険性についてなど色々だ。
特に気になったのは俺達が当面直面しているこの馬車の旅。
ロムスガルヒ帝国が健在であった頃は街道に賊が出没する事は極めて希であったそうなのだが、アンデッド災害で多数の避難民がこの地域へと押しかけ約一年、人心は落ち着きを見せたが生活困窮者は数知れず、中には盗賊となって行商や旅の馬車を襲う輩も多くなったのだという。
定期的に同じ道を護衛も付けずに通る乗り合い馬車は特にその標的になりやすく、その御者のなり手はこのご時世極めて少ないらしいのだ。そういう意味では俺達の馬車を操る元脱走兵の御者はとても勇気ある人なのだという。
そしてここからが重要だ。
このオトの町から次のマタの村までの間は途中三日の距離があり、オトの村から半日でこの地域の首都ともいうべきタミナスの街へと着くそうなのだが、その三日間は何も無い野原や荒野での野宿となり、町の警備兵の街道巡回も行き届かない危険地域になるというのだ。
一応この地域一帯を統括するトリモーマイ公爵家の騎士団が街道警備を担っているが、それは不定期に行われておりその合間を縫っては盗賊団が出没する事もあるらしい。
この乗り合い馬車の前任者の御者もそれで命を落としたそうだが、現在の御者になってから半年、まだ一度も盗賊には出会った事はないという。
だがそんな話を聞いてしまうとやはり心配になる。俺達は無事にタミナスの街へと辿り着けるのだろうかと。
「リュウセイさん、まだ起きてたんですか」
「ああ、まだ眠れなくてな。トオルの方こそ槍を振っていたがどうしたんだ?」
「何というか、体を動かしていないと不安なんですよ。この数日馬車で旅して、やっぱりここは別世界なんだなと実感して…。俺は本当にここで生きていけるんだろうかって」
「それは俺も含めて皆同じだろ」
「いえいえ、年長のリュウセイさんがドンと構えてくれているから俺達はきっと安心出来てるんですよ。俺一人だったらきっと最初の町でまだ泣き喚いてましたよ」
「頼ってくれて悪いが俺もきっと同じだよ。お前達の前だから無様な顔は出来ないって、格好つけてる感じだと思う。俺一人だったら…とか考えたく無いな」
「へえ、俺達相互依存してたんですね」
「そういうものだろ。別世界に放り出された同郷人四人だからな。まあ先の事はわからんがな」
「え~、つれないですね」
「あははは、当面は意地張って格好つけさせてもらうよ」
「頑張って下さい。それで俺も皆も安心しますから」
「それはそうと、リュウセイさん。俺この世界に我慢できないことがあるんですよ。これだけは絶対に受け入れられない」
「何だ、トイレか?」
「それはまあ何とか耐えてますけどね。そういうんじゃないんですよ。俺が我慢できないのは異世界なのにケモ耳娘もエルフっ娘も全然いないんすよ。何処行っても人人人、人間しかいないんっすよ」
「そうだろうなあ。聞いた話だとこの地域を治めていた帝国は『人間至上主義』を掲げる正教会を信仰していて、獣人や亜人は迫害され奴隷として使役されていたそうだ」
「獣人の奴隷なんて見た事ないですよ」
「アンデッド災害で殆どの奴隷はゾンビになったんだとさ、生き残った獣人奴隷達は一人残らず死霊術師スムージーが連れ去ったらしい。おそらく今頃は…」
「正教会って悪だったんですね。あそこから出たのは正解だった。そして悪の帝王スムージー、俺からケモ耳娘を、ケモ耳娘とのイチャラブの夢を取り上げた奴の事を俺は絶対に許さない」
「おお、若者は気張るねえ。でもこの大陸の南側にいけば獣人は普通にいるらしいぞ」
「本当ですか。行きましょうリュセイさん。いつか必ず」
「ああ、そうだな。エルフも探しに行かないとな」
* *
馬車の旅六日目、俺の不安は現実の形となった。
俺達の乗り合い馬車が盗賊団に襲われたのだ。
乗客は俺達四人と元々の一人を含めてオトの町で新たに男女の二人が乗り七人となっている。
いきなり街道の横合いから襲いかかられ、弓を射かけられた。新たに乗った乗客の男性が運悪く幌を突き抜けてきた矢に胸を射貫かれ俺達の目の前で死んだ。
馬車は速度を上げて走り、盗賊達がそれを追う形になっている。盗賊の人数は八人、八人共が騎乗しての接近、騎乗用の馬ではなく荷馬に使っている様な馬に乗っているためかその足は遅くこの馬車と速度は良い勝負だ。
ミヤコは悲鳴をあげて青い顔をしているトウマにしがみついて離さない。乗客達も為す術無く祈るばかりで俺とトオルの二人だけで馬車の最後尾に付き賊の接近に備えている。
「お客さん達、荷台にある板を盾代わりにしてください」
御者に言われて荷台の床に置いてある板を取り出すと、四角く組まれた板の裏に持ち手が付いていて盾のようになっていた。
俺とトオルの二人で二枚の板を構えて後ろから射られる矢に備える。
「どなたか御者を代って下さい。ただ鞭打って街道を真っ直ぐ走るだけでいいですから」
「じゃあ儂が引き受けよう」
正教会の門前町から乗ってきた年配の男性が志願して御者席へと移ると御者は馬車の幌の上に登った。
俺達の構える盾に矢が突き刺さり、鏃が板を突き抜けて俺の目の前で止まった。この盾、長くは保ちそうにない。
俺達の頭上でヒュンという音がして盗賊の一人が矢を受けて落馬した。御者が弓で賊を迎え撃っている様だ。
「大丈夫、生き残りましょう」
頭上から聞こえる俺達を励ます御者の声、混乱したミヤコが叫び声を上げる。
「降伏して金目の物を渡せば命は助かるんじゃないの。こんなの嫌」
ミヤコの言葉に他の乗客達は首を横に振る。頭上から御者の声が聞こえた。
「盗賊達は私達が立ち寄った村や町を根城にしているんです。だから顔を見た我々を必ず皆殺しにします。女性だけは助かると思いますが、奴らに慰み者にされた後で奴隷商に売られるでしょうね。それはきっと死ぬより辛い目に…」
御者の言葉にミヤコは青ざめトウマに再びしがみつく。もう一人の乗客の女性はずっと祈りを捧げているが、彼女が助けを求めているのは神では無く法王様、つまり正教会のトップにだ。
「じゃあ戦うしか無いってことだな」
「そういう事です。決して諦めないで下さいね」
飛び交う矢の応酬。俺達の盾に跳ね返り落ちる矢、御者の矢が二人、三人と盗賊達を落馬させていくが、俺達の頭上の幌もまた赤く血で染まっている。
「大丈夫ですか、怪我を」
「守りますよ今度こそ。私はもう逃げない。この人達を…、うっ」
頭上の幌が大きく揺れて凹んだ。御者が倒されたのか盗賊達の方から歓声が上がった。御者が代った事で馬車の速度がうまく上がらない。
迫る盗賊達との距離がどんどん近づいてくる。
「トオル、今だ。槍であいつを突け」
剣を振りかざして荷台に接近してくる盗賊。盾でその攻撃を受け止めながらトオルに向け俺は叫んだ。
だがトオルの反応が無い。彼は槍で人を突く事に躊躇し動けないでいる。
「貸せトオル。俺がやる」
トオルの槍を奪い取り、俺は盗賊の顔目がけて槍を突き込む。俺の突き出した槍は剣で払われ、奴の頬を穂先がかずめただけだった。
必死に何度か槍を俺は繰り出すがそれは剣で弾かれ、最後には槍の柄を握り取られて槍を盗賊に奪われてしまった。
苦い顔をする俺にむけて盗賊がニヤリと笑う。
手に持つ盾を横にしてフリスビーの様に盗賊に投げつけると、それは彼の顔に見事命中しその騎馬を止めさせた。
頭上から絞り出す様な御者の声が聞こえた。
「いいですか、…よく聞いて下さい…、このままマタの村で保護を受けるまで野営せず夜も走り続けて下さい。…奴らは夜も諦めずに追って…来ますから、…油断しないように」
途切れ途切れの言葉、だがはっきりとその声は俺達に届いた。頭上の幌が揺れ御者が立ち上がったのが分かる。
「私の事は構わず走り続けて。お願いします。必ず…必ず生き延びて下さい」
その言葉を最後に御者は高く跳び上がり、矢を何本も突き立てた自身の体で迫り来る盗賊達に捨て身の体当たりを敢行したのだ。駆ける三人以上の盗賊達を落馬させながら盗賊達の中に消えていく御者。
御者の捨て身の攻撃に盗賊達の足は止まり混乱に陥る。俺達の乗る馬車はその間に彼等との距離をどんどん引き離していく。
俺は御者の名を叫ぼうとして気付いた。彼の名を知らない事に…。
御者の最期の姿を直接目に焼き付けた俺とトオルがその場で叫び声を上げた。それがその時俺達に出来た唯一の行動だった。
馬車は速度は落としたものの、御者の最期の忠告を守り夜を徹して走り続けた。
空腹はくそ不味い干し肉を口に含みながら凌ぎ、乗客一人の遺体と共に走る馬車生活はお世辞にも快適とは言えなかったが、翌朝の日の出前には何とか次の目的地のマタの村へと到着した。
すぐに村の門衛の兵士に事情を話すと村は大騒ぎになりすぐタミナスの街へと早馬が走らされた。
俺達は村長の家に招かれ暖かい食事で労われた後に、その場で村長を含めた村の者と兵士による簡単な事情聴取を受けた。
その後少しだけ村長宅の温かな部屋の隅で眠り、夜が明けてから到着した領兵達からもう一度事情聴取を受けると、兵士達の一軍は盗賊の襲撃地点まで赴いていった。
俺達は出発していく兵士達を見送ると村の外で無人となった乗り合い馬車の側に腰掛け、タミナスの街の乗り合い馬車の組合から派遣されてくる新たな御者の到着を待つ事になった。
村長宅での温かな食事と温かな部屋での睡眠で乗客達は皆落ち着きを取り戻したが、皆今回の出来事に意気消沈している。
ただこれだけは断言できる。あの元脱走兵だと語った御者と出会わなければ、あの御者の馬車で無ければ俺達は今生きていなかっただろうと。
彼に出会えた幸運に俺達はただ感謝した。