旅立ちの前に
タミナスの街までの必要物資の買い出しは俺とトオルの二人で行う事にした。
どうにもミヤコが情緒不安定で、トイレ掃除をあれ程頑張っていたのに朝食時にはいきなり涙を浮かべてグズったりと感情の起伏が激しいのだ。
異世界召喚の混乱と元の世界には帰れないというショック、あれが普通の反応なのかもしれない。
ミヤコの事はトウマに任せる事にして、俺とトオルは宿の女将に聞いた雑貨屋を訪ねる事にした。
道すがら俺はトオルと会話し、互いの親睦を深める事を試みた。
「大抵は剣を選ぶと思うけれど、何でトオルは槍だったんだ?」
「三国志のファンなんですよ俺は、有名な将軍達が使うのは大抵槍でしょう。だから剣より槍の方が強いんじゃないかって」
「ほお、三国志か。俺も小説や漫画、アニメにシミュレーションゲームと結構ハマったな」
「いいですねリュウセイさん。気が合いそうですよ。俺は趙雲や馬超あたりが好きなんですがね。リュウセイさんの三国志の推しの武将って誰ですか?」
「蜀の五虎大将軍の二人かメジャーだな」
「リュウセイさん、もしかして軍師推しですか? やっぱ諸葛亮孔明ですか周瑜とか司馬懿ですかね」
「武将と言うには微妙だが沙摩柯、軍師でなく役人だが文官なら陳寿かな」
「はあ? 沙摩柯に陳寿??? 誰すかそれは…」
「トオルの三国志は浅いな、上っ面だけ撫でたような感じだ…」
「ちょっまって、リュウセイさんが深すぎるんですよ」
「あはははは」
お目当ての雑貨屋に入り探す必要物資は、まず俺達の目立つ身なりを隠し防寒具にもなる外套と用意して貰った食料などの必需品を運ぶ為のカバンなりリュックなりの入れ物、水入れの革袋、共用の調理具と食器、そして火を起こす道具といった野外サバイバル用品類だ。
宿の女将が用意してくれると言った干し肉なんかも売られていたが、女将の提示額の三倍は高い。カバンや外套、その他小物を揃えたがどうも食料品だけが異常に高騰している様に思える。
まだ季節は冬だと言うし、この地域は大陸の北の端っこらしいからまだ暫くは寒さが続くのだろう。
二人で金を出し合って四人分の必需品を揃えた所で懐具合が乏しくなったので情報収集は諦めて宿に帰還。雑貨屋の道具を念入りに見て回ったので結構な時間が過ぎていて昼をゆうに回っていた。
鐘が鳴っていたので、それが午後三時を知らせる中二の鐘というやつなのだろう。
この世界では夜明けから日没までを五つの時間に区切って鐘の音で知らせてくれる。
夜明けと共に鳴るのが『朝の鐘』、午前九時頃を知らせる『中一の鐘』、昼を知らせる『昼の鐘』、午後三時を知らせる『中二の鐘』、日没を知らせる『夜の鐘』だ。
宿の部屋に戻ったがトウマの姿が無い。まだミヤコの部屋の方にいるみたいだ。
必需品の代金の徴収に行こうとしたが、トオルが人差し指を顔の前に突き出して静かにと合図して俺を押し止めた。
隣の部屋からかすかに漏れ聞こえる男女の営みの声。
ミヤコとトウマの二人が隣の部屋でいたしちゃっている様だ。元の世界に帰還できない絶望や寂しさ、色々な負の気持ちが互いを求めるきっかけとなったという事だろうか。
互いに意識はしていた様なのでなるようになったといえばそれまでだが、正直俺達の置かれた今の状況でその若気の至りは勘弁して欲しい。
トオルが顔を赤らめながら俺の顔を見る。
「まあ、やっちゃいけないって事はないからな。俺達が何か言うべき事じゃないだろう」
「マジですか…リュウセイさん」
「あれでミヤコの情緒不安定が解消されるのなら、俺達大人二人は寛大な心で大目に見ようじゃ無いかね」
「ちょっと俺トイレ行ってきます」
飛び出していくトオルを見送り俺は一人で買い揃えた品々を四等分に分け、自分のカバンに荷物を詰めながら呟く。
「皆、若いねえ。まあ俺もいずれ暴発するかもだがな…」
トオルがスッキリした顔で戻って来て俺の作業を手伝い始める。夜の鐘が鳴るまで何度か隣からミヤコの声が漏れ聞こえていた。
晩飯の時間になったので俺とトオルは先に一階に降りてテーブルに着いたが、降りてきたのはトウマ一人だけだった。
「ミヤコはちょっと体調が悪いって言って…」
顔を赤くしながらトウマが俺達に言う。トオルは何か言いたげにニヤニヤしているが、俺はまあ年長者として一言だけ彼に告げた。
「そうか、じゃああとで部屋のミヤコにも晩飯を運んでやれ。明日の朝にはここを発つからな、程ほどにしとけよ」
「…」
無言で下を向いたまま食事を始めるトウマ。俺とトオルの苦笑いが止まらない。
食事の後、トウマを部屋に呼んで買い揃えてきた品の説明、個人の必需品と用法、そして共用の調理器具類等の説明、最後にそれにかかった経費の請求だ。
年配者だからって若者に奢ってやる必要などない。特に金銭面はしっかりと管理しておかないと揉め事の種になりやすい。
その日の夜中、トオルがベッドから起きて「あ~もう」と声を出して頭を掻きむしる。
隣の部屋から漏れ聞こえてくるのはミヤコの喘ぐ声、さすがに気になって眠れないのだろう。かくいう俺も同じだからだ。だがここは年長者としての体裁を整え冷静な口調で彼に話しかける。
「眠れないのかトオル」
トオルは無言で隣の部屋を親指突き立てて指し示す。そして彼は俺に宣言した。
「リュウセイさん、俺決めました。せっかく異世界に来たんなら、可愛いケモ耳娘を嫁にしてもうずっと離さないっすよ」
「いいねえ、建設的な夢で」
「リュウセイさんは夢は無いんですか。異世界ですよ。なにかこう求めるものとか」
「俺か、そうだな。金稼いで見目麗しいエルフ達を集めてエロいキャバクラみたいな店のオーナーにでもなろうかな」
「エロフのキャバクラ…、それいいっすね。俺もその店で使って下さい」
「ああ、支配人を任せようか」
「俺、リュウセイさんに一生ついていきます」
「あはははは、そうだトオル。お前酒は飲める口か?」
「まあ、それなりに」
俺は自分のカバンの中に隠しておいた酒瓶を一つ取り出す。
「防寒対策でここの女将から一番安い酒を譲ってもらったんだが、飲むか」
「異世界の酒ですか、頂きます」
よしと互いにベッドから出て共用のリュックからお椀状の木製食器を取り出す。
野外での食事は大抵スープになると聞いて買っておいたものだ。それに赤黒い液体を並々と注ぐ。
俺にとっても初めて飲む異世界の酒、さてそのお味は…。俺とトオルは二人で乾杯して同時に口にそれを含んで互いに歪んだ顔を見合わせた。
「うわっ酸っぱいですね」
「酸っぱくて渋いな。とても不味い、さすが最低価格の安酒。だが不味いが酒ではある」
「リュウセイさん、実は俺酒を美味いなんて思って飲んだことないんですよね。だからこれでも飲めます」
「俺も似たようなもんだな。酒の味の分からん奴と言われるのが恐くてとても職場の先輩後輩や取引先の社長には言えなかったが」
「そうなんですね。それ聞いて俺も安心しましたよ」
「そうか、そりゃよかったな」
「うい~っす」
俺とトオルは酒を飲みながら今の仕事とその仕事に就いた動機なんかを話した。トオルは特に何がしたいという目標が無かったので、とりあえず実家通いで金の貯まりそうな待遇の良い会社という条件でゴミ収集作業員を選んだらしい。
俺はというと再就職組のUターンってやつで、派遣切りやテント村なんていうのがニュースの話題になっていた頃、地元の再就職支援会場に顔を出したが、そこに顔を並べた地元企業の大半は役場からの要請で仕方なく出店ブースを設けただけで中途はお断り、新卒しか募集していない状況だった。
何社か回ったが中途組の俺はお呼びじゃないって放り出される中で、唯一まともに対応してくれたのが今の広告会社だったという訳だ。
まだ一杯目だというのにトオルの様子がすでにおかしい。俺に向けて木椀を差し出し虚ろな目をしながらろれつの回らぬ口調で声を出す。
「俺ひゃち生まれたその日はちばえども。死す時は同じ日同じ時をねぎゃわむ~」
「おいおい、この場で桃園の誓いかよ」
「リュウセイさん…俺、おへは~、うい~」
そのまま木椀を落として項垂れてしまう。こいつ相当な下戸じゃないか…。
俺は床に溢れたトオルの酒をポッケのハンカチで拭き取り、彼を抱えてベッドに寝かせた。
「まったく、世話の焼ける奴だ」
隣の部屋も静かになった。トウマとミヤコも寝たようだ。
一人残された俺は床に座り込んでもう少し不味い酒を飲みながら荷物の確認をし、それから就寝に入った。
* *
翌朝、夜明けを告げる朝の鐘と共に起床、桶を鉄貨二枚で借りて宿の裏で顔を洗いボサボサの髪を濡らして整え、次に酒で汚れたハンカチを軽く洗って絞り桶の縁に掛けておく。
寒空の中、体を少し温めるためにも錆の浮き出たロングソードを抜いて何度が振ってみる。中々重量があって重い。これが本物の剣という奴か。
自己流の素振りを追え、濡れたハンカチで軽く体を拭き、最後にそのハンカチをもう一度洗う。
宿の女将が朝食の準備が出来たと声を掛けてくれたので、身なりを整え宿へと入って行く。
町の外れの馬車乗り場の馬車は朝一の鐘(午前九時頃)に出発するという事なので、朝食を摂ったらすぐに宿を発つ事になる。
トオル、トウマ、ミヤコの三人がボサボサ頭の眠そうな顔で既に一階のテーブル席に着いていた。
「皆、おはよう」
「頭痛いっす」
トオルは酔いがまだ残っている様で、トウマとミヤコの二人は聞き取れない程の小さな声で俺に挨拶するとずっと下を向いている。
ミヤコには明らかな外的変化が見られ色白の肌が全身ピンクに染まっている。昨日のお楽しみ分の後遺症ってやつだ。それについては見て見ぬフリしてやるのが大人の対応ってやつだろう。
西のタミナスの街まで馬車で一週間の長旅、女将が用意してくれた保存食はお世辞にも美味そうには見えなかったから、おそらくこの朝食がまともな最後の飯になるだろう。
トオル、トウマ、ミヤコの三人は準備もまだみたいで朝食を忙しく掻き込むとすぐ二階の部屋へと戻っていった。準備を既に終えている俺は一人、この食事を味わって食うことにした。
食べ終える頃には三人が準備を整え慌ただしく階段を降りて来たので、宿の女将に頼んで四人分の革袋の水筒に水を補給してもらい、一宿のお礼を述べて宿を出た。
「あんた達、がんばりなよ」
宿の女将が通りにまで出て来て俺達に手を振って見送ってくれた。幸先の良い出発だ。この調子で良い旅になるといいが…。
町の門で正教会発行の身分証を提示するだけですぐに外に出られた。町の外に停まっている幌付の馬車、あれがおそらく乗り合い馬車ってやつなのだろう。
「タミナス行きはこの馬車でいいですか?」
「ああ、前金で一人銀貨十枚だよ」
銀貨十枚…、結構高い。色々と買い揃えて手持ちはあと一人銀貨十五枚って所だ。これを払うと殆ど手持ちが無くなってしまう。
俺が少し渋っていると、俺より少し年長に見える御者さんが武装した俺達の姿を見て口を開いた。
「ほお、冒険者かい。冒険者がいてくれると道中心強い。四人で銀貨二十枚に負けてやるよ」
「いえ、俺達は…」
正直に違うと答えようとする俺の前を塞いでトオルが胸を叩きながら自身満々で口を開く。
「そうなんですよ。俺達に任せて下さいよ」
「そうかい、そりゃ頼もしい」
トオルが振り向き俺に目配せする。
銀貨二十枚、つまり一人当たり半額で馬車に乗ることに成功した俺達。すでに女性一人男性二人の三人の乗客が馬車に乗っており、御者を入れて八人の旅になるようだ。
朝一の鐘が鳴る。
「タミナス行きの馬車、締め切るよ」
御者が周囲を行き交う人々に向けて声を掛けて反応を見る。乗客はもういないようだ。御者が掛け声を上げて馬に鞭を入れ、ゆっくりと俺達を乗せた馬車は進み始めた。
俺達の異世界で初めての本格的な旅が始まった。