急変
ベーンハイト伯爵家の王都屋敷にしばらくの間という事で滞在する事になった俺達。
元々相談事を持ち込む為に訪れたのは俺達の方なので、客人として歓待され続けるのは居心地が悪い。特に奴隷のロロルについてはオリビアと彼女の母親は気にも止めていないが、屋敷の使用人達は顔や態度にこそ表さないが避けているようにも見えて、端で見ていてあまり良い気分はしない。
トオルと密かに話し合った結果、当面は俺達の為に被害に遭ったと言えるシャロンの様子をしばらく見守ってから折りを見計らってこの屋敷を去ろうという事になった。
それまでは客人というより居候であると自分達の立場をわきまえ、屋敷の手伝いなども積極的に行っていくことにした。
トオルは水汲みや薪割りといった雑務を、ロロルは庭の掃除、そして俺は滞在の礼代わりに商店などから購入してきてもらった薬草をポーションにしたものを提供という事でオリビアに提案してみた。
「客人のままでも構わないが、そうしてくれるなら助かる」
そんなわけで午前中の作業と昼食を屋敷の使用人と共に行い、夕方はオリビアと共に俺とトオルは剣の稽古、そして夕食をオリビアとオリビアの母イヘルガと共にしながらいくつかの会話をする。
しかしこの母親、なぜか俺に対する質問ばかりしてくる。
出自などを問う事はしないが、その代わりに領地からの収穫の数字をいくつかあげつらって、俺にその総量の暗算をさせたりと、俺の知能を量っているのか? と思うような事ばかりするので、俺も舐められないように持ちうる知識を総動員して彼女の意地悪な質問に対応する。
政治、人心掌握、会話の心得、俺の持ちうる元いた世界での社会人経験と政治不信から収集した政治情報などが大いに役立ち、オリビアも母親も俺の言葉に目を丸くしていた。
「あっ」
「ロロル様、その食事はフォークをこのように扱って」
「うん、ありがとう」
夕食の時間はテーブルマナーを学ぶ事も兼ねてオリビアや給仕の者に指導を受けながらなので、上等な食事だが気の休まらない食事時間でもある。
そんな生活が数日続いた。
オリビア付きのメイドとして雇われたシャロンは特に問題なく働けているようだ。彼女の方も子爵家から伯爵家の使用人へとランクアップした事がやりがいになっているらしく仕事にも気合いが入っている。
彼女の顔にも笑顔が戻り、トオル騒動に始まったこの一件、放置せずに動いてよかったと思わせてくれる。
そんな穏やかな日々は突然終わりを告げる。
西のベーンハイト伯爵領からの急使が屋敷へと駆け込むと、当主であるオリビアの父親ロイド・ベーンハイト伯爵の死を彼は告げたのである。
「ロイドが」
「お父様が」
「領都のお屋敷が襲撃を受け旦那様以下多くの者が亡くなりました。屋敷の者で生き残ったのは隠れ潜んでいた馬屋番と街の巡回に出ていた兵士の一隊だけでございます」
屋敷を襲ったのは異形の者達。腕利き揃いの屋敷の兵士達が斬りつけても死なず、赤く不気味な目を光らせていたという証言、俺達とトオルはそれを吸血鬼の仕業ではないかと疑った。
一通りの報告を受けイヘルガは決断する。
「私はすぐに屋敷の者達を連れて領地に戻ります。夫ロイドの死を嘆くよりも先に領地の回復を試みるのが先。そうでなければベーンハイト家がお取り潰しという事もありえる」
「お母様、では私も」
「オリビア、この騒動が政治的な争いを元とするならここも危険。あなたは私と別行動にて一時国を出て身を隠しなさい。もし私も倒れベーンハイト家が消えたならば、あなたの手で家名の再興を」
「お母様!」
「リュウセイにトオル、急だけれどあなた達にオリビアの事を頼んでもいいかしら。この子を守って欲しいの」
有無を言わせぬ依頼。
とりあえずはファータル王国のイーサンを頼ろうという事に話は纏まり、屋敷総出でそれぞれの出立の準備を整え始める。そんな時貴族街の一画から火の手が上がる。
「あれは、ゲーテル子爵家の方角」
ベーンハイト家同様に『静観派』に属していた有力貴族家、この一連の事件に関係があるかもしれないと、被害の様子を探るために俺とトオルはベーンハイトの屋敷を出てゲーテル子爵家の屋敷を目指して走った。
* *
ゲーテル子爵家の離れ、病に伏せる子爵の母が住むこの場所は使用人達も立ち入り禁止とされ限られた者だけに看病の為に訪れる許可が出ている。その離れから破壊音が轟き屋敷警護の兵は慌ててその場へと向かう。
人に素顔を晒せない病と聞き室内への侵入を躊躇う四人の警備兵、だが非常事態と自分達に言い聞かせ意を決して中へと飛び込む。
薄暗い室内、外の雷雨の雷の瞬きで荒れ果てた室内の状況が見て取れる。室内の魔法灯に明かりを灯すと寝所の壁に剣や杭の様な物で貼り付けになっている若く美しい女性の遺体を彼等は発見する。
この状態はリーン王国内で暗躍する吸血鬼ウィステリアを待ち構えた『深淵の迷宮』の眷属ビオラによって成された事だが、現われたウィステリアとの戦いは場外へと移ってしまい、この吸血鬼化した女だけがその場に取り残されていたのである。
それが室内にある肖像画に描かれたゲーテル子爵の母であるとは気づかず、彼等はその遺体を床に下ろして検分しようと試みる。
突然警備兵の首が飛び血を噴きあげる。
死亡しているはずの女性は生きていて警備兵達に突如として襲いかかったのである。時刻は深夜、真っ赤な目をギラつかせ吸血鬼化したそれは殺した四人の警備兵の血を啜り、そして下級吸血鬼が陥る血の乾きの狂乱も相まってフラフラと屋敷の本館の方へと歩み出した。
その日、子爵家本館の子爵の寝室では夜の情事を営む男女の姿があった。
ゲーテル子爵に抱きつき甘い声色で彼に囁くのは彼の愛人であるメイドのスタルシャ。
「子爵様には私がいれば十分でございましょう? コロスビッチなんてちょっと胸と尻がでかい女なんてすぐに追い出して下さいまし」
「うむうむ、うほほほほ」
「ああん」
ベッドの中でイヤラシく微笑む子爵。改めてもう一回戦と奮起する彼の耳に部屋のドアを激しく叩く音が飛び込んでくる。
「何だこんな時間に、無粋な奴め」
子爵は燭台のいくつかに火を灯すと、その一つを手にしてドアの方へと一人歩いて行く。その姿を名残惜しそうに見送るスタルシャ。
「いい加減にしろ」
子爵はドアを叩き続ける者を叱るように声を荒げ、それと同時にドアを開いてその無粋者の顔を確認する。そして目の前に現われた女の顔を見て目を丸くした。
「お、お母様、しかしそのお姿は…」
子爵を凄まじい力で押し倒しその喉に牙を立てる吸血鬼の女。子爵の手に持つ燭台が床に倒れて部屋のカーテンに引火する。
「一体何?」
突然の事に驚き裸体のままベットから立ち上がるスタルシャ。
彼女の目に入ったのは炎の中で息絶えた子爵を押さえつけながら彼女の方に向いた吸血鬼の女の赤く光る目と口の周りを血で真っ赤に染めた恐ろしい姿。
スタルシャの叫び声が夜の闇の中に響いて消え、燃え上がった炎はそのままゲーテル子爵家の屋敷を盛大に燃え上がらせた。
* *
先程まで激しく降っていた雷雨は止み、今までの天気が嘘のように晴れた星空と赤い大きな星の姿を照らし出す。
俺とトオルの二人が燃えているゲーテル子爵邸に到着した時には、すでに貴族街の警備兵や近隣の住人達が集まって来てはいたが、既に手の施しようのない程に燃え上がった屋敷の惨状をただ眺めているだけだった。
「リュウセイさん、あれ」
トオルが燃えている屋敷の数軒先の屋敷の屋根の上に人影が見えると俺に伝える。俺がその方向に視線を向けると赤い大きな星を背景にして女性らしい姿の二人のシルエットが斧と細剣を振り回して戦っている。
「あれは」
思わずおれはそう声に出していた。
顔は分からないがあの胸の形と大きさから一人の女だけは断定出来た。神聖タミナスで吸血鬼討伐隊の中にいた回復術師を名乗る女、あの女に絶対に間違いは無い。
そう、男はある一定以上の大きさの胸とその形でその女性個人を顔以外で判別出来るというある種の特殊能力を有している。そういう悲しい生き物なのである。
二つの影はすぐに見えなくなったが神聖タミナスでの出来事を踏まえて今の状況から察するに、その回復術師を名乗る女がこの国で吸血鬼狩りを行っているのではないのかとも思える。
だが断定はできない。
「誰か出てくるぞ。生存者か?」
集まった者達の中から声が上がり、その声の先に人々の視線が注がれる。燃える屋敷の中から姿を現したのは一人の若い女性。
彼女の衣類は燃えながら次々とその場に落ち、ついには裸体の姿となる。焼け焦げた皮膚はその場で再生し美しく白い肌へと戻って行く。
数名の兵士達が慌てて彼女を保護しようと近づくが群衆の目の前で女の手刀が一閃、兵士達の首が飛び辺り一面は血の海となった。
返り血の雨を浴びながら赤い目を光らせその牙を剥き出しにして奇声を上げる若い女。
「何だ魔物か?」
人々は逃げ惑い兵士達は彼女に剣を向ける。
あの姿、間違いない。俺達は兵士達に向けて「吸血鬼」だと叫び魔物の正体を告げる。
「吸血鬼だと。なんでこんな場所に」
斬りかかっていく兵士達がその素早い動きと力強さの前に次々に倒されていき、兵の指揮官の顔が青ざめていく。
「トオル、俺達で殺るぞ」
「わかってますよ。リュウセイさん」
俺とトオルは吸血鬼の討伐経験があると兵の指揮官に申し出、他の兵を退がらせてもらう。
「その冒険者二人に任せてみる。全員で吸血鬼を囲み逃げ道を塞げ」
指揮官の声を背に俺とトオルは剣を抜いて前へと出た。
突然目の前に急接近しての吸血鬼攻撃、だが見える。剣聖道場での二年間が確実に俺達を強くしていた。その手刀の斬撃を受け数歩後退するトオル。彼の顔にも余裕の笑みがある。
「アオイ流剣術 猫破乱鱗」
防御剣術の技名を口にするトオル。やはり締まらない技名だと改めて思う。下級吸血鬼の倒し方は心臓を一突きして動きを止め首を刈り取る。または魔法で焼くか魔法剣の類いで致命傷を負わせる事だ。
「「うおおおお」」
今度は俺とトオルが斬撃を浴びせながら吸血鬼を追い詰め、俺の剣が吸血鬼の心臓を貫いた。剣を手放しその場から俺が跳び退く。
「魔法剣 炎」
トオルが自身の剣に炎の魔法を纏わせ動きを止めた吸血鬼の体を袈裟に斬り下ろし、俺は左手の籠手に仕込まれたミスリル銀製の二本の爪を押し出すと吸血鬼の首を横薙ぎに一閃して斬り飛ばした。
吸血鬼は地に落ちた首と体の斬り傷から同時に炎を吹き上げて燃えていき、そして多くの人々が見守る中で塵となって消えた。
ベーンハイト屋敷に戻った俺達はゲーテル子爵家での出来事をオリビアの母イヘルガに告げる。
「ゲーテル子爵家にも吸血鬼が現われた? 我が領地を襲った者達と関係があると見て間違いないでしょう」
最初は『静観派』と『主戦派』で割れる政争の敵同士が互いに誘拐や殺人を起こしているのではと疑った彼女は、貴族街に入り込んだ吸血鬼がそれとは別に騒動を起こし被害を拡大させたのではとも考えた。
しかしそれでは領地襲撃との関係が繋がらない。
イヘルガが出した結論はこの政争の背後で吸血鬼が暗躍し『主戦派』を有利に導き魔国侵攻へと国論を動かそうとしている事、利害関係の無い吸血鬼が黒幕では無く吸血鬼を使いこの事態を引き起こした黒幕が別にいるのでは? というところであった。
では何の為に? 真の黒幕は何者? それは分からなかったし、下級吸血鬼が発生したのであれば動いているのは上級吸血鬼、その上級吸血鬼は何処にいるのか? 下級吸血鬼を殺して回っている者の存在は?
とにかく俺達にとっては疑問だらけの事件である。
分かっているのはベーンハイト伯爵家の仇敵は吸血鬼であるという事実。その事を胸にオリビアも彼女の母イヘルダも翌朝、日の出と共にこの王都を後にした。
俺とトオルとロロル、オリビアとシャロンの五人での隠密旅。
目指すのは南のファータル王国。ずっと気丈に振る舞っていたオリビアだったが、最初の日の野営で彼女は初めて涙を見せ、そして俺の腕にすがりついて父の死を嘆きながらその夜は泣きじゃくっていた。




