妻、二人来たる
その女が現れたのは
ホントに突然の事だった。
ロイは遠征中で、
王都の家にひとりでいる時の事だ。
チャイムが鳴り、ドアを開けると
そこには黒い髪をきっちりと結い上げた30代くらいの女性と、その女性に手を引かれている5歳くらいの男の子が立っていた。
「はい、あの……どちら様でしょうか?」
わたしが尋ねると、女は顎を突き出してわたしを
見下すように眺めてこう言った。
「アンタが本妻を気取ってる女?」
「はい?」
はて?本妻を気取るとはどういう意味だ?
「アタシはね、
ロイド=ガードナーの一番最初の妻よ。
後から出てきた癖に図々しい。
とりあえず、家に入らせて貰ってもいいかしら?」
わたしが許可を出す前に女はズカズカと
我が家に足を踏み入れた。
「ちょっ……!」
あまりにも唐突で、そしてあまりにも横暴な
物言いに腹が立ち、無理にでも引き止めようと
思ったが連れていた子どもとふと目が合ってわたしは息をのんだ。
黒い目だ。
ロイと同じ黒い目。
ロイの他には会った事も見た事もない
黒い目の人間。
今の女はなんて言っていた?
自分もロイの妻だと。
という事はあの子どもは……。
わたしは突然の出来事に目の前が真っ暗になった。
その後の事は実はよく覚えていない。
断片的に覚えているのは
あの女が言った事。
ロイとは5年前に知り合って、
夫を亡くしたばかりの自分を妻に迎えてくれたと
言っていた。
子どもはもちろんロイの子で
故あって一度はロイと別れたが、
やっぱり一番最初にロイの子を生んだ自分こそが
本妻に相応しいのだからわたしにとっとと
出て行けとも言っていた。
そして……
「ロイド=ガードナーはアンタと結婚する時は
確かに妻はアンタだけだったけど、
今は各地に数名の妻がいるのよ。
へぇ?知らなかったんだ?かわいそー。
もちろん子どももね。
子ども達はみんな、瞳は黒いのよ。
この意味、わかるわよねぇ?」
と、女は言った。
その後、女がどうやって帰ったのかとか
他に何か言われたのか何も覚えていなかった。
気がつけば日も暮れて真っ暗になっていた部屋の中にぽつんと佇んでいた自分と、
女が置いていった一枚の魔力念写だった。
その魔力念写には
先ほどの女と、まだ赤ん坊だった頃の黒い目の
子どもと、そして優しげに笑うロイが写っていた。
どういう事?
わたし以外にも妻がいるって。
子どもも数人いて、
みんな黒い瞳を持っているって……。
あの女が口で言うだけなら
きっとわたしは頑なに信じなかっただろう。
でもあの子どもの黒い目と
この魔力念写に写っているロイ。
こんなに疑いようのない事実を突きつけられて
それでも信じていられるほど、
わたしの頭はお花畑ではない。
あの女の話だと
わたしと結婚した時には他に妻はいなかった。
でも、今はいる。
一体何人?
いつの間に?子どもまで作って……。
知らぬはわたしばかり也、か……。
ダメだ。
泣けてきた。
何も知らずにのほほんと暮らして、
旦那の裏切りに気づかなかったアホなわたし……。
情けなすぎて涙が出てくる。
わたしは夜通し泣いた。
次の日も泣いた。
よくもこんなに涙が溢れてくるもんだと
感心するくらい、泣き続けた。
あの女が来てから3日後、
イザベラが我が家を訪れた。
例の如く派手にドアを開けて。
「ハァーイ!ブスぅ!
元気にしてっ…て、何!?その泣き腫らした超ブスな顔はっ!?」
「イザベラぁぁ……!」
「何!?一体ブスの身に何がっ!?」
わたしはイザベラの大きな胸に縋りつき、
年甲斐もなくわんわん泣いた。
やがて泣くのにも飽きてきたのか
疲れてきたのかわからないけど、
わたしの涙はピタリと止まった。
イザベラが温かいミルクティーを
淹れてくれる。
立ち上がる湯気が心地よかった。
同じミルクティーをがぶ飲みしながら
イザベラは言った。
「ふぅぅん……。あの旦那がねぇ。
まぁ昔は相当遊んでたんでしょ?
男の下半身は別のイキモノだっていうしねー。
でもアタシは俄には信じられないなぁ。
あんなにアンタにぞっこんのあの旦那がぁ?」
「でも、こんな魔力念写もあって……」
「うーん……
これだけではなんとも言えないんじゃない?
アンタと結婚する前の魔力念写なんでしょ?
やだ、アンタって男の過去にもうるさいタイプ?
今更言っても仕方ない事をウジウジ言ったりする?
アンタとデキちゃう前の女の手垢も許せないみたいな?
潔癖症みたいな?心、狭ぁぁ~!」
「過去の事を責めるつもりはないわよ、
許せないのは結婚後の事よっ。
わたしの知らないうちに遠征先で現地妻を作るなんて、酷くないっ!?」
「でも……悔しいけど、
国が認めた一夫多妻制度該当者なんでしよ?」
「……全く知らなかったけどそうらしい」
「じゃあ法的に罪を犯したわけじゃないし、
本人の自由意思なんだから仕方ないんじゃ無い?
……というのはタテマエで、
アタシもダーリンに他に女がいたら許せないわね。
イチ○ツちょん切って、生花にしちゃう」
「そうよね、やっぱり許せないわよね」
「許さないと思うなら、
別れるしかないんじゃない?
向こうは別にアンタに許して貰わなくても妻は
娶れる立場の人間なんだから」
「そう、よね……そうなのよね。
旦那が帰って来るまで考えてみる」
「まぁそうなさい。
そして二人でよ~く話し合いなさいな」
「うん……ありがとう」
イザベラが帰った後、
わたしは散々考えた。
自分がどうしたいのか。
これからもロイと夫婦でいるのか。
……わたし自身の本音で言えば、
ロイと別れたくなんかない。
こんなにも好きなのに。
でも……あの黒い瞳の子どもの目が
忘れられない。
子どもには罪はないもの。
そして子どもには両親揃っている方が
いいに決まっている。
(事情にもよると思うけど)
でも他にもロイ譲りの黒い目の子どもが沢山いるって?
わたしとの間には
子どもはいないのに?
ダメだ、また泣けてきた。
わたしはそうやって
あの女が来てから五日後、
ロイが遠征から帰ってくるまでひたすら泣き、
一つの結論を出した。
「ただいまララぁ~
今回もホンっトに疲れたよぉぉ~」
ロイは変わらずお菓子のお土産を
買って来てくれる。
でももう少しも嬉しくはなかった。
散々泣いたからか、
不思議なくらいに心が凪いでいた。
わたしは笑顔を貼り付けて出来るだけ冷静に、
そして冷淡に聞こえるように言った。
「そう。お疲れ様。
でも遠征先の奥さんと子どもと楽しくやってたんでしょ?
良かったじゃない、辛い遠征先に癒しの存在がいてくれて」
わたしがそう言った後、
ロイの顔からどんどん血の気が
失せていくのをわたしは冷えた心で見ていた。
「なっ……何故、どうして「どうして知ってるのかって?」
わたしは切り捨てるように言った。
「あなたの一番最初の妻だという人が
この家に来て教えてくれたのよ。
あなた譲りの黒い目を持った可愛い子ども
も紹介してくれたわ」
「なんだって?エルがっ!?」
わたしの頬がぴくりと反応した。
「……そう、エルさんて言うの。
あなたの子を生んでないわたしが本妻の座に
収まってるのはおかしいんだって。
だからとっとと別れろって。
まぁ確かにそうよね。あなたの子どもまで
産んでくれた人を蔑ろにして、
わたしみたいな女があなたの側に居続ける
わけにはいかないものね」
わたしはそう言いながら
エルと呼ばれたあの女が置いていった
魔力念写をすっと差し出した。
ロイはそれをまじまじと見てから
わたしの方へ顔を向け直す。
「何を……言っているの……?
ララ、どういう事?」
「どういう事もこういう事もないわ。
わたし達、別れましょう。
あなたは一夫多妻が認められた人。
何もわたしだけに拘る必要はないという事よね。
沢山の奥さん達と子ども達と仲良くね」
「ララ!」
踵を返して部屋を出て行こうとする
わたしの手をロイが掴む。
「離してっ!」
わたしはロイの頬を思いっきり張った。
自分の手が痺れて痛くなるくらいに強く。
でもロイは引かなかった。
それどころか両手に囲いこまれて
掻き抱かれる。
「やだっ……やめっ……
アンタなんか大嫌いやっ!!離せっボケっ!!一遍どころか十遍死んでこいっ!」
わたしは封印していた
カンサイ州弁で罵った。
でもロイの手が緩まる事はなかった。
それどころか更に強い力で抱きすくめられる。
「ララっ!!ララっ!!
お願いだよ、信じて!!俺を信じて!」
「何をどう信じろっちゅうねん!
ウチに黙って他所でようけ女拵えて、
どの口がほざくねん!」
ロイは目に涙を溜めながらわたしに
縋ってくる。
「妻にしたのは名義だけだよ!!
本当の妻はキミだけだ!
彼女たちも子どもたちもちょっと訳ありで、見捨てるわけにはいかなかったんだ!」
「そんな話、だれが信じるねん!
珍しい黒い目が大量発生したとでもいうんかいっ!!」
「した!としか今はまだ何も言えないんだっ、
でもお願いだから信じて欲しいっ
俺にはララだけだ、……妻は沢山いるけど
体の関係を持ったのは一人もいない……
ララ…頼むよ……信じて、よ……」
「なんで黙っててん、それやったら隠さんと
話してくれれば良かってん。疾しい事があるから
ウチに言われへんかったんやろ!言うてみぃや?
一体子ども何人おんねん!」
「……子どもは、確実に俺の子じゃ…ない、
出来る事もしてないし……出来るはずが……」
「っロイ!?」
そう言って、ロイは意識を失った。
なぜ突然意識を?
遠征先から戻ってすぐの
このやり取りで体に負荷が掛かった?
その後はとにかくロイをベッドまで運び、
騎士服を脱がせたりとてんやわんやとした。
わたしはその後も何度も離婚を願い出た。
だって他の妻の一人からは
ロイとキスしている魔力念写《写真》を
送りつけられたりして
ホントもうウンザリしていたから。
何度も何度もロイに離婚届けを
突きつけた。
その度にロイは半泣きになりながら
本当の妻はわたしだけだとか、
妻はみんな子どもを抱えた未亡人で、
訳は言えないだとか言って、
ちっとも取り合ってくれない。
じゃあ現地妻を切ってくれと
頼んでも今はそれは出来ないの
一点張り。
それならもう強行突破だと思い、
ロイの遠征中に家を出ようと思ったら
玄関でロイに捕獲されてそのまま寝室に連れて行かれて断念した。
あの夜の事だ。
そしてなんの現状も変わらないまま
現在に至る……。
あのエルとかいう女が現れてどのくらい経ったか。
……3ヶ月を迎えるか?
そろそろ法的な手続きを取って、
第三者に入って貰う方がいいか……?
と思い始めた頃、
また突然一人の女性が我が家を訪れた。
女性はあのエルという女と
同じ30代くらいに見えた。
セシルと名乗ったその女性は
今までのお礼とお詫びを、どうしてもわたしに
言いたくてわざわざ地方から王都に
来たのだという。
なぜ見知らぬ女性にお礼と詫びを入られるんだ?
と思ったが、
ロイ絡みだと聞いて仕方なく話を聞く事にした。
応接間に通してお茶を出す。
そんな気になれたのは
この女性の纏う空気感からかもしれない。
わたしに対する悪意は微塵も感じられず
穏やかで落ち着いた口調だったのも
大きな要因かもしれない。
応接用のソファーの向かいに座ったわたしに、
女性はこう言った。
「ロイド=ガードナー卿には夫亡き後、
三年間お世話になりました。
卿の持たれる“一夫多妻制度”により、
子どもと共に保護して頂いたのです。
でもこの度、子どもが14歳になり、騎士見習い
として精霊騎士団でお世話になる事になりました。わたしの職も安定してまいりましたし、
ガードナー卿の扶養を外れて
再出発する事になりました」
………ちょっ、ちょっと待って。
今回も情報量が多すぎて
一度に理解が追いつかない。
保護して扶養?
14歳になった子どもが精霊騎士に?
というか、まず……
ガードナー卿って………誰や?