術式師という仕事
数学に公式があるように魔術にもそれがある。
それを術式といい、
“炎”や“水”、“回復”や“護り”などの
魔力を持つ古代語を組み立てて、
一つの魔術にするのだ。
その古代語…術語というのだが、
それを並べ、組み立てて一つの術式を構築する、
それが術式師の仕事だ。
私の実家は代々魔力を受け継ぐ家系で、
皆それぞれ魔術師になったり精霊使いになったりと、魔力を活かした職に就いていた。
わたしは魔術師よりも
その魔術師が使う魔術の術式を作り上げる方が向いていたらしく、
数々の術式を生み出し特許も得ている。
大きな紙に向き合い、
頭の中で壮大な古代の浪漫を感じながら
術語を組み立てカリカリと書いてゆく。
誰も何も必要としない、
紙と術語とわたしだけの簡潔した仕事だ。
そこら辺もわたしに向いている。
今日も住居一階の、
応接間兼事務所にしている部屋で
日当たりの良い場所に置いた作業机に向かい
カリカリカリカリ書いていた。
その時、玄関の扉が勢いよく開けられる。
「ハァーイ!ララ!!
おはこんばんちは~~!!」
来たよ、うるさいのが。
ノックという言葉を知らんのか。
「イザベラ、ノックをしてから入って。それから
ドアは静かに開けてとお願いしてるでしょう?」
「なによぅ、ブスのくせに~生意気よっ。
いいじゃないノックなんて、
アンタとアタシの仲なんだからさ」
「どんな仲よ」
「キャッ!ヤラシイ!
腐れ縁の仕事仲間でしょっ!」
わたしはジト目でこの女……
体は男だけど心は女のイザベラ(28)を
睨め付けてやった。
イザベラはわたしが術式師を始めた
頃からの仕事仲間で、
注文主さんとわたしの繋ぎ役を
買って出てくれている。
「イヤだ、ブスがそんな顔してたら
余計にブスになるわヨ、それより注文してた術式は出来たの?」
「ブスブス言うな。
もちろん、ちゃんと出来てるわよ。
〈庭に雑草が生えにくくなる魔術〉の術式で
良かったのよね?」
「そうそう。
実際有れば超便利な魔術よね」
「術式は組み立てられたけど、
はっきり言って素人に扱える魔術じゃないと
思うわよ?ひとつ間違えれば逆に雑草天国
になっちゃうから」
「あはは!なにソレ、ウケる~!」
わたしはその
〈庭に雑草が生えにくくなる魔術〉の
術式を書いた上質な紙を丸めてリボンで括る。
リボンの色は新緑色、わたしの瞳の色だ。
わたしが組み立てた術式はわたしの子ども、
わたしの分身だ。
だからわたしの瞳の色を添えて送り出す。
それをイザベラに渡した。
「ハイ、確かに。
それで?この頃は旦那はどう?
相変わらず帰って来ないの?」
「旦那?どこの旦那?
わたしに旦那はいないけどな~~」
「うわっなに?現実逃避?
まだ離婚して貰えないの?」
「……まあね」
「なんであんなイイ男がアンタみたいな可愛げの
ない女に執着すんのかねぇ?
渡り歩く妻がいっぱいいるのに」
「わたしが聞きたいわ!」
「アンタもアンタで律儀なのよ。
そんなに離婚したいなら離婚届だけ置いてさっさと出てけばいいじゃない。ウチでよければ暫く居候させてあげるわよ、ダーリンがいるけど♡」
「うん……そうなんだけどね……」
わたしはイザベラのためにお茶の支度を始める。
今日の茶葉はアールグレイにしようかな。
「なんやかんや言っても、アンタも旦那と別れたくないんでしょ?」
「それはない。絶対ない。
スパァッとキレイさっぱり別れたい」
「そこまで言うならさ、
もう行動に移した方がいいんじゃない?」
「……4年も一緒に暮らして、
留守の間に出て行くなんて不義理じゃない?」
「不義理をしてるのは向こうでしょ?
べっつにいいんじゃなぁぁ~い?」
「そっか……そうよね」
「そうよ!そうよ!」
そうね。
どれだけ待ってもいつ帰ってくるかなんか
わからない旦那を待っていたら、
いつまで経っても新しい人生なんて
踏み出せない。
向こうも勝手にやってるんだ、
わたしも勝手にしよう。
イザベラは
じゃあ我が家で待ってるわよ、と告げ
来た時と同じように勢いよくドアを開けて
出て行った。
わたしは魔術が施されたトランクに荷物を
詰めてゆく。
このトランクは入れても入れても一杯にならない
術式が掛けられているので
幾らでも荷物が入る。
かと言って、質量が変わるわけではないので、
入れた物の重さはそのままである。
つまり、あまり入れすぎると持てなくなるのだ。
落ち着いたらまた荷物は取りに来るとして、
とりあえず必要な仕事道具と
化粧品と衣類と……
そうやって様々な私物を入れてゆく。
長年使っている愛用品ばかりだ。
兄が使っていた形見の品もある。
旦那から贈られたものは置いてゆこう。
変に未練を引き摺りたくないし、
妻の中の誰かとお揃いだったら死にたくなる。
そんなモヤモヤした思いも、
旦那への想いもみんな置いてゆこう。
わたしは最後に住み慣れた家に
感謝の気持ちを込めて丹念に掃除をした。
ついでに洗濯も。
旦那はいつ帰ってくるかわからないし、
わたしは干し終えたら出て行くつもりなので、
空き部屋に室内干しをして行く事にした。
ベッドシーツも枕カバーも
テーブルクロスもみんなみーんな
洗ってしまおう。
これが最後だ。
18歳でプロポーズされてそのまま結婚。
4年間夫婦をやっていたが、
一緒に暮らせた日々はそんなに多くない。
毎月2週間くらい?
その後は旦那は
他の妻の元へ遠征と共に転々としてゆくのだ。
そりゃ子どもだって出来ないわ。
(他所では出来てるけど)
やっぱりもう無理。
わたしだっていつかは子どもが欲しい。
毎日ちゃんと家に帰って来る旦那と子どもと
一緒にごはんを食べて、
たわいもない話をして笑い合う。
そして夜は家族みんなで一緒に寝るのだ。
いつしかそんな暮らしに憧れるようになっていた。
ここにいては、
旦那と一緒に居てはいつまでたっても
そんな暮らしは出来ない。
だからもう、出てゆこう。
離婚届に署名をし、捺印する。
それをテーブルの上に置いた。
手紙は敢えて残さない。
お互いもう何も話す事はないだろうし。
わたしも今更色々書いても仕方ない。
いや、書き出したら文句ばかりになって、
辞書のような分厚さになりかねない。
だからやっぱりやめておこう。
わたしはトランクを持ち、
玄関へと向かう。
家の中を一歩一歩歩きながら、
色々なものに別れを告げてゆく。
そして扉の前にたどり着く。
ここを開けて外へ出れば、
もう後戻りは出来ない。
ララ、いいのね?
「ええに決まってるやろ」
わたしはドアノブに手をかけ、扉を開けた。
「……?」
なにかしら?
ドアの前に壁がある。
外に出られないわ。
わたしはゆっくりと顔をあげた。
「……ロイド」
そこにはいるはずがない、
まだ帰って来るはずのない旦那が…ロイドが
立っていた。