是非も無く (side 銀狼)
転移した先はこの数日何度も訪れた空間で、今はぼんやりと薄明かりに照らされていた。
その薄明かりに浮かび上がる、黒い山へと声を掛けた。
『我をお呼びとの事。』
『このような時分に呼び出してすまぬな』
『何の事もございません。』
掛けられた声に御方が呼び出しを侘びた。
精霊を通じて呼び出された事に、問題は無いと返す。
実際に銀狼である自身にして見れば、十日やそこら休まずとも全く影響は無く、安全な結界の中で番と子が寝ている今時分の方が、何の憂いもなく動けるのだ。
そして態々自身のみを呼び出したのは、何か重大事であることに他ならない。
『して、いかがなされました、御方。』
『うむ。折り入って其方に頼みがあってな。』
『我の力の及ぶことなら、是非もなく。』
我が子の恩人の頼みと聞いて間髪入れずに答えた。
『大した事では無い。其方がこの森に滞在する間、またこの森を離れた後、時折で良い。この場所の様子を見てやって欲しいのだ。』
『!!』
頼みを聞いて驚いた。
今、眼前にある姿には圧倒される程の魔力と、命の輝きが確かに有る。
だが、先程の言い方では…それではまるで…。
『我が孫でもあるまいに、そのように慌てるでない。この身に残る命は直ぐに尽きるものでは無いが、少々事情が変わっての。』
思いがけない内容に動揺するあまり、言葉を無くしていると、御方が苦笑を漏らした。
『恩ある方にあの様に仰られては、慌てもしましょうぞ。変わられた事情とは我が子の主殿に関してですな。』
安堵の息を吐きながら、確認するように聞き返す。
『うむ。我が孫は物心つく前に経験した、自身を守り抜いた者との死別の痛みを心に深く刻んでおった。それ故、大切な者を失うまいと必死になる。大切にしすぎて、壊れることを恐れて甘える事も出来なくなっておった。今回の事で自身の心と向き合い、多少なりと変わってきてはおるが、新たに宿った力の大きさ故にそう簡単にはいかぬだろう。』
先の覚醒の眠りの際に、御方は度々精神の中へと渡り様子を見守っておられた。
その際に、あの者の持つ記憶をご覧になったのだろう。御方は言葉の端々に、悲しみと心配を滲ませる。
『幸いにも、私には血の繋がりが有り、ヴェルデにとって身内であり、強者だ。ヴェルデも本能で感じているのだろう。明け透けな感情を真っ直ぐにぶつけてくる。』
血縁者に巡り会えた事は、我が子の主だけでなく、御方にとっても望外の喜びであったことに相違無い。だが…。
『ヴェルデにとって今暫くは、そのような相手が必要だろう。だが、今のままでは側にいることが難しい。この身で動けぬのならば、魂の依代を変えてやろうと思うてな。』
『御方…。』
話の流れより薄々予想はしていたが、はっきりと口にされた言葉に、どのように返すべきなのか。
『ただこの場所で命が尽きるまで待つだけだった私の元に、ヴェルデがあの剣と共に訪れた。これも星の導きであるなら、命の残り火を見守る事に捧げるのも悪くはなかろう。私の頼みは単なる我儘だ。しかし其方を困らせるつもりは無いのだ。無理にとは言わぬよ。』
ああ、やはり、やはりか。
だが御方の言葉には共に在るべき未来への想いが感じられる。
そうであるならば、我が敢えて言葉を掛ける必要はないのだろう。
『心外ですな。先に申した筈です。我が力の及ぶ事なら是非も無いと。』
無理を強いるつもりは無いと言う御方に言葉に憤懣やるかた無しと返す。
その程度の事で御方の憂いが晴れるなら、引き受けて当然ではないか。
お付き合いいただき、ありがとうございました。




