ひきこさん(2)
昼休みも残り十分位になった頃、英二のクラスの担任である女性教師が慌てた様子で教室に入ってきた。
生徒達に自分の席に座るように告げると、彼女は一度室内を見渡した。全員いるかを確認するためだ。もっとも、彼女が教室に現れる少し前に生徒は自分の教室に戻るように放送があったため全員居るのが当然ではあるのだが。
「いい? 皆よく聞きなさい。臨時の職員会議で決まったのだけど、今日は午後から臨時休校になります」
その言葉に生徒達は喜んだ。退屈な授業からいつもより数時間も早く開放されるのだ。静かにしなさい!と声を上げる担任の声も聞かず、近くの友人と何処に遊びに行く?等と騒ぐ生徒達。そんな様子の教え子達の態度に教師は口元をヒクつかせ、黒板に爪を立て思い切り引っかく。
「だまれっつってんだろーがあぁぁぁぁぁ!」
彼女の名は猪口綾子。若かりし頃にヤンチャしていたのは生徒達には内緒である。
「人の話はちゃんと聞きましょうねぇ?」
「イエス・マム!!」
にっこりと微笑んで見せる彼女に敬礼しつつ返す教え子一同。彼等の認識は一致した。決して彼女を怒らせてはいけない、と。
「真面目な話だからちゃんと聞くように。さっき警察から連絡があってこの近くで何か事件が起きたみたいなの。それで急遽休校が決まったわけなんだけど、出来れば保護者に迎えに来てもらいなさい。それが無理な場合は複数人で下校する事。いいわね?」
それだけ告げると彼女はあわただしく教室を出て行った。残された生徒達の中で言われた通りに保護者に連絡を入れようとするものはごく小数。そんな中、英二はまたも空を見上げ呟いた。
「最悪だ……」
「何が?」
ビクリと体を揺らし、声のほうへと顔を向けるとクラス委員を務める女子生徒木下美穂が彼を見下ろしていた。
まさか独り言を聞かれるとは思わず彼は恥ずかしそうに頭を掻く。
「あー……傘持ってきてねえから濡れて帰るのかとおもうと、ね」
「ふーん、大変ね。とりあえず教室の鍵締めたいから出てくれる?」
気がつけば教室に残っているのは英二と不機嫌そうに彼を見下ろす美穂の二人だけ。
教室の外では彼女の友人らしい女子生徒が数名ニヤニヤしながらこちらを覗っている。
「あ、悪い……」
立ち上がり急いで教室を出ようとする英二のシャツを美穂が掴む。
不思議そうに首を傾げる英二に彼女は鞄の中から取り出した折りたたみ傘を押し付ける。
「えっと……?」
「使いなさい!」
顔を真っ赤にした彼女はそれだけ言うとさっさと教室を出て行く。
「……鍵は?」
状況が良く飲み込めないまま、教室にはぽつんと英二だけが残されていた。