反省会
「それでは、今日の反省会を行いますよぉ~!」
教壇の前で得意気に胸を反らせてパチンとウインクする女性。
本人は威厳を出そうとしているのだろうが、正直、小学生が背伸びしているようにしか見えないのが悲しいところ。
心は25歳のお姉さん。体はちびっ子、戦闘実習担当もも先生である。
今日も元気にフリフリのお洋服に身を包み、ふんわりボブカットをはためかせ、意味不明の掛け声と共にモニターを操作するその姿はもはや犯罪臭すら漂う幼女様だ。
絶無の胸を強調しながらウインクする幼女を見て、俺は反射的にポケットの中の飴玉を探す。
もも先生と仲の良い担任のクリスティナ先生曰く、本人は『大人の色気で生徒を悩殺!』しているらしいが、正直言わせてもらうと、ペコちゃん以外の何物でもない。
「ああ…… ももたん先生マジ可愛い…… てか可愛い過ぎてヤバい! ミナちゃんどう思うよ!?」
「俺はとりあえず変態は錬金科に帰れと思ってる」
今学校を休んでいる隣の田嶋さんの席に座り、ひたすらハアハアしているのはもちろん錬金科が誇る天賦の変態だ。
なぜコイツが授業中に冒険科のクラスにいるのかゲンナリだが、見た目小学校低学年の合法つるぺったん様に真理男さんのテンションはうなぎ上りである。
「なあミナちゃん、ももタソセンセに告白する時は何を贈ったらいいと思う? やっぱランドセルかな?」
「黙れ。話しかけるな穢らわしい」
ハアハアうるさい。貧乏ゆすりをやめろ。そしてズボンから手を出せド変態が。
「はいみなさん、先生にちゅーもーくッ!!」
「してるよ先生……」
「してますわ先生」
「ももタソかわゆいよももタソ…… ハァハァ」
しまいには隣の変態が「食べちゃいたいおっ!」とか言い出したので、速やかに頸動脈を締めて居眠りさせた。
ももちゃん先生は戦闘技能の先生だ。とてもじゃないが強そうには見えないし、戦っているところを見たことが無いので強いのかわからないが、相当強いらしいということは聞いている。
レベルという無茶な概念が誕生した時点で、屈強な外人レスラーが幼女にも負ける事もまた当たり前に起きうる。つくづくとんでもない世界に足を踏み入れてしまったものだと思った。
「先日の戦闘実習、時間まで見事に到着したのが4チーム、残念ながら時間までに来れなかったけど到着したのが3組、リタイアしてしまったのが2チームでした! 中には惜しいチームもありましたね! 次こそは頑張りましょう!」
視線だけで斜め前を見ると、悔しそうに顔を歪めるドリルさんがいる。
なぜこんな底辺校に入ってしまったのか首を傾げたくなる優秀な奴は、俺の知っているだけで3人いるがドリルはそのうちの一人だ。
先日の実習では彼女より遥かに実力の無い連中が普通にクリアしていたので納得がいかないのは理解できた。チームで攻略するときの不確定要素がいかに重要かという事を思い知らされる。
彼女たちは結局時間までに到着することが出来なかった。
「でも、先生嬉しかったです! レベルアップの衝動で動けない仲間を見捨てずに行動し続けたチームがありました! ダンジョン攻略はチームワークです! 課題より仲間を優先する態度は、今後皆さんがダンジョンに潜る時、一番求められるものです!」
もも先生が小鼻を膨らませて興奮気味に語る。先生の言うチームとはドリルのチームの事だ。
結局彼女たちは尼子屋を見捨てなかった。
この事に驚いたのは俺だけではない。いつも尼子屋を容赦なくパシリに使っている姿を誰もが見ているし知っている。いじめにも見える事を平気でやっておきながら、いざという時に見捨てない心意気は彼女の意地なのだろうか、それとも他に理由があったりするのだろうか。
ともかく、当の本人は褒められているものの素直に受け止められないらしく、不機嫌そうな態度を崩すことは無かった。
そして、彼女たちが課題をクリアできなかった原因となった尼子屋は縮こまり、机の一点を見つめて震えている。やはりいくら褒められても迷惑をかけた張本人がヘラヘラ出来るはずも無し。彼女たちの腹いせに怯えているのか、それとも悔しさを噛みしめているのか。
その後も、ももちゃん先生は良かった点、悪かった点、アドバイスや注意点を述べていき、総評が終わった。
最期に先生が今回の最優秀賞を葵に贈ると、ドリルがギリっと唇を噛んだ。理事長の娘として学校の立て直しを背負う彼女にとって、他のクラスメイトに負ける事は許せないのだろう。
悔し気に葵の背中を見つめる視線には、嫉妬や逆恨みといった負の感情は無く、ただ純粋な闘争心だけがあった。正直、嫌味で面倒くさいヤツだと思うが、そういう潔いところは嫌いではない。
ともあれ、今日の授業はこれで終了だ。
終礼のチャイムが鳴り、ホームルームもそこそこにクラスメイト達が帰りはじめる。そんな中ポツンと一人、席に縫いつけられたように微動だにしない尼子屋に声をかけた。
「よお、調子はどうよ」
「え? あ、一之瀬君、この前はありがとね。助けてくれたんだよね?」
「まあ…… ほとんど葵の撲殺技のおかげだけどな」
「それでも助けてくれた事には変わりないよ。ありがとね」
微妙に固い笑みを浮かべて謝意を伝えてくる尼子屋。きっと普段あんまり喋った事も無いヤツに話しかけられて困惑してるのだろう。
その態度は終始おどおどしていて浮かべる笑みも薄っぺらい。
不意に視線を感じてあたりを見回すと、ドリルがもの凄い怖い顔で俺たちを見据えていた。
パシリを盗られてイラついているのか、それとも借りを作った相手がパーティーメンバーにちょっかいかけるのが面白くないのか。
「なあ尼子屋、お前何であいつらと一緒にいるの? 小間使い扱いされてることはわかってんだろ?」
「僕は…… 守らなくちゃならない約束があるんだ。強くならなきゃいけなくて、でも僕なんかとパーティー組んでくれる人もいないから……」
「だったら俺たちのパーティーに来るか? 弱小だけど結構自由でいい感じだぞ?」
尼子屋の戦力は未知数だ。闘えるかどうかも俺は知らない。そして俺たち2人は戦えるかどうかもわからない奴を抱える余裕は無い。
だが、自分でもなぜかわからないが気付いたら誘っていた。正直、憐れみとか同情みたいな気持ちも多分にあった。男が女にいいように使われている、なんていう時代遅れな憤りは全くと言って良いほど無いが、最初から無い居場所を守るためにただ燻っているだけなら、俺たちと一緒に来た方が良いような気もしていたんだ。
「え、でも、あの…… 僕は――――」
「――――ちょっと尼子屋! いつものあれ、買ってきなさいよ!」
俺の勧誘は突然割り込んできた高飛車な声で遮られる。ドリルだ。
やたらこっちを睨んでいるのには気づいていたが、自分の思い通りに事が運ばないのが我慢ならなかったらしい。
「行くことねえぞ尼子屋」
「い、いや、いいんだ。ごめんね、ありがとうミナト君。僕行くよ」
ニヘラと嗤って尼子屋が席を立つ。勝ち誇ったドリルの顔が視界の端を掠める。
冒険者は孤独だ。誰と組むか、どこに潜るか、全てを自身が決めなくてはならない。
簡単な事だ。尼子屋はあの高飛車集団を選び、俺はいつも通り葵と組む。何も変わらない。何一つ変わらない。
ドリルの取巻きに小突かれながら廊下に消えていく尼子屋の背中を見て、何とも言えない気分になった俺は無言で教室を出た。
ここ落ヶ浦市は、全国で5か所あるダンジョン都市の一つだ。
ダンジョン都市と言ってもなり立ちは特に解説する必要も無いほど有り触れたもので、ゲートがある土地に冒険者たちが集まり、ダンジョンと冒険者を研究する研究機関と教育機関がこぞって押し寄せ、そしてそんな彼らにものを売るための店が我先にと群がった。清々しいほど単純な市場原理に基づいて出来た、冒険者の冒険者による冒険者のための街は、外から来た人間が例外なく度肝を抜かれるファンタジーな光景に溢れている。
例えば、そう―――
「っしゃいぁせぇ~」
俺が今、メシでも買おうと立ち寄ったコンビニがそうだ。
皮鎧に大剣を背負って、無精ひげがやけに渋い中年冒険者が、雑誌コーナーを行ったり来たりしている。
まるで探し物が見つからないといった風を装っているが、時折、チラリと視線を向ける大人用書棚に陳列されているのは『放課後淫乱倶楽部』のタイトルだ。
俺が気を使って数秒視線を外している隙に、彼の持つカゴには不自然な厚みを持つ週刊少年雑誌が入っていた。放課後淫乱倶楽部が無くなっている所を見ると、おそらくサンドイッチ作戦に出た模様だ。
レジの方に目を向けると、歴戦の戦士という表現がピッタリのハードボイルドなナイスガイが順番待ちをしている。
葉巻を齧り、気が付いたらナッツを口に放り込み、もちろんグラスにはバーボンストレート。もし口を開いたならば「オレが守れないのは女との約束だけさ……」的なセリフが飛び出しそうなその男のカゴに入っているのは、プリン体0の発泡酒とチーカマ。そして胃腸薬だった。
「ッりがとうッしたぁ~~」
すぐ横でスマホの充電器を探しているお姉さんの恰好は、おどろおどろしい黒ローブととんがり帽子。右手に禍々しいスタッフを持った彼女は、結局自前のエコバッグに汗拭きシートと意識高い系女性誌を突っ込み、レジへと向かって行った。
「っしゃいやせぇ~ 1067円になりぁっす。ちょうど、ありぁっした~!」
俺は特に捻りも無く、普通にカレーライスとお茶をカゴにいれてレジに向かう。
先ほどから何一つ心の籠らない接客態度でレジオペをしていた店員は、ダボっとした綿パンを履いた上半身裸の兄ちゃんだった。おそらくは拳闘士なのだろう。武骨なガントレットがやけにシュールだ。
薬でバッキバキにキマった人でもなかなかたどり着けない風景が現実としてここにある。
お会計を済ませて外に出ると、タクシー待ちをしているのは世紀末で汚物消毒業務に就いていると思しき風貌のモヒカンだし、その脇をパラディンみたいな恰好した女性がチャリンコに乗って走っていく。
「この光景に慣れた自分が怖い」
何となしに上を見上げてみると、商業ビルの外壁スクリーンで『エンカウント』の映像が流れていた。
今日、女子が話題にしていた【剣帝】アリョーシャが、ちょうど相手に対して必殺技である【デッド・オア・アライブ】を決めるところで、そこら中から黄色い歓声が上がる。
つまるところただの突き。そう、ただの突きなのだ。
しかし、研鑽し鍛錬し練り上げられた彼女の突きは、その枠を遥かに超え、ソニックブームすら伴う超高速の絶技にまで昇華されている。
人間が単身で音速を超えるのだ。無茶にもほどがあるだろう。
一体どれほどの努力があればあの高みに至ることが出来るのか。
一体どれほどのレベルアップを重ねれば、最前線で戦う彼女と肩を並べられるようになるのだろうか。
アリョーシャと共に戦う事を望んでいるわけではないが、同じ冒険者として、いつかどこかで追いつき追い越さなければならない存在であるとこは間違いない。
それが今の俺にはすぐ先さえ見えないくらい、果てしなく遠い道のりのように感じてしまう。才能という名の壁を見せつけられているようで、そこへと至る道が本当にあるのかどうか不安になって決意が揺らぐ。
スクリーン越しで見るアリョーシャは俺たちと同じ学生で、歳月を言い訳にするならば俺に残された時間はたった2年。トップラインで、トップに立つ女性の絶頂を見守るという無二の大望を掲げた俺は情けなく逃げ道を探している暇なんて無い。ただ無心に先へと進むだけだ。
俺は知らず知らずのうちに呟いていた。
「今に見てろよ、アリョーシャ・エメリアノヴァ……」
俺の呟きが唐突ならば、背後から聞こえたセリフは更に唐突だった。
「何を見てろと?」
だから俺はギクリと背後を振り返って絶句したのだ。
なぜならば―――
「へ? アリョーシャ、さん?」
「なっ! なぜわかったです!? その名を呼んじゃだめ……っ 騒ぎになると困るであります……!」
天空の使徒。剣の巫女。
やけにイモっぽい普段着姿の【剣帝】アリョーシャその人が立っていたからだった