ドリル
ちょっとした木立を迂回するようにして丘を駆け下りる。
身の丈2mにも達するオークはその膂力こそ警戒すべきものがあるが、戦闘になるとまるで周囲の事など気にしない脳筋バカだ。
多少の音を立てて接近しても注意を向けられることは無い。ならば抜き足差し足する必要は無く、一息で攻撃を仕掛けるに限る。スピード勝負だ。
瞬く間に迫ってくるオーク共の背中。一撃離脱を狙うには数が多すぎる。防戦に必死なのか女どももこちらに気付く様子も無かった。
突進。
接触まで20mを切った時、俺たちに気付いたオークが警戒の声を上げた。
スピードを緩めることなく、左手に銃を構え、ナイフを逆手に握った右手を銃把グリップに添える。
――――ダンダンッ タタッ
もう手を伸ばせば届くような距離からの銃撃、計12発が2頭のオークの背中に直撃した。
するりと抜けた弾倉を重力に任せ、替えのマガジンを叩き込んでコッキング。
俺のレベルではオークを射殺するほどの出力は出せ無い。怯ませれば良し、スタックさせるは尚良し。本命は野蛮に握った黒刃だ。
「シィ―――ッッ!」
よろめいたオークの背中に取り付き喉を掻き切る。まずは一体。と、息つく暇も無く体を地面に投げ出す。
ブンッ と、不吉な音と共に丸太みたいな棍棒が俺のいた場所を駆け抜けた。風圧を頬に感じて背中の毛穴がブワリと開く。
くそッ 数が多い!
ごろりと地面を転がった際、メイスを振りかぶるオークの姿がチラリと視界を掠める。
勘だけを頼りに転がって回避。腹に来る重低音と共にメイスが地中にメリ込んだ。
すぐさま飛び起きてメイスを抜こうとしているオークの鼻面に銃口を擦り付ける、0距離射撃だ。
「食らえオラ」
―――――ドンドンドンドンドンッ
流石のオークも、0距離から急所への銃撃は耐えられなかったらしい。
ぶちまけられた骨片と肉片と脳漿が宙に舞い、そして地面に落ちる事無く光の粒子へと変換されていく。
ダンジョン仕様の親切設計が身に染みるな。
「2匹ッ」
ヒリつく喉に唾を押し込み、再度銃を構えると包囲の中から唖然とこちらを見ている女ども。頼むから手を動かすか逃げるかしてくれ。オークさんの集団相手に無双出来るほど俺は強くない。一体どこ見て大口開けてやがるんだ
正直もう息が上がっている。極度の緊張に肩が荒く上下し、膝も軽く痙攣を始めていた。
「お前らどこ見てんだ!? 助けに来てやったんだからボケーっとしてないで闘ってく――――」
「……天誅」
――――ブオンッ グチャッ
凄まじい風圧に怖気を感じる。
素振りの音を100倍凶悪にしたような音、そして直後鳴り響いた心底悍ましい水っぽい音。
俺は戦闘中ということも忘れて恐る恐る振り返り、あんぐりと口を開けた。
「……必殺、ゲートボールスパーク」
葵さんが大槌片手に舞っている
そして豚さんが宙に舞っていた。
正確に言うと、豚さんが豚さんにヒットして豚さんが弾き飛ばされていた。
ちなみに弾き飛ばされた豚さんが片っ端から光化しているところを見ると死んでいるのだろう。
先ほど女子共がアホみたいな顔して硬直していたがこれが原因か……
「葵さん、何その技……」
「……ゲートボールのスパーク打撃に見立てた必殺技」
「ごめん、全然わかんない」
無表情のまま少しだけムッとした葵が、今度は大上段からモグラ叩きみたいにオークを叩き潰す。
ズバゴンッ という轟音の後、またもやギャグ漫画みたいにペラッペラになったオークさんが数瞬風になびいた後、控え目な感じで光化を始めた。
「……秘儀、モグラ叩き」
まんまやんけ。
得意気にクルクル大槌を振り回す葵さんに向かって一言。
「ねえ、葵さん……あんたモンスターで煎餅屋でも始めるつもりです……?」
「……む、ミナトは注文が多い」
15体はいたオークが今や3体しかいない。
仲間の死に激高して襲ってくると思いきや、生まれたての小鹿のように足をガクガク震わせ、葵にチラリと視線を向けられただけで変な奇声を上げながら逃げて行った。ちなみに俺の足も負けないくらい震えていよ。
というか俺のシリアスはどこに行ってしまったのか。くっ 数が多いッ!! とかやっちゃったんスけど超恥ずかしくないッスか?
何事も無かったようにオークを殲滅してしまった撲殺天使様は、複雑そうな顔の俺を見てキョトンと首を傾げた。くそっ 何だこの無害そうな生き物はッ
「まあいいや、あんたら大丈夫だったのか?」
未だに呆けている4人の女子に声をかける。
女子たちのそばで地面を転げまわっているのは…… 尼子屋あしや 良平 か。なんで冒険科にいるんだと首を傾げたくなるほど気が弱く、典型的ないじめられっ子気質のクラスメイトである。
見た所ケガをしているわけではないのに断続的に悲鳴を上げている所を見ると、やはりレベルアップの衝動だろう。おそらくは戦闘中にレベルアップして撤退のタイミングを失ってしまったのだ。
女子4人に男1人のパーティ。
羨ましくなるほどのハーレムパーティだが、実際のところは多分違う。なぜなら……
「アナタのせいですわよ! 尼子屋アッシーの分際で迷惑かけて!」
「何とか言えよアッシー」
「ちょっとぉ アタシら死にそうになったんだけど? 転がってないで何か言いなさいよ!」
女どもが凄い剣幕で尼子屋を責め立てているからだ。
クラスでも中心的な女子グループの中にいじめられっ子属性持ちが一人、そうなれば事情を推測するのは簡単だ。古典的とすら思えるほどの王道フォーメーションにゲンナリする。
こうしている間にも苦悶の声を上げる尼子屋は可哀相だが、レベルアップの衝動は治療してどうにかなるものでもない。落ち着くまで放置するのが一番だ。
「まあいいですわ。小間使いの処遇は後で決めるとして」
そう言って俺たちに気の強そうな瞳を向けてくるのは金髪ドリル。このグループの中心人物、西郷寺カノンである。
豊かな金髪は分け目を見ても根元から同色で、染めたものではないと一目でわかる。蒼穹のように澄んだスカイブルーの瞳もカラコンなどではなく天然モノ、そして日本人離れした顔の造形ときたらもうわかる。
普通に西洋の血が入ったドリルさんだ。
ドリルさんがフフンと偉そうに顎を上げながら言う。
「アナタ、神城さんと……」
「一之瀬だ、一之瀬ミナト」
「ああ、何トカさん、一応お礼を言っておきますわ。別に助けなんて要りませんでしたけど」
「うわぁ……」
あまりに教科書通りのセリフを耳に憤りを超えて軽く感心した。普段、感情を表に出さない葵でさえ若干引き気味の空気を醸し出している。
170cmを超える長身を逸らし、なぜか勝ち誇った笑みを浮かべる姿に先ほどまで悲壮な雰囲気は微塵も無い。
「わたくし達でも対処出来ましたわ。余計なお世話とはこの事ですわね」
ドリルはどこか小馬鹿にするような感じで俺を見た後、葵に視線を向けて目を細めた。
相手は道を譲って当然だし、人は自分の言う事を聞いて当然といった態度は今に始まった事ではない。
口元に手の甲を持って来て「オーホホホホッ!」とでも言おうものなら、少女漫画の悪役令嬢の出来上がりである。
傲岸不遜、唯我独尊。それが西郷寺カレンだが苦手な相手がいる。いや、苦手というより『敵視』だろうか、その相手は他でもない。
「神城さん、相変わらずそんな品性のカケラも無い武器を振り回しているんですの? ゴリラでも目指しているのかしら?」
俺の相方、神城葵だ。
クラスでもトップクラスの成績を叩き出しているドリルは、戦闘面でどうしても敵わない葵をライバル視し、ことあるごとに絡んできていた。今回はピンチの所をライバルに助けられたのだから心中穏やかでないに違いない。
『落第者』と名高い底辺校で何を争っているのかと思うかもしれないが、事情は少しだけ違うのだ。
ドリルは有名校の推薦を蹴ってウチの学校に入学した。親が理事長をやっているこの学校を立て直すという目標を掲げ、見た目に反してストイックなお嬢様の能力はそれこそ一流校の同世代と比べても何の遜色も無いらしい。先ほどのピンチももしかしたら本気で何とか出来ると思っているのかもしれなかった。
「だから洗濯板なんて言われてしまうんでしてよ? ささやかな胸まで筋肉に覆われてしまって、可哀相に」
「……今ここで殺ってもいいけど?」
「オーホッホッ! 望む……ところですわ……ッ!!」
一触即発である。
葵が物騒過ぎる素振りをして、カレンが杖を取り出し詠唱の前段に入った。勘弁してください。
「はいストップ~。内輪の刃傷沙汰はご法度だろ」
二人の間に割って入った俺を誰か褒めてくれないだろうか。余裕な風を装っているが冷や汗が流れっぱなしだ。
彼女たちが本気になったら俺ごときが叶う相手ではない。黒焦げにされるか煎餅にされるかの未来しか想像できないのだから余計にタチが悪い。
ていうか葵に貧乳ネタはマジでヤバいから。パートナーの俺ですら『人間餅つき』で半殺しにされるんだぞ。
「あ、葵さん…… 瞳孔開き過ぎですってば…… 抑えて抑えて」
「……私は洗濯板じゃない」
「え、ええ。わかっておりますとも! おっしゃる通りで!」
「……ちょっとスレンダーなだけ」
「素晴らしい解釈です!」
高速で揉み手をしながら何とかこの場をやり過ごした俺は深くため息をついた。
なんでただ助けに入っただけの俺がこんな目に遭ってんのよう。
「じゃあ俺たち急ぐんで」
「待ちなさい」
「なんだよう!」
これ以上は本気で危険なのでさっさと退散しようとすると呼び止められる。
面倒くさい予感しかないが、無視すると後からもっと面倒くさくなりそうなのだから終わってる。
「あなた、いち……何とかさんだったかしら? ウチの小間使いがもう移動出来そうにないの。持って行って下さらない?」
「うわぁ……」
すんげー俺様発言キタコレ。いち何とかさんって何だよ。
未だウンウン唸っている尼子屋を見る限り、なるほど、もう自力で目的地に到達することは無理だろう。
何が潜んでいるかわからない森の中を女が人間一人背負って歩くのは相当な負担だ。両手が塞がれば戦闘も出来ないし、人間一人を守りながら移動するというのは思った以上に難しい。
といっても、モンスターがうろつくような所に放置していったらどうなるかなど目に見えている。通りすがりのゴブリンさんにスイカ割り大会を開催されるのがオチだ。
「お前らのパーティメンバーだろ。逆の立場になることもあンだから自分たちでどうにかしろよ」
正直、俺が背負ってやってもいいと思う。困った時はお互いさまなのは当然として、何より同性としてレベルアップの苦しみは痛いほどに理解できるからだ。
だけど同時に、それではいけないとも思う。
天空の塔では自分を助けてくれるのはパーティーメンバーしかいない。仲間に見捨てられたら死ぬしかないのだ。
たとえ尼子屋の立場がパーティー内で弱いものだったとしても、自分でその場所を選んだのだからその結果ここで死ぬ事になっても責任は本人にある。冷たいようだが仲間がケツを拭いてくれないならば自分でケツを拭くしかない。
「庶民Aの分際で! このワタクシが頭を下げているというのに何ですのその態度はっ!」
大変申し上げにくいのですが先ほどからお前の頭は微動だにしていないですよ。
世の営業職の皆様に謝ってください。
「……ミナト、行こう」
「ああ、もう色々面倒くさい」
「こんな失礼な人は見たことがありませんわ!」とか「後で覚えてなさいよ!」とか、相変わらず面倒くさい事を喚き散らすドリルを無視して俺たちは森の中に入った。
一応、助けるだけは助けたのだ。後の事は知らん。
――――ザザッ ザッ
「…………また、変な音」
「どうせアホが八つ当たりしてる音だろ。行こうぜ」
「……何か、変な感じ……」
「気のせいだよ、多分」
先ほどよりもはっきりと聞こえたノイズのような異音。
色々と投げやりになっていた俺は、この微かな違和感を『気のせい』の一言でやり過ごす。
それがこれから巻き起こる大事件の予兆であった事など知る由も無い俺たちは、ただ目的地に向かって走り出した。