ガーデン
軽く不規則な反動と、明滅するマズルフラッシュ。
3体のゴブリンがのけぞったのを確認して俺はやつらの懐へと飛び込んだ。
軽く腰を落としながら体を半回転。遠心力を利用してゴブリンの延髄にナイフを突き込む。
余韻を感じる間もなく、抜き放った黒刃をもう一体のゴブリンの口の中に落とし込むと、スタックが解ける寸前の3体目のゴブリンに0距離射撃。クリティカルヒットだ。
俺が必死に3体のゴブリンを屠っている間にも、撲殺天使様は絶好調。
先ほどから『ズドンッ ズドンッ』と、軽く地面を揺るがす衝撃音が聞こえていたので、まさかと思ったらそのまさかだった。
深く息を吐きながら顔を上げたら、ギャグマンガみたいにぺらっぺらになった無数のゴブリンが悲し気に風に揺れていた。
オーバーキルも甚だしい。
「相変わらず無茶苦茶だなお前……」
「……餅つきと一緒」
「そんな殺伐とした餅つきは無い」
ダンジョン第1~3階層と同等の難易度に設定された訓練用ガーデンでは、彼女の暴虐を阻止できる者はいないらしい。
和太鼓みたいなハンマーを軽々と担いだ相棒に言葉も無かった。餅つきはもっと和気あいあいとしたレクリエーションではないのか。
「羊皮紙です」と言ったらそのまま通用しそうなペラペラゴブリンは、そのまま数秒間風にはためいた後、光の粒子となって宙に消えていった。
死んだら再び元の場所へと還る。ダンジョン特有の光化現象だ。
「……綺麗」
幾分目を煌かせて乙女ちっくに語る葵さんには申し訳ないが、血染めの10tハンマー抱えた女修羅がそんなこと言っても猟奇的なだけですから。
「さっさと合流地点に急ごうぜ」
「……ミナトには風情が無い」
「ゴブリン煎餅量産しといて風情とかアホか」
「……むぅ」
無表情のままプクーっと頬を膨らませる葵はもの凄い可愛いのだが、如何せんそれを素直に認める度胸は俺には無い。
コイツの戦闘力はとうにルーキーの枠を超え、一般的な冒険者であるFランクに達していて、昨日の今日までそこらのガキだった俺にとっては化け物以外の何物でもない。
未だ納得いかない感じの葵には悪いが、こんなところで道草食ってるわけにはいかなかった。今はれっきとした戦闘実習中なのだ。
「……あと2時間もある」
「あと 2時間『しか』だ」
毎度、現地に着くまでカリキュラムが明かされないはいつもの事だが、戦闘実習担当のちびっ子先生今日はただ戦うだけではなく、目的地まで移動することに主眼を置かれた訓練だ。
人類がダンジョンに潜る最大の目的は『探索』や『踏破』であり、モンスターの殺害そのものが目的ではない。そう、『探索するために障害となるモンスターを排除する』というのが正しい順番なのだ。
あくまで探索のために戦闘をするのであり、戦闘訓練はダンジョンを探索・踏破するためのものと考えたとき、今日のこの億劫な訓練が持つ意味は戦闘以上に重要だ。
まあ、俺にとってはさらにその上位に『女性のレベルアップを見るために』という至上命題があるわけだけどね。
今、俺の目の前でぬぼ~っと立つ少女。
まるで日本人形のように小ぶりで可愛らしい容姿。体の凹凸が少ない残念体型ではあるが、儚げな印象が強い美少女である。
入学当時、レベル3だった彼女のレベルは6だ。
曲がりなりにもダンジョンの一つである以上、訓練用ダンジョンでもレベルは上がる。もっともいわゆる経験値が倍以上必要といわれているが、ともかく時間をかけたらレベルは上がる。
そしてこの2か月、この訓練用ガーデンで彼女と常に一緒にいたのは俺である。
何を言いたいかと申しますと……
「……私の顔に何かついてる?」
「いやいや、そんなことはありませんとも! そうじゃなくてですね」
彼女の絶頂を俺は3回も目撃しているわけでして……
「お前、そろそろレベルアップ……?」
「……最低」
プイっと横を向く葵さん。
俺は見た。この可愛らしい目が、口が、強制的に襲い来る快楽の波に襲われるところを。ふふふ、すばらしい。
「といってもなぁ。低レベルだとレベルアップの衝動も小さいってのは知らなかったわ」
つい先週にレベルアップした葵だったが、いつも無表情の鉄面皮の彼女は眉根を寄せ、苦悶ともつかない表情で一瞬可愛らしい声をあげただけだった。『えっ? 今ので終わり?』 みたいな肩透かし感が半端ない。
「……ミナトはレベルアップで何が起こるか知っていたの?」
「知ってたよ。でも話で聞いてたのはもっと激しいモンだったから想像と違ったわ」
「……想像? どんな?」
「男は全身をゆっくりとローラーで轢き潰されるような激痛、女は自我を失い白目を剥くほどの絶頂。そう聞いてたんだ」
そんな事をニヤニヤしながら語った親父の顔を思い出す。それくらいがまた聞きのまた聞きで聞きかじった自称探検家の限界か。
親父の言うレベルの衝動は、かなりの高レベルの冒険者が体験する事らしいので、まあ親父も人づてに話を聞いて色々と興奮しちゃったんだと思う。お袋もまんざらでも無さそうだったので色々とアレだ。
「俺もこの前レベル5になったけど激痛っていうほどのものじゃなかったぜ? せいぜいが車に撥ねられたくらいのモンだった。俺経験あるし」
「……それ結構痛いと思うけど」
レベルアップについては散々授業でも触れられてきていた。
目に見えない経験値が溜まり、肉体という名の器から溢れかえった時、その現象は起きる。
無事にこなして生き残ったならば文字通り違う段階の強さを手に入れられる。しかし突如として襲ってくる衝動の威力はとてもじゃないが無視できるものではない。
ゲームのような現実でも、ゲームとは決定的に異なるのは『戦闘終了』がシステムとして明確ではないという点だ。戦闘中には戦闘のBGMが流れ、勝利すればファンファーレの後にフィールドへというお決まりの流れは存在しない。そして何より、あとどれくらいでレベルアップするか何てものを知る術がない。
回りくどく何を言いたいかというと、100体の敵を前に1体を斃してレベルアップすれば、残り99体を衝動に苛まれる体のまま闘わなくてはならないという事である。
そして痛みにのたうち回っている間に殺されれば全てがリセットされて再スタート。超難度のポイントを偶然や運が重なって奇跡的にクリアした後だっとしても、普段ならば何の問題も無い敵が相手だったとしても、例外なく『ふりだしに戻る』である。俺だったらヤケ酒煽って枕を濡らす自信があるね。
だからこそ俺たちは知らなければならないのだ。自分がそうなった時の対応と、仲間がそうなってしまった時のフォローのために。知らなければ対策も何もないのだから。
高レベルになればなるほどその衝動は大きくなるらしい。今の俺たちならば一瞬のスタックで済むようなものも、レベルが上がるにつれて笑い話では済まなくなるという。
歴戦の屈強な男どもが失禁して泣き叫び、中にはPTSDになってしまったり、冒険者をリタイアする者が出るというのだから相当だ。
そして、女性陣もそれは同様らしい。
そう、ココ非常に重要。超大事なトコだから。
今はちょっと身悶えするだけで済んでいる葵さんもいずれは……
「うぇヘヘヘヘェ~~」
「……変態」
激しい絶頂が見たければ高レベルの人とパーティを組まなければならない。
高レベルの人とパーティを組みたければ自分も高レベルになるしかない。
だから今日も頑張ってレベル上げである。なんという完璧な三段論法か。
「まだ見ぬエンジェルたち(のアヘ顔)が俺を待っている」
「……ミナト最低」
ぷんすか怒っている葵を伴ってフィールドを歩く。
今日は平原フィールドなのであまり疲れないし迷う心配も少ない。モンスターに発見されやすいという難点はあるが、それはこちらも同じ事だ。
心地よい風で波打つ緑の海を踏みしめながら小高い丘を登る。俺にとっては気持ちの良い風も女子である葵にとってはそうでもないようで、鬱陶しそうにおかっぱの髪を片手で押さえていた。
―――――ザザッ
「ん、何だ? 今なんか変な音が……」
「……風? いや、ノイズのような?」
「気のせいかな、まあいいや。さっさと行こうぜ」
そういえばガーデン内の風とかはどうやって発生してるんだろう。訓練用のガーデンとは言え考えれば考えるほど常識を逸脱してる。
丘の上に立って眼下に目を向けると、まばらに木が生えた林の中にコテージのようなものが見えた。そこが今日の目的のポイントだ。
「……他のチームもちらほら」
「おお、もう着いてる連中もいるな」
「……あっち、見たこと無い人たち」
「他校の連中か何かの体験学習だろ。このガーデンは国が管理してるからな」
葵が指さす方に目を向けると、社会科見学と思しき高校生が冒険者に護衛されながら移動している一団がいる。そしてもう少し離れた所にはレイド戦を想定しているのか、隊列の講義をしている一団もいた。
「……本番では有り得ない光景」
「ああ、ここはダンジョンとは違ってキャパシティが決まってるらしいからな」
『天空の塔』
本命のダンジョンはレイドフィールドを除くと、6人が上限と言われている。
6人PTを組んでいる場合なんかは他のパーティとカチ合う事はまず無いという。
理論は全く以て解明されていないが、同一のフィールドが同時並行的に存在し、各パーティが単独で踏破に挑むことになるのだ。
冒険者学校で6人上限を想定した授業が多いのもそれが理由である。
例えば俺たちと、どこかの冒険者が同時に同階層に潜ったとしよう。
どこかのアホがフィールドを焼き尽くしても、別口で潜っている俺たちは何の影響も受けないし、俺たちがフロアマスターを斃しても向こうさんの攻略が終わるわけではない。
並行世界を内包していると主張する学者もいるが、とにかく本命のダンジョンはそういうシステムになっている。
ちなみに、単騎で攻略していると、5人までのPTとカチ合うことは普通にあるというのだからよくわからない。
あー そうなのね。で終わっても良い話だが、世界中から訪れる無数の冒険者たちの数を考えると驚けばいいのか笑っておけばいいのか。同じことをやろうと思ったらバーチャルの世界でもどれだけの容量が必要か考えただけでも恐ろしい。
対して、ここは【ガーデン】だ。
ガーデンは階層制覇者に与えられる疑似ダンジョンフィールドで、人類資源の主要調達先である。
階層が深くなるほどキャパシティが大きく、自由度も増えていくといわれるガーデンは現在世界に34あり、ここはそのうちの一つ。
日本が所有する4つのガーデン、その中で第19階層権限で、次世代育成を目的として訓練用に設定・調整されたガーデン、通称『息吹』。
食糧難、資源難の時代にガーデンを訓練用に設定するとか、頭おかしいんじゃないかと当時は国内外から散々言われたそうだが、日本人冒険者の先駆者であり19階層制覇者である『弦月』さんから権限を譲渡される際の条件であったことなどがあり、ゴリ押しで世論を黙らせたらしい。
食糧事情も落ち着き、世界が秩序を取り戻した今では疑似ダンジョンとして他国にも解放され、貴重な外貨を稼ぐ大きな手段となっていた。
単純面積だけで1県に相当するこのガーデンも、本命ダンジョンに比べるとキャパシティは有限で、当然の話だが無限に並行世界を作るなんて無茶な事は出来るはずもなく。
なので訓練用という性質上もそうだが、他のパーティや団体と物理的に接触することは十分にあり得るのだ。
「こうして見ると、訓練用でモンスターもいるのになんて言うか…… 生産ガーデンとかに比べるとえらい牧歌的だよなあ……」
「……別の意味で戦場だから」
低級モンスターがうろつき、そこら中で殺し合いが起こっている戦場だというのに、人が死ぬのは生産ガーデンというのは皮肉という他ない。
訓練用には必須である『死に戻り機能』はかなり構成キャパシティを持っていかれるらしく、生産用ガーデンには設定されていない。要するにモンスターがいない代わりに事故で死んだら生き返れない。
徹底的に効率化と機械化が追及され、合理主義の極みとも言うべきソレはもう巨大な工場だ。
以前雑誌で見た生産用ガーデンは北海道ほどの広さがあるというのに自然の緑なんて一かけらも無い場所だった。それに比べるとここは随分とのどかで心安らぐフィールドである。
苦笑しながら眼下の景色を見渡していると、とある一点で目が止まる。そこは目的地までのルート上にある林の入り口。
「おい、あそこ見ろ。オークに囲まれてるぞ!」
5人のパーティが前後左右からオークの集団に囲まれて防戦一方になっている。
背を預け合うようにして4人の女が立ち、その中で誰かが倒れて身悶えしていた。じりじりと包囲を狭めてくるオークは10体を下らない。おそらくは戦闘が長引いて集まってきたのだろう。
オークはこのガーデンの中でも上の下に位置するモンスターで、俺たちクラスがそう簡単に撃破出来る相手ではない。集団で囲まれるとかムリゲーにもほどがある。
「あの金髪ドリルは…… めんどくせぇ…… どうするよ、助けに行く……?」
「……西郷寺さん? らしくない」
「ああ、なんか男がのたうち回ってる。おそらくレベルアップして戦線崩壊ってところか」
「……ダンジョンだったら助けは来ない。それに死んでも生き返る」
「まあ、そうなんだけどもね……」
彼女たち自身の力であれを突破するのは難しく、想定外の戦力が外から意表を突くしか無いと思う。
俺たちが行っても勝率はいいとこ5分5分だし、放置して結局負けても生き返るのだから究極的に言ったら危険は無いのだが、今、目の前でやられそうになっているヤツを見捨てて行くというのも正直目覚めが悪い。
放置したいのも山々だけど、一応クラスメイトとしてそれは良くない気がした。
「しょうがない、面倒くさいけど助けに行くかー」
「……お人よし」
そうは言っても葵は俺についてきてくれる。その程度の信頼関係は築けている自身はあった。
俺は彼女の返事を聞きもせず、後ろを振り返ることも無く、
丘を駆け下りながら愛用のEP-R06のスライドを引いた。