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 男は自分の名前が嫌いだった。

 ありふれた姓、平凡な名。

 間違いなく日本で最も多い苗字ランキングトップ5に食い込む姓に、昔から暗に非特定人物を指すものとして使われてきた名。

 片方だけでは数多に埋もれる凡庸も両者重ねることで妙な存在感が生じることがある。


 佐藤太郎。男の名がそれだった。

 佐藤はあらゆるジャンルのフィクションの中で、自身の名を持つキャラクターが悲惨な目に遭うのをこれでもかというほど目の当たりにしてきた。

 端役も端役。当たり前すぎて特定人物を指さない彼らは、まるで死ぬためだけに登場したモブキャラだ。

 見た目も中身も凡庸、今から死にますよというフラグを大漁旗のように降りたくる彼らの顔には例外なく死相が浮かんでいる。

 地味傷ついている佐藤をあざ笑うかのように、世の中では今日も佐藤太郎が量産されている。 


 そして、現実を生きる佐藤自身もその定めから逃げきれなかった事はもはや呪いの類か。

 自身の名を考えるたび、口から出てくるのは意味のない愚痴とため息だけである。

 長々と何を言いたかったかというと、佐藤太郎という男は極々普通の一般人ということだ。

 

 冒険者に憧れ、レベル10に達するも己の限界を知り挫折。それでも冒険者に係る仕事がしたいと猛勉強してダンジョン調整管理資格を取得。

 冒険者が係る組織ならば一人は必要な調整官としてダンジョン管理庁に就職。落ケ浦第二冒険者高等専門学校に派遣され早5年。

 この先の目途はついたと受験時代から支えてくれた妻とも昨年結婚し、今年で2年目になる後輩に一人で仕事を任せられるようになり、ようやく遅めの新婚旅行へと漕ぎ着けた。

 旅行先は北海道だ。海外にあまり興味を惹かれず食道楽な妻に、今まで苦労させた分、散々美味いものを食わせてやろうと情報収集も万端だ。


「じゃあ菅野君、悪いけど不在中はよろしくね」

「不安ですぅ~ いいなぁ、北海道。ウニでしょ、イクラでしょ、石狩鍋、ラーメンにジンギスカン……」

「いっぱい土産買ってくっから何とか1週間頼むって。どうしようもなくなったら電話して。電話は出られるようにしておくから」


 後輩の菅野が「ぶぅ」と口を尖らせる。

 彼女はその愛くるしい容姿と明るい性格で生徒たちからも人気の管理官だ。バカっぽい言動が目立つためか、難関試験を突破した調整官だと聞くと誰もが呆けたような顔になるのはご愛敬。


「あたしも連れてって下さいよぉ~ あたしは”2番目の女”でいいんでぇ~」

「バカな事言ってないで仕事しろ。早速コレ、先生方に通知しといてくれ」


 またもや「ぶぅ~」と口を尖らせる菅野に佐藤は一枚の書類を翳す。


「え~と、なになに…… 明後日の【息吹】のゲート封鎖について……?」

「ああ、メンテナンスだとさ。まあ表向きにはだと思うけどカリキュラムに影響が出るのは間違いない」


 すると菅野が愛くるしい顔にえくぼを浮かべながら、ふざけたように敬礼をして書面を受け取った。


「わっかりました佐藤殿! ところでお土産の話ですがあたしは甘いものよりしょっぱいものを―――」

「菅野調整官~ お客様お見えになりましたよ~」

「あ゛ッ やばッ 忘れてたッ!!」


 ブースに顔を出した女性教諭に来客を告げられ、慌ただしく駆けていく後輩の背中を佐藤は苦笑しながら見送ると書類の整頓を始めた。

 といっても今日のために段取りをしてきたので、要確認の書類には全て目を通してあるし、要対応のものは既に菅野に引き継いでいる。後は処分だけだ。


 調整官が扱う書類には、生徒にはもちろん、先生たちにも見せられない機密扱いのものもある。チラリと時計を確認すると14時だった。18時の飛行機に乗らなくてはならないので、そろそろ出なければ間に合わない。

 佐藤は柄にもなく鼻歌なぞ歌いながら、要処分の書類を置いた黒いレターケースから書類を取り出してシュレッダーにかけ始めた。

 



◆  ◆  ◆




「はあぁぁ~~~~」


 俺は深々とため息を付きながらレンジで温めたコンビニ弁当の包装を破った。

 やるせない感情のままノロノロとリビングに目を向ける。まるでここが我が家だと言わんばかりにぐでんとソファに寝転んだアーニャが、煎餅をかじりながらお茶を啜っていた。その視線は先ほどから流れているニュースに釘づけだ。

 我が家でくつろいでもらえるのは嬉しいが限度というものはある。

 ガチンコの西洋人がボリボリ煎餅食ってるのもそうだし、蛙の着ぐるみみたいなパジャマを着ているのもそうだ。

 旦那を尻に敷く鬼嫁のようにソファから一歩たりとも動いてなるものかという気迫は、せめて自分の家で見せてほしいと心から思う。ちなみに『蛙みたいな』ってのはパーカーのフード部分が蛙の顔になっている

からだ。


「ミナト、何かあったケロ?」

「何かあったじゃねーよ。なんだその語尾、ぶっとばすぞ」


 まさか蛙パジャマに語尾を被せてくるとは思わなかった。が、しかし俺の憤りはそんな事が原因ではなかった。

 

「お前と葵がはしゃぎ過ぎたおかげでエライ目にあったんだよ」


 何をやっても死なないという安心感は容易に闘争本能のタガを外す。

 外の世界ならば内股を擦り合わせる内気な少女も、平手打ちさえためらう年頃の女子共も、みんなこぞって刃物片手に狂喜乱舞だ。


 葵とアーニャの間に割って入った俺は、『待て』の二文字すら言い切る前に100tハンマーでぶっ叩かれて空を飛んだ。

 ご存知の通り、俺には翼もなければタケコプターもない。辛うじてブースター代わりに使えそうなのは穢れを知らない肛門括約筋のみである。

 なので当然のごとく地面に墜落した。

 そして盛大にリバースした。より正確に描写をするならば、リバースしながら地面に激突した。


 ガーデン内部に広がる蒼い空で、自分でも惚れ惚れするくらいのスピンをキメたのが良くなかったらしい。

 駒みたいに回転しながら遠心力に任せた噴射である。テレビ的な表現をするならば、お空に虹色の霧がかかった。監督次第で霧はモザイクに取って替えられただろう。

 俺は恐る恐る近づいてきた二人を無視して、無言で緊急離脱(ゲート・アウト)したのだ。

 

「は、反省してるでケロ……」

「煎餅食いながら言うセリフではないな」


 少しだけショボンとして見せているが、やはりソファから一歩も動く気配を見せない上に、右手が空の器の煎餅を探して元気に動いている。俺は虫を見る目でその様子を眺めていた。

 目の前の女はエンカウント新人王でもなければレベル27のトップランナーでもない。ましてや全世界少年少女の憧れ、【剣帝】などであるはずもない。

 ちょっと西洋に生まれただけの残念極まりないただのダメ子だ。なので俺の中では当然の如くお前呼ばわりである。


≪次のニュースです。今日、東ロシア連合のラブロフ外相が来日し、村雨外務大臣と外相会談を行いました。昨年の西ロシア連邦への侵攻で、各国のダンジョン資源利用を制限されている東ロシアが制裁解除への協力を要請するものとみられます。また、ラブロフ外相は明後日には日本の訓練用ガーデン【息吹】の視察を行う予定であり―――――≫


 最近、報道に顔を出し始めた女子アナが必要以上にキリッ とした顔でニュースを読み上げる。

 ついこの前まで、芸人と一緒におでんを堪能していた人とは思えないほどの豹変ぶりだった。


「へー 西は西でお前の国にちょっかいかけてくんでしょ? いつの時代もロシアさんは元気いっぱいだな。もしかしてお前の任務に関係あったりして」



 9割以上、冗談のつもりでアーニャに話題を振る。

 するとアーニャはビクリと体を震わせ、妙にたどたどしい口調で答えた。


「え? な、無いです、よ? な、何か問題でも……?」

「おい、敬語になってんぞ。テンテコ語尾はどうした」


 わざとらしく明後日のほうを見るアーニャの瞳が全力でクロールしている。

 よく見ると額に汗が浮かび、アホみたいに口を尖らせて、音の鳴らない口笛を吹いたりしていた。

 大丈夫かこのポーランドの至宝


「一応俺も協力者枠なんだろ? 少しくらい教えたってバチはあたんないぜ?」

「わかったケロ。ミナトには障りだけ教えてもいいって一之瀬氏も仰ったし」

「親父が? っていうか何で俺の親父が【剣帝】サマと面識あるんだ?」


 

 アーニャは超が付くほどの有名人だ。TVのお偉いさんが視聴率のために行脚しているのは有名な話だし、票集めのために大国の選対組織が彼女の靴をピカピカに舐め上げるというジョークもジョークと言い切れない程度に彼女の影響力は凄まじい。

 とんでもなく可愛い女の子が人類の未来のために戦っている。しかもアホみたいに強いときている。そんな逸材を世間が放っておくはずがないのだ。

 年頃の男の家でお泊りした挙句、蛙の服着てケロケロ鳴いてるなんて世間にバレようものならドえらいことになる。大人の事情で全部無かった事にされるし、俺の存在自体も無かった事にされかねない。

 あれ? 俺色々とヤバイんじゃね?


 

「冒険者ギルド伝いでお会いしたケロ。そもそも今回の案件もギルドの要請なんだケロ」

「えっ!? ギルド絡みなの!?」


 俺は絶句した。

 冒険者ギルド。それは6年連続で『就職したい組織』NO、1に輝いた国際機構だ。

 ダンジョンがこの星に表れて数年。

 それは人々は未だ雑草を食み、木の皮を啜って何とか生きていた時代。綺麗な水があるというだけで無反動砲担いだ軍隊がアリのように押し寄せていた頃である。

 そんな時に、莫大な資源を手に入れるかもしれない冒険者達を世界は放っておくだろうか。


 答えは『否』である。バカでもわかる。

 冒険者が冒険者によって拉致されるなんて序の口。

 車に挽かれても死なないはずの冒険者たちが、それはもう簡単に事故で死んじゃってたし、身内の方々が前触れなく旅行に行ったっきり帰ってこないとか、そんな不思議な出来事がたくさん起こっていた。

 脅迫、詐欺、誘拐、暗殺。彼らの周りには常にそんな不運という名の陰謀が渦巻いていた。

 もちろん逆もまたあり得る。人間を超越した彼らによる犯罪も後を絶たなかった。彼らを利用してテロを起こす輩もゴキブリのように涌いていた。

 人々は心のどこかで冒険者を恐れ、排除されていく彼らを横目にホッと胸を撫で下ろす風潮が、まるで伝染病のように広がっていく。

 

 そんな冒険者にとって苦難の時代に、冒険者ギルドは一廉の冒険者によって颯爽と旗揚げされた。

 冒険者の冒険者による冒険者のための組織として。

 冒険者を権力から守り、冒険者同士の争いを諫め、そして冒険者の犯罪を取り締まる。

 本懐であるダンジョン攻略と、それにより齎される相応の富を、きちんと享受すべき者が享受するという、単純でいて難解なあるべき姿を取り戻すために。


 巨大な需要に押される形であれよあれよと膨れ上がった冒険者ギルドは、今や国家の枠組みを超え、世界に絶対に無くてはならない存在にまでなった。冒険者無くして人類の生存が断たれた現代において、冒険者を育成し統制するギルドはまさに新秩序の守護者だ

 ギルド職員はエリート中のエリートである。勝ち組中の勝ち組である。


 もしギルド就職しようものならもう、そこらのおっぱいなんかは使い捨てである。

 かつて人類が必死に拝み倒して何とか手に入れてきた貴重なおっぱい様を、ギルドのバッヂを着けているってだけでもう入れ食いである。

 流しおっぱいも可能だし、握りおっぱいも可能である。もちろん手打ちおっぱいも夢ではない。

 

 アーニャならわかる。だがしがない自営業の親父(オッサン)がギルドとどう繋がってくるのかまったくわからない。


「そう。先日ギルドの実力部隊がちょっとした組織の拠点を潰した時に、【息吹】の情報を収集している痕跡が見つかったケロ。もう既にニッポンにギルドから戦力が派遣されているケロ。私もその中の一人ケロっぴ」

「なんか想像以上に大事でビビった。あと最後の『けろっぴ』が想像以上にイラついた」

「これ以上は私もよくわからないケロ」


 実はアーニャの他にも戦力が派遣され、当の本人は細かいことを知らないままざっくりとした指示で動いているようだ。おそらくは他が本命なのだろう。

 頭が残念なアーニャさんに説明しても無駄だということか。それとも、本当なら彼女がもっと目立ち、囮となっている間に動くはずだったのか。

 真相は不明だが俺は両方だと思う。どこにいたって目立つハズだった白銀の戦乙女様は、今こうして煎餅ボリボリ食いながら引きこもっている。

 満を持して外に出てみれば、そのいでだちはまさに上京したての芋ガールである。

 ギルドのエリートさん達にとっては想定外にもほどがあるに違いない。


「ギルドスタッフが頭を抱えてるって事だけは理解した。まあそれは置いといてだな。外相さんが視察する明後日は俺たち【息吹】で中間試験だぞ? お前どうすんのさ」


 ボリボリ頭をかきながら聞くと、アーニャは思いのほか真剣な表情で言い切った。


「明後日は風邪をひく予定です」

「運動会かよ」


 小学校の時、運動会目前に雨乞いの祈祷を行ったヤツがいたが、それと同レベルの妄言である。

 しかも、「キメ台詞言ったった!」みたいな空気のところ申し訳ないが、蛙のフードを被りながらキリっとされてもイラッとするだけだった。

 

「まあ、とは言ったところでアンタはVIPさんだし、俺たち学生とは背負ってるモンも違うだろうし。何も言わんけど先生にはサボるって言ったのか?」

「先生方は私の正体を知ってるけど、任務の内容は機密ケロ。あとサボりではありません」

「ああそうかい。じゃあ当日は話を合わせといてやるよ」

「ありがとうございますケロっぴ」

「ケロッピはやめろ。俺の右手が言うこと聞かなくなる」


 今は学生の身を窶しているが彼女の本業は冒険者(ブレイバー)だ。しかも直接ギルドと係るレベルの実力者である。

 そんな実力者を投入しなければならないような案件など、素人に毛も生えていない俺たちが関わって良い事なんて一つもあるはずがなかった。ギルドが係るということはまず間違いなく権力が背景にある。

 権力すら腕力でねじ伏せる事の出来る彼女たちとは違い、何もできない俺たちはひよっこらしくテストに勤しむべきだ。


「くそ……っ」


 思わず吐き捨てた言葉は、偽らざる俺の本心だと思う。

 正義の味方を気取るつもりはない。しかし、遥か先を行く同世代の人間、しかも女の背中を見せつけられて何も感じないのならば冒険者など目指さないほうがいい。

 なんの気負いもなく煎餅にかぶりつくアーニャと、握りこんだ右手に視線を落とすだけの俺。

 これが今の俺たちの間に聳え立つ壁の高さだ。

 しょうがないことだと頭ではわかっていても、惨めな気持ちは募るばかりだし、捉えどころのない漠然とした焦りのせいでやけに背中が痒かった。


「早く強くなりてぇな……」

 

 そう呟いて、俺は晩飯を作るためキッチンに向かった。

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