プロローグ
『人権』という言葉がある。
「全ての人が生まれながら持つ権利」、を指す言葉である事は、今日び、日本人ならば誰でも知っているだろう。知らなくてもググればすぐにわかる。
また、『知る権利』という言葉がある。文字通り、人は様々なことを知る権利があるという事だ。
これが人権として認められるかは諸説様々あるらしいが、俺の知っている偉い先生は「知る権利は人権である」と言った。
俺はその見解に、心の底から同意する。さすが偉い先生は言う事が違うと思った。
ちなみにその先生は、教え子のスカートの奥について知る権利を行使して捕まったが今は関係ない。
重要なのは、『知る権利』は生まれながらにして人が持つ権利である、という事だ。
なので、人間である俺は、生まれながらの権利を行使して違法動画をダウンロードした。
しかも、とびっきりヤバい奴だ。
DLが終わると、デスクトップの目立たないところに置いてある『吟味』フォルダに放り込む。
今日の俺はツイていた。
なんせ、同志たちが集まる掲示板で、その筋では神の域に達した紳士と誉れ高い、ハンドルネーム:ジャスティス 氏による動画アップロードのタイミングに、丁度居合わせることが出来たからだ。
しかも、DLが終わって、再度リンクにアクセスすると、そのページは既にアクセス禁止になっていた。
独裁国家もかくやというほど凄まじい仕事の速さ。それほど危険なブツということだろう。
相変わらず冒険者ギルドのサイバー部隊は優秀である。
俺のフォルダにもいくつか存在する彼の動画は、秀逸の一言に尽きる。
規制されるラインを余裕でぶっちぎる作品群は、俺がUPしようものなら、直ちに回線が落とされ、もしもそれを繰り返したら、車をダンベル替わりに筋トレするような化け物共による襲撃が待っている。
未だ彼がなぜ捕まっていないのか、さっぱりわからない。
しかし、俺たちの人権を踏みにじる巨悪と真っ向から闘うジャスティス氏は、その名の通りの傑物に違いないのだ。
俺は揉み手をしながら、DLしたばかりの動画を開いた。
一言で言うならば、その動画は所謂、『冒険動画』である。
冒険動画には様々なカテゴリーがあった。
冒険者たちが己の実力を誇示するためのガチ戦闘動画。その高い身体能力を生かした常人には再現不可能な面白動画など、様々なものがあるが、俺はそんな軟弱なものには興味がない。
我々、崇高な同志たちが欲してやまないのはただ一つ。世界中でアップロードが禁止されている幻のカテゴリー。
そう、レベルアップ動画である。
綺麗な草花が咲き乱れる泉のほとりで唐突に始まった映像には、少し先に2人の女性が写っている。
俺は少しだけ落胆した。
何度か目にしたことがあるその風景は、おそらくダンジョン10階層にも満たない低階層である。
39階層まで攻略されている現在、その程度の階層を歩く冒険者が大したことあるはずも無い。
しかし、女性たちは何やら楽しそうにおしゃべりなんかをしていて、何というかアングルが良い。
男の子専用ビデオで、本番が始まる前に女の子が無駄に公園を歩いている感じに近い。
あの前ふりの必要性を議論し始めると血を見ることになりそうなので、今はやめておこう。
今はジャスティス氏の動画が何よりも重要だ。
俺はもしかすると、これは雰囲気を大事にするシチュエーションビデオなのかもしれないと、一瞬画面から目を離す。そして思わず2度見した。
「なっ! うそだろッ! まさか、こいつはエリー・ストックトン!!!」
俺が驚いたのも無理はない。
エリー・ストックトンはアメリカで超がつくほど有名なアイドル冒険者だ。
22レベルという高レベルもそうだが、本場のプレイメイトもかくやという程のスタイルと美貌を持つ彼女は、大作映画の主演女優として抜擢されたばかりである。
そんな超大物が、友人らしき女性と2人で散歩するように探索をしている。
しばらくすると、近くの茂みからコボルトの群れが現れ、普通に戦闘が開始された。
友人の方はさして強くないことから、エリーが友人に合わせてこの階層を選んだことがうかがえる。戦闘も、友人が1匹を相手にしているウチに、エリーが明らかに手加減をしながら4,5匹を相手にしている。
有名人のプライベート映像に、鼻血が出るほど興奮したが、次第にその熱は冷めてくる。
そして、俺は心のどこかで落胆した。
エリーほどの高レベル冒険者が、コボルトごときでレベルアップするはずがない。
ジャスティス氏ともあろうものが、らしくない。拍子抜けだ。
有名どころで一見を引き止め、その友人のレベルアップでお茶を濁す。
つまり、釣りである。
よくネット小説でサブタイで釣ってアクセスを増やそうという性根の腐った奴がいるが、それと何ら変わらない。失望である。
俺がため息とともに席を立とうとした、その時。
「……ん?」
言うなれば、それは違和感。
最後のコボルトを切って捨てたエリーが、一瞬だけビクリと震えたような気がしたのだ。
俺は映像を凝視する。
まさか、うそだろ、そんな偶然があるはずが無い。見間違いだ。
そうして、俺が半信半疑で目を凝らした時、
ソレは唐突に始まったのだ。
『あ、あ、あ、ああぁぁ……』
「嘘だろ、オイ……」
ビクン、ビクン。
断続的な痙攣。
それは次第に深く、そして激しくなっていき、エリーはガクガクと足を震わせ地面に倒れ込んだ。
そして、撮影者はすかさずズームアップして、エリーの全身を捉える。
まるで電気椅子に座った囚人の様に、痙攣し、足の指先を反らせるエリーに駆け寄った友人が呟いた。
『Oh My God』
俺も呟いた。
「オーマイゴッド……ッ」
もう間違いなかった。
やってくる。やってくるぞ。
『あ、ああッ』
「あ、ああッ」
エリー・ストックトン23歳
全米で最もHOTな女性上位に食い込み、今秋はハリウッドの赤絨毯を歩く事間違いなし、
誰もが羨む、誰もが欲する、そんな世界的セレブの
『あ、あああぁぁぁッ」
「あ、あああぁぁぁッ」
――――――レベルアップがッ!
エリーが、人間の限界を超えて背中を逸らす。
職人の如く、その美しきかんばせにピントを当てた撮影者の手腕たるや見事。
洪水厨よ、見るがいい! このアへ顔だけを追い求めるジャスティス氏の気高き圧倒的紳士力を!
彼女の目は半ば裏返り、ベロンと宙に突き出された舌先からキラキラ輝く銀糸がタラリと落ちた。津波のように押し寄せる快楽の波に、レベル22の強靭な肉体が悲鳴を上げている。限界はすぐそこだ。
そして彼女は、およそ女性が上げるはずもない、獣のような雄叫びをあげたのだ。
『おほおおォォォォォ~~~~~~~ッッッ!!!』
「おほおおォォォォォ~~~~~~~ッッッ!!!」
―――――ドンドンッ
―――――うるせえぞ! 何時だと思ってやがる!!
俺には夢がある
その道のりは、決して誰もが成し得るような甘いモノではない。
血反吐を吐き、血肉を巻き散らし、現世を彷徨う亡者の如き執念と、絶望の中、立ち上がる不屈の闘志を以って、俺の楽園へと至る険しき道。
今は動画でしか見れないこの尊い光景を、いつかこの目で。
遥か先を行く先人たちに追い越し、そして振り返り、レベルアップ間近の子猫ちゃんにこう言うのだ。
「おや、そろそろですかな?」、と。
俺の名は、一之瀬ミナト
数多のレベルアップをこの目で見るため。
そのためだけに冒険者を志し、私立落ヶ浦冒険者養成高等専門学校に通う1年生。
俺が通う冒険者養成高等専門学校の中には、巨万の富や名誉を夢見る命知らずどもが集い、ダンジョン探索を専科とするクラスがあった。
女の子が笑顔で大剣をブン回し、もじもじ顔を赤らめながら、シャレにならない魔法をぶっ放す。そんな最高に頭のおかしいクラスだ。
しかしそれは、すっかりイカれた光景に慣れてしまった俺が今更言う事でもないのだろう。
人々は、そんな俺たちのクラスの事を、畏怖と呆れを込めてこう呼んだ。
冒険者高専冒険科、と