第二話 虹色の気持ち 〜その3〜
体育館の接続廊下には、いつもグラウンドを眺める人が居る。
朝から一時間ほどかけて学校を一巡し、最後にこの場所から、移ろい行く景色を観察するのが日課。
彼の行動を知っている私は、気に入らないことがあると、この場所に来ては憂さ晴らし。
いつも悩みを聞いてくれた教頭先生が待つ場所へ、私は自然と歩を進めていた。
「お、また来ましたね。そろそろ来る頃じゃないかと思ってましたよ。」
教頭は、なにも咎めることなく、私を受け入れてくれた。
「また、来ちゃいました。ごめんなさい、いつも面倒かけちゃって。」
教頭の前では、私は子どもになってしまう。
祖父と孫くらい離れた年齢が、私には安心感があって、なんでも気軽に話せてしまう。
「暮葉ちゃんは、面倒くさがりだからね。せっかく才能があるのに、それを使おうとしない。どうせ、合唱祭で面倒なことを押し付けられて、嫌になったってところでしょう。」
私は静かに頷いた。
「一回くらい、いいんじゃないんですか。私もたまに聞いてますけど、音楽室でサラッと弾いている音色は、他の誰よりも感性に訴えるものがありますよ。大体、どこで習ったんですか、そのピアノ。」
教頭は、いつも丁寧な話し振りで、私の頑なな性格を解いていく。
「私の場合は、気づいたら母がピアノを弾かせてた。それからすぐに、近所のピアノの先生に預けられて、しばらくすると、その先生の先生とかいう人がたまに来るようになって、それからずっと勝手に指導しに来てる。」
私は、頭の中で自分の短い半生を辿ってみた。
「英才教育ですか。やっぱり育ちが違うわけですよね。洗練という言葉がふさわしいと思いますが、音というのは、人の生き様が出るんですよ。真っ直ぐな人は、濁りのない音が出ます。恋をすれば、優しい音になるし、気分が荒れれば、苛立った音になります。それは素人が聞いても、よくわかるものです。だから、今出せる音は、今しか出ない音なんですよ。どうです、一生の思い出に。私が録音しておきますよ。」
教頭は、私に演奏するよう促していたが、私は煮え切らなかった。
「さっき、樺沢にも同じこといわれた。自分は来年異動するから、最後にピアノ弾いてくれって。それも、すっごい丁寧な言葉で、力を貸してください、なんて。でも、そんなお仕着せられても。」
私は、今の気持ちを正直に言ってみた。
「はあ、樺沢先生がそんなこと言ってましたか。まあ、確かに春には異動になっても可笑しくない年数ですがね。それにしても、あの樺沢先生が暮葉ちゃんに惚れ込んだか。あの人は、滅多に人を褒めないですよ。その人が入れ込むなんて、よほど金賞が欲しいんでしょうね。で、そのプロポーズを受けるんですか。」
教頭は、さりげなく言葉を摩り替えた。
「そんなプロポーズ、興味がない。大体、金賞なんて取ったから、どうなるわけでもないし。」
私は、温かい教頭を、また冷たくあしらってしまった。
「樺沢先生は、ご自分が合唱祭に出たことがないんですよ。先生になってから初めて、合唱祭を体験して、その素晴らしさを知った。だから、ずっと金賞を取りたくて、密かに努力してみたけれど、クラス編成の運に恵まれなくて、この学校に来ても未だ金賞は取れず仕舞い。今年は、是が非でも欲しいところでしょうね。」
教頭は、樺沢の境遇を解説して見せた。
「そう・・・。私、もしかしたらひどい女かなあ。嫌な女かなあ。」
私は教頭の横顔を伺うと、視線はグラウンドのはるか遠くを見据えている。
「優しい人だと思いますよ。暮葉ちゃんは、優しい子です。」
教頭は、決して答えを言わない人だ。
私は、同じように遠くを見つめてみた。
「樺沢先生は、ギターは弾けるけど、ピアノは弾けないんですよ。」
私は、今朝の樺沢が持ってきたギターケースが思い浮かんだ。
「ご自身が、音楽に魅せられたのは大学に入ってからで、もうそのときには指が硬くなって、ピアノは弾けなかったそうです。随分後悔したようですよ。もっと早くピアノを練習してたらよかったって。だから、ピアノを弾ける人が、羨ましいんですよ。特に、上手く弾ける人は、羨ましくて仕方がないんです。話によると、ご自分のお子さんは男の子だけど、ピアノを習わせてるそうです。ま、大変な熱の入れようですな。」
教頭の、他人事のような真面目な話を、私は黙って聞き入った。
「ねえ、なんでそんなに詳しいの。」
私は、ようやく気になって仕方がなかったことを訊ねた。
「いっぱいお酒、飲ませましたからね。」
教頭は、顔を私に振り向けると、そっと微笑んだ。
「じゃあ、行ってみますか、音楽室。」
教頭は、私を連れて音楽室へ向かった。




