終電
大学の文芸部で発表したものです。
彼女を乗せた電車がホームを去っていく。
警笛を響かせながら次第に小さくなっていくそれを、僕はいつまでもいつまでも眺め続けていた。
*
疎らな粉雪は線路の上に降り立つと、寸刻を待たずにその身を溶かした。過ぎ去った電車が、まだそこに熱を残しているのかもしれない。いなくなっても尚留まるものがあるというのは、素敵なことだと僕は思う。
三月の風は容赦なく僕の肌を突き刺した。吐く息は真っ白で、足は俄かに震えだす。朝は特に冷え込む。確か電車の発車時間が五時五十四分だったから、今は丁度六時頃だろうか。最早尾灯すら見えないが、それでも僕は視線を逸らさずに、まっすぐ線路の先を見据えている。なぜならその先に、彼女は居るのだから。
ホームに人の気配は感じられない。田舎の小さな駅だから、もともと利用者はほとんどいない。だいたい一時間に三回電車が通過し、停車するのはそのうちの一本のみ。改札はあるが、切符は通過せず日付が打ち込まれるだけで、定期券は使えない。自動販売機はないが、電車を待っている間に顔なじみの駅員さんがあったかいお茶をふるまってくれたりもする。
どうしようもないまでに寂れていて、みっともないまでにうらぶれたそんな場所は、しかしなんだか今の僕にはひどく似合っているような気もした。車輪の音がなくなって、痛いほど静かになったホームでは雪の降り積もる音すら聞こえてきそうだ。空はまだ仄暗いが、明け方のこの時間帯が僕は一日で一番好きだった。
日がそれなりの高さまで昇り、照らす光がホームを緩やかに温める。あれから電車が二度留った。しかし降りる人も乗る人も一人もいなかった。二度目留った電車の車掌が僕に気付いて声をかけてきたが、僕はそちらを向かずに「気にしないでください」とだけ言った。思えば少し失礼だっただろうか。
不思議と暇だとは思わないし、足も疲れてこない。おおよそ直立不動と言っていい状態だが、これが僕の本来あるべき姿のような気もしてくる。動かないのではなく、動く必要がないのだと。
そうなってくると、もしかすると僕は人間的な営みを必要としていないのかもしれない。ただ役のホームに立ちつくし、線路の果てを眺めているだけで何の不自由も感じない。娯楽の一切も人との関わりも必要としない。思考することすら詮ない。
これは僕の生来の性質によるものなのだろうか、あるいは彼女への想いからくるものなのだろうか。もし後者だとするのならば、なんて哀れなことなのだろうか。彼女が二度とこの場に戻ってくることはない。引っ越してしまったという単純な事実以上の厳然とした確信がなぜか僕の中にはある。僕は二度と彼女と会う事はない。人間性を捨ててしまおう迄に想っていたとしても。
相変わらず降り続く粉雪は、線路に触れると少しだけ留まって、やはり溶けてなくなった。
あれから更に電車は四度留った。日は天頂にさしかかって、麗らかな陽気をそそがせている。舞い散る粉雪が日の光を反射して、花弁かあるいは鱗紛のように見える。やはり乗降者は一人もいない。
しかしふと気付くと、背後に人の気配を感じる。そういえば先ほど、改札を誰かが通る音がした、様な気がする。振り向きはせずに意識だけをそちらに向けると、ベンチの軋む音とカバンをまさぐるような音が聞こえてきた。
早朝から今まで、僕と彼女以外このホームには誰も来なかった。だから少し驚きはしたが、それ以上にどうということはない。特に興味もわかない。僕は変わらず、線路の果てを凝視する。何を見るわけではなく、ただじーっと。
「お兄さん、何をしてらっしゃるの」
背後の誰かが僕に声をかけてきた。おばあさんのような声だ。
「向こうを見てるんですよ」
「向こうを、どうしてですか」
「わかりません。でも、見ていたいんです」
「そうなんですか。ずーっとそうしていらしてるの」
「ええ、朝からずーっとこうしてます」
「朝から、大変ですねぇ」
「いえ、そうでもないですよ」
それ以上は何も聞いてこなかった。普通なら、朝からずっと線路の先を見つめているなんて言ったら不気味に思いそうなものだ。これが年の功というやつなのだろうか。話して、とくに嫌な気はしない。
アナウンスが鳴る。『間もなく電車が到着します。危険ですので、白線の内側までお下がりください』同時に再びベンチの軋む音。背後の人が立ち上がったのだ。そして僕のすぐ後ろまで来ると、肩をぽんと叩いた。
「お腹空いてらっしゃるでしょう。よかったらどうぞ」
何かを差し出されたので、視線を向けずに受け取る。サランラップの感触、おにぎりだろうか。僕は「ありがとうございます」と言った。
電車が到着するとその人は乗り込み、間もなく出発した。結局最後まで顔を見ることはなかった。
折角もらったものなので、頂くことにしよう。
探り探りに包みを解きそのまま頬張る。口に含んでみると、やっぱりおにぎりだった。程よく効いた塩味が、ふやけた味付けのりの甘辛さとあいまって素朴なおいしさを醸し出している。特別なところはないが優しい味だ。
何度か咀嚼し、飲み込もうとしたところで僕は猛烈な嘔吐感に襲われて、その場で口の中のものを思い切り吐き出した。目線をそらさず姿勢も変えていないため、吐瀉物は顎を伝って衣服を汚した。体を曲げずに何度か咳き込む。吐き出してみてようやく、自分は全く腹を空かしていないことに気づいた。満腹であったがゆえに、食べ物を受け付けなかったということなのだろうか。汚れた服を不快に感じながらも、これといった対処は別にしない。
さっきの人には申し訳ないことをしてしまったと思いつつ、しかしどうせもう会うこともないだろうと考えて、僕は手の中のおにぎりを放り捨てた。僅かに積りはじめた雪の上に落ちたおにぎりは、少し残った温かさで周りの雪を幾らか溶かした。
あれからまた、何度か電車が留った。
何人かが乗り降りをしていたが、もう僕に話しかけてくる者はいなかった。特異だから無視されている、という感覚はあまりない。むしろ僕が一つ何か普遍的なものであるかのような扱いをされているとさえ感じる。太陽が東から昇るように、時を経て草木が枯れ落ちるように、ごく当たり前のものとして僕はここに立っている。そんな風に考えて、きっと周りもそんな風に僕を見ているのだと思えてしまうのはなぜだろうか。
降り続く粉雪はその勢いをやや強めつつある。僕の頭や肩にも少し積もっているかもしれない。日も少し傾いできてこれから徐々に寒さを増していくことだろう。身を凍えさせた早朝が思い出される。眠ってしまえば凍死するかもしれない。
そこでふと気がつく。夜になると、僕はこの体勢のまま眠るのだろうか。そして、眠りについている間は、線路の果てを眺めることができないのではないか。
僕がなぜこの場に立って線路の果てを眺めているのか、もはやそんなことはあまり重要ではない。僕というのはつまりそういうもので、それ以上でも以下でもないのだから。駅のホームに立ち、どこに続いているとも知れない線路の先をただただ見ているという、僕は存在なのだ。そうなると目を閉じて意識を失っている間は、僕じゃなくていったい何だというのか。線路の果てを見ていないということはすなわち、僕が僕であるということを放棄しているのと同義だ。まばたきをする一瞬は、映画に挿入されるサブリミナル画像のように、僕は僕以外の何かに変化しているというのだろうか。
そこまで考えてはたと、ここ数時間僕は一度もまばたきをしていないことを思い出した。さらには眠気も全く感じていないし、寒さに身を震わせることも全くなくなっていた。おそらく夜が来ても僕は眠ることはないだろうし、凍死することもないだろう。僕は気兼ねなく、僕であることを全うできるというわけだ。特に安堵はしない。
線路の上にも粉雪が積もりつつある。電車の運行が停止するのも、時間の問題だろう。
あれから何度電車が留っただろうか。そもそも電車が通ったのかすらよく覚えていない。
あたりはすっかり暗くなっていて、年季の入った電灯がおかしな音を立てながら明滅している。でぃんでぃん、でぃんでぃん。
人の気配は全く感じない。今このホームにはだれ一人いない。だれ一人。
僕は変わらず線路の果てを見る。しかし、数メートル先はもう真っ暗で何も見えはしない。目に飛び込んでくるのは闇の黒と、雪の白だけ。まるでモノクロ映画の中にでもいるかのようだ。聞こえてくるのは電灯と風の音だけ。弁士不在の無声映画だ。
僕は考える。どうしてこんなことをしているのだったか。何故何もない暗闇をただ凝視し続けているのか。
僕には帰る家がある。家族が僕の帰りを待っているはずだ。来月からは新学期が始まるし、春休みの宿題もまだたんと残っている。来週には友達と遊ぶ約束をしているし、明日はジョンを散歩に連れていってやらないといけない。
それなのに僕は、その全てをおいてまでここに立っている。否、もう立っていると言っていいのかもよくわからない。ためしに足を動かそうとしてもびくともしない。腕も、腰も、首も、口も、どこもかしこも、まるで鉛かセメントの塊のように微塵も動きはしない。もしかしたら、脳すらすでにその活動をやめているのかもしれない。
僕に残されたのは、線路の果てを見据える瞳のみ。それ以外のものは全部僕ではなくなった。だから、ここに立っているのではなく、唯ここに在るとするべきだ。
明日の予定も、来週の予定も、来月の予定も、もう僕には関係ない。なぜなら僕は、明日も来週も来月も、変わらずここで線路の果てを見続けているから。
朝から降り続いている粉雪は、ついにホームと線路を真っ白におおいつくした。おそらく電車はもう運行していないだろう。