1振り目
1話というかプロローグ。//3人称がしっくりこなかったので、1人称視点に書き直しました。
濡れたような温かな風を全身に叩きつけられるような感触に、むずがるように眉を潜め身じろぎをする。
どこか寝心地の悪い入れ物にでも放り込まれているように上下に揺らされ、俺の顔には苛立たしげで苦悶めいた表情が浮かんでいることだろう。それでも尚抵抗するように目を閉じていたのだが、あまりにも激しい揺れに再度の眠りにつくのは無理であった。
諦めたようにゆっくりと目を開け、一言文句でも言ってやろうと口をあけたところで俺は――今にも食いちぎらんと迫りくる大きな顎と鋭い牙に気がついたのだった。
「う、うわぁあっ! な、何ご……ぐえっ!?」
「あっ、目が覚めました? 悪いんですけど、歯を食いしばってないと舌噛みますよっ!」
状況を理解し切れず混乱している背後から、木編みの壁越しに少女らしき声が届く。
既に舌をかんでいた俺は、視界の先に移る大きな顎とそれ持ち主である巨大な生き物――二足歩行で走り寄る『竜』とでもいうしかなさそうな生物の姿に頭を抱える。
「か、籠? 痛っ、何だこれ石か……?」
どうやら大きな籠のようなものに入れられているようなのだが、その底に何故か石の塊が敷き詰められており座り心地が悪いことこの上ない。
大小まちまちのそれらの上に乗っているせいで、臀部は刺すような痛みを訴えてくる。おかげで痣にでもなってそうである。
俺を入れている籠を担いでいるらしい少女は、後方からの脅威への焦りを全く感じさせないようなのんびりした調子で笑う。
「いやー、間一髪ってやつですよ。慌てて放り込んだもので、下のほうが痛いと思いますけど我慢してくださいね!」
「じょ、状況を説明してもらえると助かる」
混乱する頭を振り、目の前の『竜』から目をそらすことでどうにか冷静にしようとする。しかし少女はといえば、どこか申し訳なさそうな声色を持って返答をよこすのだった。
「あー……すいません。説明してあげたいのはやまやまなんですが」
「なんですが?」
「今からちょっと、崖飛び降りるんでその後でもいいですか?」
「ああ……うん? 崖?」
今、何を言ったのだろう。
崖? 飛び降りる?
「じゃ、行きますよ!」
「崖、崖って言ったか今!?」
ちょ、待て――俺の制止の声は残念ながら届くことはなく、浮遊感とともに少女が飛び降りたらしい崖岸が頭上を勢いよく流れていく光景に、血の気がさっと引いていく。馬鹿みたいに開いた口から、体中を搾り出したような声が飛び出していく。
「う、うわああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「ほらほら! また舌噛みますよ!」
「いや、舌とか! そういう問題じゃないだろうが!」
「大丈夫、大丈夫ですって。すぐ楽になりますって」
「それ楽になった後なにも感じなくなるだろおおぉぉぉ!」
すっかりと小さくなってしまった崖を見ながら喚き散らす。これ以上の恐怖を感じたくなく、せめてもの抵抗に目を強く閉じる。もっとも視界を遮ったせいで、余計に現状が分からなくなって恐怖心が増してしまった気もするが。
ドスン、と。形容するならそれぐらいしか当てはまらなさそうな音がなった……ような気がする。
あの高さではもはや助かる未来というのが見出せない……そう絶望しきった様子で体を丸め目を瞑っていた俺は、音と共に襲い掛かった強い衝撃に意識を手放す。
衝撃の直前に、自分達を鈍色の光が包んでいたことにも気付かぬまま。
●
「……うっ……ぐ……」
「あっ、目が覚めました?」
全身が悲鳴を上げるように鈍い痛みをあげ、それを頼りに意識を取り戻した俺は自分を覗き込んでいる少女に気付く。そして自分がどこかで寝かせられているということにも。
「お前、は」
青い少女だ。
自分を見下ろす少女を見て、ぼんやりとした頭でそう考える。
澄んだ水を思わせる長く青い髪を黒いリボンで右側頭部で一纏めにし、幼い顔立ちの中で爛々と俺を見下ろす大きな瞳は、晴れた空を連想するような碧眼。どこか小動物を思わせる愛らしい顔を、小芝居がかった調子で『やれやれ』と歪ませ、青い少女はしみじみと言う。
「いやはや、まさか崖を飛び降りたぐらいで気を失うとは思いませんでしたよ。ヒューマンは軟弱でいけません」
――こいつはアホなんじゃなかろうか。霧のかかったような頭でもそれぐらいは分かる気がした。
「ワシらでも危険じゃバカタレ!」
思わず呆れた顔をしてしまう俺の前で、肩をすくめた少女の頭に視界の端から現れた老人が拳骨を落とす。石と石をかち合わせたような痛々しい音と共に、少女が頭を押さえてうずくまる。呻き声をあげ這い蹲る姿に、俺は口元が引き攣るのを感じていた。
今のはかなり効きそうだ。って、そうじゃない。
「うご、うごごご……痛いじゃないですかロナ爺! 僕がバカになったらどうしてくれるんですか!」
「これ以上バカにはならんから気にせんでええわい!」
「そっかー、それじゃあ安心ですね! ――ってどういう意味ですか!」
「あ、あんたは……?」
突如目の前で繰り広げられるやり取りに、痛む体を無理やり起こしながら尋ねる。なんとなく少女に聞くよりも、話が噛み合いそうな気がしたからである。
それを慌てた様子で押しとどめながら、老人は白い髭に覆われた口を開く。
「すまんかったな、ヒューマンの若いの。うちの無茶に付き合わせたようじゃ。手当てはしたが、全身酷く打っているみたじゃから無茶はせんほうがええ」
「ちょっと、ちょっと! まるで僕が悪いみたいじゃないですか! 助けたのは僕なのに!」
「あー、わかったわかった。わかったから暫くあっちにいっとれ! 話が進まんわい!」
口を挟んでくる少女を面倒くさそうに追い払いながら、老人はこちらへと向き直る。どうやら俺の判断は間違ってなかったらしい。
白い頭髪に白い髭。白い体毛に埋もれているようにも見える老人の姿。少々小柄ではあるが、それだけならばまだどこにでもいる老人であるが、俺はある一点から目を離すことが出来ずにいた。それは少女にも共通していることでもあった。
「ワシの名はロナウ・コーレウス。皆にはロナ爺と呼ばれておるし、そう呼んでもらってかまわん。お主はうちのバカ……ティフィが崖から飛び降りたときの衝撃で気を失ったみたいでな、こうして介抱していたわけじゃ」
何か聞きたいことがあれば、なんでも聞くがええ、と言うロナ爺。その言葉に素直に甘えることにした俺は、自分の置かれた状況や経緯、それらを尋ねる必要があると思いながらも――それよりも先に自分が気になっていたことを尋ねることとした。
「なぁ……変なこと聞くようで悪いんだが」
「うん? なんじゃい」
「何であんたら、そんな耳してるんだ?」
ロナ爺とティフィと呼ばれた少女の耳を指し示しながら、首を傾げる。そこには普通の丸い耳とは違う……少し尖った、それでいて獣の様な獣毛に覆われた耳があった。
●
「何でって……そりゃ僕達がドワーフだからだよ」
「ふむ、ドワーフを見るのは初めてかな?」
顔を見合わせたロナ爺とティフィが、珍しいものを見たというように視線をよこしてくる。その視線にどこか居心地の悪いものを感じながらも、俺は問い返すことをやめられなかった。
「ドワーフ……?」
「おいおい、まさかドワーフを知らないわけでもないじゃろう」
(「知らないわけはないって……ドワーフ? なんだそりゃ」)
しかめ面にを浮かべながら、ゆっくりと首を横に振る。生まれてこの方、そんな生き物は見たことも聞いたこともない。
再度顔を見合わせたロナ爺とティフィの顔は驚愕で染まっている。どうやら向こうとしては俺の反応は予想外であったらしい。
「ドワーフを知らんとは……いったいどんな生活をしてきたんじゃ……」
「見たことないってぐらいなら、まだわかりますけど……ねぇ?」
「いや、そう言われてもな……」
頭をかきながら、どう伝えたもんかと言葉を捜す。しかしこの場を解決できそうな言葉など、出てくるはずもない。仕方なく今思っていることを口にしていくしかなさそうであった。
「悪いがそんな耳をした連中がいるなんて話は聞いたことがないし、ドワーフなんて言葉も聞いたことがない」
「いやいやいや、ヒューマンの国に鉱石とかを売りに行ったりもするし、知らないなんてありえな――」
「ティフィ」
食いかかるように詰め寄ろうとするティフィを手で制し、ロナ爺は観察するように俺を見つめる。
檻に入れられている動物のような心地でその視線に耐えていると、ロナ爺は綿毛のような髭をしごきながら困ったように呟く。
「どう見てもワシには普通のヒューマンにしか見えん……」
「あのさ、そのヒューマンっていうの……俺のことなのか?」
「……ぬぅ、もしや自分の種族を示す言葉も知らんのか」
俺の言葉にロナ爺の顔がドンドンと渋いものへと変わっていく。……どうやら、今の言葉はかなり不味かったらしい。
3人の間を言い様もない沈黙が支配する。言葉自体は通じているのに、何かが噛み合わないような違和感がある。目の前の2人もそうなのだろう、困惑した様子でどう切り出すべきかと迷っているようにも見える。
「まぁ、よい。いや、実際のところはよくはないのかもしれん。だが、今はそれを棚上げするしかあるまいて」
「あ、あぁ……そうしてくれると助かる」
目元を押さえ首を振るロナ爺に、安堵の息が出る。問題が解決したわけじゃないが、今の状況すら理解できていない現状では直面するには少々辛いものがあった。
そしてそれよりも順序だてて現状を理解したかった。
「まずは俺が籠に入ってたことなんだが――」
「ねぇねぇ」
そんな俺の言葉を遮るティフィ。指を口元に当て首を傾げる仕草は、覗き込まれていたときと同じように小動物のような愛らしさを感じさせる。
「僕と君、まだ自己紹介してませんよね。話はそれからでもいいんじゃないですか?」
「そういえば……」
ロナ爺から名前だけは聞かされていたが、名乗りなどはしていなかった。色々聞きたいことなどはあるが、話はそれからでもいいだろう。
「それじゃあまずは僕から! 僕の名前はティアルティフィ・コーレウス。長い名前で呼びづらいと思うので、ティフィって呼んでくださいね」
立ち上がり胸を張るティフィ。見たところ12~13歳といったところだろうか。小柄でまだ幼さが見えるものの、その分元気に溢れているといった印象である。それが故に――。
「ふふん、どうしました? 僕の大人の魅力にメロメロにでもなっちゃいましたか?」
「あー……はいはい。そうだな」
「ちょっ、何ですかその反応は!」
大人ぶっている様子は微笑ましいというか何というか。子供が背伸びしてるようにしか見えない。
「ヒューマン相手に何をしとるんじゃ……はぁ。ワシらドワーフは少々小柄でな。ティフィのヤツはあれでもドワーフの中では大きいほうなんじゃよ」
「えへへっ。自慢の『ぷろぽーしょん』なんですよ!」
「……ヒューマンに比べれば、それでも小さいじゃろうがな。比べる相手が悪いということぐらいわからんのか」
手で顔を覆いながら、身内の不出来を恥じるロナ爺。普段から苦労してそうである。
「さ、さて……次は俺の番か」
不憫なロナ爺の様子に、早めに話題を変えてやりたく思い体に鞭打って立ち上がる。鈍い痛みはまだ一向に引かないが、これぐらいならまだ耐えれなくもない。そう痛みなら。
「俺の名前は――」
だというのに、意気揚々と口を開いた俺は頭を掻き毟りたいほどの苦しみに悩まされることになる。こちらを注視していたティフィとロナ爺は、急に汗をだらだらとかき始めた俺の姿に、何事かと目を丸くしている。。
「お、俺の名前は」
「「俺の名前は……?」」
続きを催促するような2人の言葉。その言葉によって引き出された俺の言葉は。
「……わからない」
再度言いようのない沈黙を呼び込んだのだった。
マイペースに進めて行こうと思います。