プロローグ-3
お嫁の入り先も決まっていないのに、見ず知らずの殿方の前で、しかもこの歳でなんたる醜態を!
耳まで真っ赤に染めた少女は、そう心の中で叫びながら、羞恥に震えた。
そんな少女を慮り、互いに言いたい言葉を飲み込んだ二人は、とりあえず場所を移動することにした。
該当箇所が視界に入ると、彼女の気がいつまで経っても落ち着かないだろうと思ったのもある。
だが少女がした粗相には関係なく、魔物の死骸から発せられる匂いにつられて、他の魔物が集まったら困るからだ。
彼等なら実力的に、多数の魔物が襲って来ても、何も問題に思わない。
しかしたかが角骸鯨程度に襲われただけで漏らしてしまうような幼気な少女に、そんな殺戮シーンを見せてしまったら、トラウマになりかねない。
そう判断したが故だ。
森へと踵を返し、少女が走った道を遡る。
子供の足で、自分たちが助けに入るまでに、よくこの距離を走り抜いたものだ。
二人は腕の中で、未だ顔を押さえて悶えている少女に関心しながら、血の付着した雪道を歩く。
その途中、木の皮で編まれた、不格好な籠……というよりは、手提げカバンのようなものを拾った。
その周囲に散らばる踏まれた草も含めて、少女が逃げる時に、走るのに邪魔だからと手放したものだろう。
当たりをつけたタレ目の男は、風の精霊術を使う。
一部の薬草はまだ、使えそうだったからだ。
不自然に吹く風が、無事な薬草を集める。
そしてその間に、中性的な顔立ちの男はカバンに開いた穴を修復し、ついでに強化の付与まで施した。
風を導くようにカバンの口を広げ、薬草を入れさせる。
放り込んだように見えながらも、その実、キチンと効能別に区分を分けて籠の中に入れているあたり、本当にこのタレ目は薬草が好きだなのだなと、関心した。
生温かい眼差しで見詰められたその彼は、嫌そうに眉間のシワを更に深めた。
少女が間違って集めていた毒草は、去り際に全て燃やした。
それらは全て、薬草に似ている見た目をしながらも、葉の一欠片でも口にすれば痺れや目眩を起こす。
非常に危険なものだ。
万が一があってはいけない。
更に進むと、木靴が一足転がっていた。
もう片足は、角骸鯨に踏み潰されてしまったようだ。
似た質感の残骸が、散らばっていた。
阿吽の呼吸とは、このことを言うのだろう。
二人は会話をせずとも、互いに何をすべきか分かっているようだ。
「きゃっ!?」
少しの間の浮遊感と視界が突然高くなったことに驚き、少女が短い悲鳴を上げた。
今に至るまで、少女は泣く以外のコマンドを選択しなかった。
そのため、二人はもしかしたらこの子は言葉が喋れないのかもしれない。
そう思っていたのだが、違ったようだ。
言葉によるコミュニケーションを取れないと、なかなか不便だ。
安堵の溜息が、自然と漏れた。
「済まない。
あいつじゃないと使えない術を使う。
俺で我慢してくれ」
神秘的な雰囲気を持つ人から少女を預けられた背の高い男性は、少女を少しでも安心させようと思ったのだろう。
目元を柔らかく綻ばせ、先程同行者に向けた言葉とは全然違う、甘い響きを含んだ声色で少女に願い出た。
ゆったりとしたその話し方は、聞けば心を落ち着かせてくれるような、鎮静作用がありそうなものなのに、下腹部を刺激するような重低音のせいで、少女は赤面し、また言葉を失うこととなった。
それでもこれ以上の非礼を働いてはいけないと、なんとか首を上下に動かした。
あまりの勢いに、タレ目男がバランスを崩しかけた事を、少女は知らない。
また、もう少し鍛えようと心に決めたことも。
その様子を見て、秀麗な男性は笑いを噛み殺しながら、手を前方へとかざした。
その手には、砕け散った木靴の欠片が置かれている。
疑問に思いながらその手の中を見ていると、木片が光り出した。
月のように、淡く優しい光だ。
そんな感想を抱き、ひとつ、瞬きをした次の瞬間には、欠片が消え去っていた。
代わりにあるのは、砕けたはずの、木靴である。
「カノン、持ってて」
両手が塞がっている髪の長い男性は、胸でそれを一度受け止めた。
そして跳ね返った木靴は、元の持ち主である少女の手の中に収まる。
何の変哲もない、木靴だ。
元あった通りの。
一体、どんな手品を使ったのだろう。
他の破片を拾った様子は無かった。
接着剤でくっつけるような素振りもなかった。
なのに自分の手の中にあるのは、履き慣れた普通の木靴なのだ。
転んだ時に付けた擦り傷や、ぶつけた時についたへこみもそのままの、間違いなく村を出てくる時に履いていた姿のままだ。
麗しの君は、転がっていたもう一足を拾い、慣れた手つきで足にはめてくれた。
冷たさは、感じない。
いつのまにか、裂けて足にまとわりついているだけの状態だった、靴下の体を成していなかったボロ布も、爪先まで修復されていた。
そのおかげで、靴の冷たさが伝わって来なかったのだ。
次々と襲いかかる不可解なことに、少女は酷く混乱はした。
角骸鯨の姿を目撃して以降、ずっと混乱は続いている。
しかし美形二人に囲まれた状態には、少しだが慣れて来た。
自分がまだ礼すら言っていなかったことに気付いた少女は、ようやく名乗り、お礼の言葉を口にする。
「あ、あの……!
危ないところを助けていただき、ありがとうございました。
わたし、セリアといいます。
あなた方の名前を、伺ってもいいですか」
少女の名前を聞いた美の化身のような人が、顔を顰めながら「……一〇〇円均一?」と呟く。
聞きなれない響きの言葉に、少女はオウム返しをして尋ねる。
だが返答は得られず、代わりに最初の質問に対しての言葉を返された。
「彼はカノン。
‘’王の権能‘’であらせられる……‘’賢者‘’、と言った方が通りが良いでしょうか。
私の事は……アーク、とお呼び下さい。
オプスクリス開拓村を探しているのですが、ご存知ないですか?」
自分の名前ではなく、同行者の名前を先に言ったこと。
自分の名前を名乗るのに、一呼吸置いたこと。
疑問に思いそうなものだが、その吟遊詩人が奏でる琴のような耳心地のいい声音に心奪われた少女は、違和感に気付けない。
そんな些細なことよりも、引っかかった言葉があるからだ。
‘’王の権能‘’や‘’賢者‘’と言えば、村ができる、ずっと前から生きている精霊様の代弁者とも呼ばれる、すごく強くて偉い人だと、セリアは村の賢者と名高い精霊術師様から聞いたことがあった。
その同行者なら、角骸鯨をあっという間に倒してしまったのも、頷ける。
風のうわさ程度だが、世界の危機に立ち向かうため、王都で‘’精霊様の使者‘’が現れたと聞いた。
その人が、精霊様と見まごうばかりに、とても美しい人であるということも。
‘’賢者‘’を名乗るなんて、なんと不敬なのかと一瞬思った。
しかしこれだけ貫禄のある人たちだ。
恐らくうわさは本当で、この人たちこそ、世界を救うために旅をしている、精霊様が遣わした方々なのだろう。
納得こそしたが、セリアは自分が置かれている状況を思い出した。
それと同時に、浮ついた心が、すぐに沈み込んだ。
「オプスクリスは、わたしの住んでいる村の名前です。
ただ、その……今、病が流行っていまして。
死者も出てますし、おもてなしもできません。
どんなご用件かは分かりませんが、その……来るのは、やめた方がいいと思います……」
彼らは世界を救う、とても大切な旅をしている途中なのだ。
小さな村に立ち寄ったせいで、体調を崩し……最悪、死んでしまったなんていったら、精霊様に申し訳がなさすぎる。
セリアはどちらに言うでもなく、俯いて、少しずつ声のボリュームを下げながら、村の現状を話した。
「……私を助けたように助けてくれ、とは言わないのですか?」
「そんな……!
更に迷惑をかけるようなこと、言えません」
アークと名乗った麗人は、ゆるく立てた指を口元に持って行き、思案する。
人によっては見蕩れてしまうその様子を見て、内心、くだらないことを考えているのだろうなぁ、と少女を抱き抱えたままの、カノンと紹介された男は思った。
事実アークは、少女の様子を見ながら、赤く塗られた牛を象った郷土玩具を想起させていた。
もしくは、ヘッドバンキング。
「病気が蔓延しているのなら、‘’賢者‘’様が役に立つと思いますよ。
是非、案内して頂きたい」
微笑んだ顔の、あまりの美の破壊力に、セリアは顔を真っ赤にして、完全にのぼせ上がってしまった。
思考力は奪われ、言われるがままに「はひ」と返事をした。
言質を取った。
ニヤリと凶悪な笑みを浮かべたアークの顔を、目を回したセリアが見なくて良かった。
小さく溜息を吐きながら、面倒事を押し付けられたと、カノンは独りごちた。




