第五話
――私はよくある、『本当にやってるの?』っていう、純喫茶のしがない店主サ。
「はああ~~~~~……。まァたフられたっすけど!!」
「お待たせいたしましたあ、チャイクリームジンジャーソーダです!」
「…って聞いたことないっすよそんなドリンク!しかもなんか身体に良い香りがするんすけど!」
「はい、こちらシナモンを始め様々な独自スパイスをブレンドしております。中でもショウガは、この寒い日でもからだをポカポカ温めてくれまあす!」
「違うんすよ~~!!こんな悲しい日は身体に悪ーい人工甘味料と毒々しい色の炭酸飲料を、のど越し良く腹いっぱい飲みたいんス……」
「ええ!ダメですよ、モテたいならまずは自分自身から、健康には気を付けてください!」
「うう……元カノとおんなじこと言いやがって!BLUEレッドありますか!?」
「当店にはございません!」
「……うぅ、うう!こんなんじゃあ、俺の悲しみは晴れねえッ!」
ガシャンッ!というグラスが跳ねる音と、机に突っ伏すのは、大学生の獅鹿 勇斗という男。丸眼鏡にマッシュ、全身黒のコーデに、バックには推しのアイドルのグッズを大量につけている。そう、いかにも現代っ子という風貌だなァ。
彼は以前、とっくに閉店間際だというのにこの店を訪れて、曖永に泣きついた要注意人物でもある。こういう常識を守らないとか、やけに粘って反論してくる客というのは、大体は迷惑客で、冷蔵庫とかに張り紙で『要注意人物』として周知されることが多い。
…というかもう言動的に、女たらしの不憫な野郎なんじゃないかなあ?と勘ぐっちゃうけどネ。
「なあ~俺どうしたら良いんスかね。そもそも俺って生きる価値あるんスかねぇ…もう頼れるのは曖永さんしか居ないっすよ…」
「よしよおし。獅鹿さんは、いつも前向きに頑張って偉いですねえ。あとはもう少し自分磨きをして、次に行くしかありません。次ですよ、次!」
「……そうだよなあ!次に行くしかないよなあ!いつまでもクヨクヨしてちゃ仕方ないっすもんね。やっぱり曖永さんに話すとスッキリするっす~!また来ます!あ、でもそのときはクリームメロンソーダ飲みたいんで!」
「はあい!それじゃあ次の口説きも頑張ってくださあい!」
こうして彼はいつも涙ぐんで、彼女の愚痴やら別れ話をしては、曖永に勇気づけられて去っていく。
そして驚くべきことに、こうした客は彼だけではない。度々マダム同士の井戸端会議で訪れる客や、店がオープンしてから訪れているもはや伝説と化した常連まで、彼と会話をしては、嬉しそうに店を去っていく。
「……はァ。曖永君、あんな厄介な客まともに相手しなくていいからね?あれ絶対どっか吞んでから来てるしさぁ…ああいう厄介な絡みは適当にあしらっちゃっていいから」
「うーん、でも本気で悩んでるのはほんとでしょ?それに、僕の大事な相談相手でもあるからね」
「ええ、そうなのお?私に相談したら良いのに」
「だって店長つっぱねるじゃないですかあ。今度の新作のメニュー、そんなの出すことないって」
「そりゃあ喫茶店のイメージからかけ離れてるからさァ?というかいい加減自国の料理提供するの止めてねェ!?」
相変わらず自分勝手で突っ走る所はあるんだけど、困る前に良い結果に向かっちゃうんだよね。本人の、魅力なんだろうねェ。
「……あ、そうだ。曖永君にお願いしようと思ってたんだった。外の落ち葉の掃除しておいてくれないかな?雨が本降りになる前に。急ぎ気味で!」
「合点承知だよ~!急いで掃除してきます!」
最初の頃は言葉が通じなくて大変だったし、随分苦労した。何度、解雇という言葉が頭をよぎったことか。
ただ、一番最初にこの店の扉をたたいた時。彼は傘さえ持っていなかったのか、ぼろぼろの姿で現れて。
『ぼくをひろってくれませんか?』
多大な責任がつきまとうことは分かっていた。それでも、曇天の大雨の中、野良猫のような彼を受け入れるしかなかった。
私には訳あって子供がいなくなってしまったから、なんだか重ねちゃって、つい雇っちゃったんだけど。
聞けば詳しくは話してくれなかったけど、彼の出自はあまり治安がよくないようだ。きっと命からがら逃げだしてきたんだろう。
「…………あ、雨」
彼は不思議そうに。どこか遠くに思いを馳せるように。
頬に垂れた一滴の雨を、手の甲で拭って、ほうきで店前のアスファルトを掃いてくれている。
……あ、そういえば割ったソーラーカップ、受注しないとかァ。
一抹の不安を他所に、私は厨房へと戻った。
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次のスケジュールを確認しようとすると、たまたま目に入ったのは『台風〇〇号 接近中』というタイトルだった。
会社のオフィスのバカでかい窓の外では辺り一面が曇天で、ガラスに雨粒らしき水滴が付着している。
その記事をクリックしてスクロールしていくと、どうやらこの首都付近にまでゲリラ豪雨が迫っている。それどころか、真ん中を堂々と通りすぎていくらしい。
最後までスクロールしていくと、関連ニュースにはやれ遅延情報だの、土砂崩れによる事故、といった台風による水害が相次いで発生している。
「逗口さん、頼まれてた資料持ってきました」
「ああ、ありがとう。そこに置いといてくれ」
「そこにって…どこにです?見たところ、逗口さんのスペースは書類の山ばかりで置く場所がありませんけれど」
「適当においておいてくれ、床でもいい」
「床は色々アウトじゃないですか。それに、もう来年にはいなくなるんですよね?もう片付け始めないと間に合わないんじゃ――」
「美奈子さーん、こっち来てー!」
「は~い。はあ……」
もうここには居場所はないのだと。改めてそう、思い知らされる。きっと俺が居なくなった後にはすぐ、跡形もなくデスクは綺麗に片付けられて、次の人員のための席となっているのだろう。
キーボードを打つ手をとめると、コーヒー牛乳を一口飲み、あんぱんに齧り付く。
これだけ甘いのにどこか味気なく感じるのは、きっとあいつのせいだ。電子レンジで温めてみたりもしたが、全くあいつの作ってくれた料理にはほど遠い。
「最近、仕事が忙しすぎて行けてねえなあ。……あいつ、ちゃんとやってるかな」
もはや無我の境地に達した俺は、次の新しい仕事に手をかけようとした、その時。
「これから暴風雨で電車とまるかもしれないので、帰宅命令出たそうですよ?」
「おお、おかえり。こんな日に出かける用事あったのか。災難だったな。……で、帰宅命令が出たって言ったか?」
西川がタオルで髪を絞りながら、俺のデスクの隣に座る。
せっかく最近美容院にいってかけたパーマが、ほぼ台無しになってしまっていた。
それでも爽やかなオーラを放っているのだから、密かに感嘆する。
「はい。なんでも危険だからって今さっき、上層部の判断が下ったそうです」
「お偉いサンが帰りてえだけだろ。もうばら撒いてやろうか、そこの窓から。あいつだったらそうするさ」
「冗談でも駄目ですよ先輩!?というかあいつって、誰の事です?」
「……あー、行きつけの喫茶店があってさ。そこの店員と仲良くなったんだ。今度お前も一緒に行くか」
「ええ、喫茶店だったんですか!?てっきりケバブ屋さんかと……」
フロアの鍵をしめるということで半ば強制的に追い出された俺と西川は、ロビーのソファでしばらく雨の勢いが弱まるのを待つことにした。
喫茶店について興味ありげな表情をしていたので、これまでの経緯をかいつまんで話すと、西川はたいそう怪訝そうな顔をした。
「勝手に独断でやってるって、相当やばいやつじゃないですか。大体外国人って僕嫌いなんですよ。横暴だし、いちいちケチつけるし」
「そりゃそういう輩もいるけどな、あいつはそうじゃない。むしろ親切心に溢れているっていうか、その。上手く言えないんだが、誰にでも手を差し伸べる奴なんだよ」
「そうやって人を騙して好意をもたせる詐欺ってあるんですよ?とにかく僕はそんな店、行かない方が良いと思いますけどね」
「な…………っ!」
つい頭に血が上って反論しようとしたところで、のどまで出かかっていた言葉をぐっと呑み、口を噤んだ。
西川と曖永は、良いコンビになれるだろう。そんな平和じみた甘い考えが、通用しないことを思い知らされる。
――こういう直感は大切にしなければならない。相いれない価値観による拒絶が、会話の隙間から露見したとき、なにか岸壁のような絶望感を覚える。
ついその素晴らしさを語りたくなるが、そのような隔たりの前では、むしろ慎まなければいけない。
「……いや、すみません。私、軽はずみに先輩が好きなことを否定してしまって。もう一回雨で頭冷やしてきます」
「そんなのはよせ!――その姿勢だけで十分、俺は嬉しいよ。それに雨も小降りになったんだ、冷やす必要はねえさ」
「本当だ。嵐の目、ってやつですかね。今の内に帰らないと!」
それじゃあまた、と西川は相変わらず背筋正しく俺にお辞儀をして、俺が渡した予備の傘をさして走っていった。
「あんだけ走ったら意味ねえだろうが。ったく……」
スマートウォッチを確認すると、時刻はちょうど夕方ごろ。
KOMICHIがクローズするのがたしか、18時頃。もしかしすれば、ギリギリ間に合うだろうか。
「……ラストオーダーには間違いなく、間に合わないだろうな」
きっと訪れたところで、追い出されるだろうが。
分厚い銀色の雲の隙間から、一筋の太陽が差し込んだ。
いつしか俺は逸る気持ちに胸を躍らせながら、駆け足で喫茶店へと向かっていた。
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案の定間に合わずCLOSEの札がかかっていたのだが、迷惑を承知で一度だけ。
どうしても会いたい笑顔の天使に、俺はつい軽く二度ノックした。そしてでてきたのは――。
「また来たのォ!?あのねェ、獅鹿君、毎度言ってるけどこの時間クローズだし曖永君いないからァ!」
「そのー、すんません、随分怒らせちまって。ところで俺の名前は逗口と言うんですが」
「…………あああああああ!!大ッ変失礼いたしましたッ!どうぞお入りくださいませェ~~!」
傘をふって雨水を落とし、傘入れに置くと、店内は当然がらんとしていた。
「タイミング悪かったですねェ、そもそも曖永君はここ最近、掛け持ちの仕事が忙しいみたいで。今日も早めに帰っちゃったんです」
気を利かせて、店長がホットコーヒーをサービスしてくれた。
インスタントのものとは違って、豆を挽いてドリップされた至極の一杯は、その豆本来の苦みや酸味、風味が最大限に引き出され、その味わい深さに思わず舌なめずりするほどだ。
「しかも仕事があるのは良いんだけど、その掛け持ちっていうのがちょっと…危ない仕事っぽいんだよねェ…今日も工事現場での勤務らしいんだけど」
「今日にですか!?台風の中で……今どきって労働者の環境とか、守らないと厳しいじゃないですか。正気じゃないですね」
「しかも夜勤だからね、そのまま今日もぶっ続けでやってるらしいよ?…こういう会社はさ、特に海外からきた身寄りのない出稼ぎ外国人なんて、奴隷だと思ってるから。ぞんざいに扱って当然だって態度なんだよ」
「…………その工事現場ってどこにあります?」
「それがねェ、曖永君に聞いてもいつもはぐらかされちゃうんだよ。近くにその会社の社寮があるみたいなんだけど、どこだったかなァ。…自分のためにも奔放でいてくれたらいいんだけどねェ……」
コーヒーを勢いよく飲み干すと、俺は礼を言って、急いでその場を後にした。
嫌な予感が、全身を駆け巡った。




