第二話
飛行機が轟音をあげて、ビルの合間を縫うように青空を滑空する。
俺は自称だが仕事ができる。休日という概念すらないほど、毎日仕事をこなしている。
これはある一種のプライドであり、やれ時代遅れだの労基法だの口酸っぱく言われるようになったが、今更に体裁だけを意識した人権の尊厳によって、俺の仕事に横槍が入るのが心底腹立たしい。
何より、俺の思い通りに成し遂げることを邪魔されるのが大嫌いだ。なのに――
「逗口くんもさぁ、昼飯くらいはちゃんと取っておきなよー、これも仕事のうちよ?」
俺がどう過ごそうがどうだって良いだろうが!
……という暴言を「ではお言葉に甘えて」という言葉で片付け、後ろ足で蹴って扉を閉める。足癖が悪いと言われるが、昔からの癖でとっくに矯正は諦めた。
ただ、ここ最近は楽しみがあるからまだいい。というのも、喫茶店のランチセットを食べに足繁く通っているからだ。
その喫茶店は『KOMICHI』と言って、ビル街の中心部にあるのだが、その名の通り細くくねった小道に店があるので、まず入り口にすら気づくのが難しい。
が、やはり昔からの常連というのも居るようで、カウンター席で店主と話す客も何人かいた。
そしてそこに一際目立っているのが――
「あらあ、じゃあ次来たときは頼んじゃおうかしら!また相談させてね?」
「またいらっしゃってくださいね!僕、ナカムラさんのことずっと待ってますから!お支払いはどうされますか?」
「POPOカードですね!ありがとうございます!」
「そうそうそれよぉ!あ、割り勘でお願いしたくて――」
『K.F』。名札にはそう書いてあるのみで、名前は分からない。
が、ここ数週間通い続けて観察しおおよそ理解したことは、要領が良いこと。身体能力や器用さ、そして表情の豊かさ。
そして何より、計り知れない底知れぬ”親切心”。まるで天然で磨き上げたように透き通った純朴さが、常連やこうしたマダム達にも好かれているのだろう。
「いつもの頼めるか?」
「はーい!ちょっと待ってね!」
「ごちそうさんでしたー」
「サトウさん、ありがとうございました!また来てくださいねー!」
「……サトウさん、ねえ……」
スマートウォッチを見やると、通知が来ている。中身を確認すると、「大至急、会議をやるからすぐ来てくれ」という内容のチャット文だった。
「また曇り顔をしてますね、お客様?」
「……ああ、すまん。さっき頼んだやつ、やっぱなしだ。急に呼び出されてよ。ま、俺はどこでも駆けつける男だからな、仕方ねえが」
「そうなんだ、せっかく来てくれたのにちょっと寂しいな……ええと、それじゃあケバブ持ってって!サービスね!」
「おいおい良いのか?お前また店主に叱られるぞ……なあ、お前。なんて言うんだ」
「うーん。ホンワカ系?ってよく言われるよ!」
「そうじゃなくて!お前の名前だよ、名前!」
「ああ!失礼しましたあ!えへへ、僕の名前聞いてくれる人初めてだなぁ。こう書きます、えっと…」
胸ポケットから注文を取るであろうメモ用紙を取り出すと、ペンをカチッと鳴らし、ぎこちなさそうにペン先を走らせている所を、俺は頬杖をつきながらじっくりと見守っていた。
そこには、『曖永・フラシッダール』という名前が丸っぽい文字で書かれている。
「漢字はお前が考えたのか?」
「ううん、僕がね、漢字の名前に憧れてて頼んだら、店長が考えてくれた!」
「そうか。ああ……良い名前だな」
遠くの厨房の方で、パリーンという音と、「あちゃあ~!」という嘆きが聞こえてきた。どうやら店長は曖永と比べておっちょこちょいで、よく叱っているようだが、曖永のことは大切に面倒を見ているようだ。
「それじゃあ俺からはこれな。俺の会社の名刺だが、これは特注だ。渡す奴は相当限られてるからな、大事に持っとけよ」
「うわあ、紙がつやつやしてるねえ!これポイントカード?」
「だから名刺だって言ってるだろ。……おいおいメモ用紙じゃねえ!試しに書いてみるな!」
「あはは!トドグチ、イズミさん。……イズミさん。イズミさんっ!」
たいてい俺の名刺を見た奴は、やれどこどこ商事だとか役職だとか、俺の名前なんていっさい見向きもしないものだが。
はしゃいで大事そうに両手で持つと、確かめるように、俺の名前を何度も口にする。
「何もそこまで言わなくても聞こえてる。ま、そこに電話番号とかメールとか、何かあれば連絡してくれ」
「何かって?」
「あー……な、なんだろうな。悪い、俺から言ったけど、訳分からねえな。わ、忘れてくれ」
下手な気心がばれてしまう気がして、慌てて話題を変える。…何やってんだ、俺。
それにしても、不意を突かれる一言と洞察力に、冷や汗すら垂れている。
「そこすぐ近くに会社あるんだよ。何かあったら直接来い。お前にだけ、特別な」
「メモ紙にして良い?」
「だから大事に取っておけっつってるだろ。ハハ、それといたずら電話だけはやめろよ?」
「大丈夫、僕携帯持ってないから何もできないよ!」
「おいおい、携帯くらいは持っとけよ。買ってきてやってもいい」
「ううん、良いんだよ。店長とかいろんなお客さんにも言われるけど、直接伝えるほうが、僕は好きだから」
そういえば昔は、スマホなんて通信機器はなくて、黒板かボードかに書置きしたりしてたんだっけか。そんな時代に、少しだけ憧れてみたり、してみても。
――こいつはこいつで、自分なりの生き方をしてるんだな。
「それじゃあイズミさん、また来てくださいね!」
窓から見える街路樹の落ち葉が、アスファルトにひらりと落ちる頃。
ほかほかのスパイシーな香りのケバブを持ち、すっかりカラッとした秋空に頬が熱くなるのを振り払い、駆け足で会社へと向かった。




