第十九話
季節外れの灰色の雪が降りしきるこの街には、かつては豊かな国だったという面影は積雪に埋もれ、厳しい寒さが訪れた。
息をすれば、酷い汚臭に吐き気がした。
俺は必ずあいつを、本当の姿で迎えてあげたい。これまでよく頑張ってきたな。もっと早く、話してほしかった、そしてもうこれ以上、命を懸けないでほしい、と。
お前にそう願う人はたくさんいるんだ。今はただ、お願いだから、帰ってきてくれ。
ここは地獄みたいな場所だな。
お前の理想とは、かけ離れてるだろう。
それでも帰国する決意をしたお前は、地方への赴任で気弱になってた俺なんかより、最高にかっこいいよ。
「XJO~+$*℃№JFe!!」
曖永の居場所を聞けば、つばをかけられ、物乞いされ、時には俺の知らない言葉で怒号を浴びせられる。曖永はきっと、これ以上に怖い思いをしてきただろう。
周辺の人々に翻訳して聞いたところで、返ってくるのは沈黙のみだった。というよりはもう、しゃべる体力が残されていないという状態に等しかった。
――欠片を集めていく。小屋の風車、粉々の食器やグラス。弦の切れたアンティークなギターに、捨てられたベビーカー。
普段子どもが大声で笑い、駆けている光景がどれだけ幸せなことかを思い知らされる。
ヴァルハラルに支配されたフランネル共和国は、山は枯れ、見る影もなく、焼け野原だった。大樹は伐採され、スパイスや薬草などが生い茂っていたであろう畑は、もはや再生はできないだろう。
そこに乱雑に、モノクロの建物が建築されて、灰色の雨混じりの雪が降り注いでいた。工場からはひどく咽る煙が吐き出され、今まで見てきた街とあまり変わらなかった。結局、平坦にされてしまったのだと、家々の間の坂を登りながら考える。
『このまま僕と一緒に暮らすってなったら、イズミさんの未来も奪っちゃう。だから……ごめんなさい』
じゃあ、お前の未来はどうだったんだ。
まだ。まだ、間に合ってくれ。頼む、どうか。
……でもあいつは生き延びる選択を選べるような奴じゃない。そんなことは分かっていた。
歩いていて気づいたことは、やはりフランネル共和国の民は曖永と同じ系統の髪色や肌色で、彼らは片足がなかったり、眼帯をしていたりと、様子を見るに負傷した彼らはそのまま放置されているということだった。
その彼らの隣を、武装した身なりの男たちが闊歩しており、俺に対してもかなり怪訝な視線を向けられているということはヒシヒシと伝わってきていた。いつ撃たれるか、捕らえられるかも、わからない。
坂をずっと登り、ガラの悪い一人の男が俺にぶつかってきた。
「なんだよ兄ちゃん、構ってくれよ。恵んでくれよ」
視線が定まっていない。胡乱げな表情と薬の匂いのする男に、俺は尋ねた。
「フランネル共和国の王を探してる。そいつはどこだ」
「…………ガハハ!!この国はもう終わってるよ!もうあのチビは死んだも同然だ、なんでそこら辺に転がってるってえ!なあ!」
あまりの怒りに胸ぐらを掴むと、男は何やら喋りながらゲラゲラと笑った。他人の尊厳を笑い飛ばす軽挙妄動さに、絶望する。ただ俺だけは、まだ挫けないでいなけりゃいけない。
「てことはまだ生きてるってことだな。居場所を教えろ」
「最初からあいつに居場所なんてねえさあ。ガキの頃からうんざりしてたんだ、面の皮が厚いやかましいガキがお下がりで王子になって、さっさと降伏すりゃいいのに、一丁前に最後まで戦いやがって。ヴァルハラルからの独立を諦めなかったからこうなんだよ」
そう言って男は指を差した。その先に転がってる青年の隣には、千切れた首輪と、煤こけた厚手のブルゾンがあった。
「ほら、探さなくても、そこでのたれ死んでるだろ」
鼓動が早くなる。息がだんだんと細くなって、頭に酸素が行き渡らなくなり、視野が狭くなる。――本当に、曖永なのか?
俺は今、目の前にいる人物が誰なのか、認識ができない。
それは、あまりにも、俺自身が目を背けてしまうほど痛々しく、耐えられなかったから。
「ここらの奴にまともな医療者にかかれる奴はいねえよ。だから強い薬で耐えるしかねえんだ、ほら、片腕も片足も、耳まで吹っ飛んじまって可哀想だなあ。でも今まではどんなときも笑っててムカついてたから清々するわ」
紛れもない、俺があの日に贈ったピアスは砕けて、破片が地面に散らばっていた。ボロボロの木製の椅子に座って、項垂れいる。ただ細くやせ細っていて、時折喉を鳴らすような唸り声をあげ、腕をかきむしっていた。
「もう死んだほうがマシってもんだろ。お前さ、トドメ刺してみるか?」
手にしていた引き金を離すと、何も言わなくなったので、そいつが握っていた手からこぼれ落ちた薬を靴裏で何度も何度も何度も、踏みにじった。
何度も何度も、それから気持ち悪さが押し寄せながらも、ゆっくりと近づいた。
棒のような足で瓦礫に躓きながらも、目の前に跪き、琥珀のような、色褪せた髪をゆっくりと梳かして。
「お前は綺麗だよ。王様だって、全部背負っていつも笑って、やってきてたんだな。よく、頑張ったな。…………よく……ごめんなぁ…………」
自分でも驚くほど、問いかけた声はとても震えている。必死に己の声を宥めながら、握られていた手記をそっと受けとった。
「お前、こんな時にまで自分を顧みずに、本当にお人好しすぎるだろ。なあ…………」
もはや俺の涙なのか、目の前にいる彼の涙なのか、分からない。世界がぼやけて、丸くなって、馬鹿みたいに抱きしめる事しかできなくて。
『また来てくださいね。あなたに、元気出して欲しいから!』
また来たよ。俺、懲りずに、また来ちまったよ。
――お前を迎えに、会いに来たよ。
「帰ろう、曖永」
一体何処に、帰れると云うのだろう。
彗星が白銀の空を流れ落ちる頃。ずっと抱きしめたまま、その彗星が、天使の翼となって街に降り注ぐ。涙の粒が、あられになって、世界を照らす。
俺は目の前に座る、冷たくなった天使の亡骸を抱きしめた。
微かに鼓動する隣り合わせの心臓と、共鳴する。
――俺は静かに、眠りに落ちた。




