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ケバブの天使  作者: 犀箸
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第十六話


みぞれが激しく喫茶店の窓を叩きつける。


冬の雨は、コートを着ていても身震いしてしまうほどの、厳しい寒さだった。

その日、獅鹿はいつものように喫茶店を訪れた。

そして柄でもなく、とある新聞を手に取って、尋ねた。


「チャイラテください」


マスターは黙っていた。眼鏡の奥に宿る感情は、淹れたての珈琲の湯気に眩まされ、計り知ることはできない。

店内に入ってから一度も目を合わさず、マスターはいつも通り、丁寧にドリップした珈琲を差し出した。


「生憎メニューにはございませんのでェ」

「俺、こう見えて下手くそな嘘は嫌いなんで。追い出したんスよね?」

「……正当化するつもりはない。だけどねェ、息子の為なんだ」


都合の悪い嘘を付くほど、そういう言い訳をする。何度も女に逃げられた獅鹿は内心唾を吐き捨て、新聞をパラパラと捲る。


「息子さんが留学先で、兵隊になって命を落とした。それがヴァルハラルと関係あるのは間違いない。

んで、そこのやけに取り揃えの良い新聞の一つに、こんな記事があった。『留学生兵役事件、ヴァルハラルの敵国である”フランネル共和国”に志願し、命を落とす』。

……あんな大規模な戦争を仕掛け始めたこともあって、すぐヴァルハラル取材に向かった記者が、たまたま聞いた話だったそうッスね」


喫茶店の壁がけ時計がポーン、ポーンと、午後三時であることを告げる。

窓際に飾られていた、年季の入った毛玉のついた熊の人形が、項垂れていた。

マスターは力なく、カウンターテーブルに手をつきながら、獅鹿に背を向けてデザートの仕込みをし始める。


「曖永っちがどこ行ったか、知ってるんじゃないの」

「……私は知らなかったんだ。あの子が、彼が、フランネル共和国の出身だったなんて。小さな国だ、何もない、秩序も文明も何もかもが遅れている!!そんな国に、息子がかける命があったというのかね!?」


仕込んでいたプリンのカラメルが、湧き上がる怒りの如く湧き立つ。


「だからって曖永っちを追い出す理由にならないだろ!!」

「いいや、相手がいるから戦争が続くんだ、とっとと降伏するべきだ!」

「じゃあなんで曖永っちを受け入れたんだ!?あんたを信じたんじゃないのかよ……ッ!」

「それは……………………それは…………」


みぞれはいつしか、大粒の雪に変わった。

しんしんと降り積もる雪は、綿菓子のように白く、アスファルトに溶けていく。すべてが無意味で、虚像であったことを示すように。


「…………まるで、息子が帰ってきたみたいで…………」

「……もういいや。御馳走様でした」


店主は、今は亡き、かつての息子と重ねていたのだ。


この店を細々とでも続けていられたのだって。新聞を取り揃えていたことだって。全部、もしかしたらどこかで生きているのではないかと、信じてしまったから。


でも、決して店主が悪いわけではないのだ。それを獅鹿は十分理解して、それでも、この結末を受け入れられずに、お代をテーブルに乱雑に置き、その場を後にした。



「これで良いはずなんだ。これで、私はようやく」



――店主は、曖永が初めて、この喫茶店に転がりこんできたことを思い出した。


「ぼくをひろってくれませんか」


荒れ狂う雨嵐の中で、凩に吹かれた葉と共に、ボロボロの服を着た一人の青年。


「ここはあんぜんですか」

「いらっしゃい。……困ったねェ、君、名前は」

「なまえをください」


客という風貌ではなく、それどころか喋る言葉も辿々しいものだった。店主は暫し考え、警察に連絡しようか、然るべき場所に預けようか?そんなことを逡巡していた。

ちょうど客もいなかったので、「まァ座りなさいよ」と、空いてる席へ促した。ちょうど齢は、もし息子が生きていたら、同じくらいの年頃だろうか。そんな事を、店主はつい考えていた。


「このまっくろいの、のめるですか」

「苦すぎたらそこに砂糖はいってるから。ミルクいる?」

「うん、いる!」


白い陶器のキャニスターから、金平糖の砂丘のようなざらめをスプーン一杯に掬うと、物珍しそうにそれを眺めていた。

やがてその山をコーヒーに入れ、ミルクを注ぎ、一口飲むと、青年は表情に命が宿ったみたいに、満面の笑みを浮かべた。

きっと辛いことが沢山あった筈なのに。どこまでも無垢に、笑ってみせた。



『お父さん、僕将来大きくなったらね――』



あの子は、何になりたかったのだろう。

どんな未来を、夢見ていたのだろう。

……違う。所詮、重ねていた夢など、終わらせるべき筈なのに。


「喫茶店で働くとねェ、言葉遣いも覚えられるし、人と接するということ。お客様に喜びと、思い出の記憶を提供すること。色んな事を学べるものだよ。どう?やってみる?」

「はいっ!ぼく、たくさんしあわせ、つくります!」


ああ、こんな風に何処かで、笑っていてくれたのなら。



「私は、なんて事を……………………」



喫茶店の窓の外。一匹の野良猫が、明け方の氷上に浮かぶ月のように、薄らに店主を見つめている。その野良猫は、かつて曖永がこっそりと、餌をあげていた猫だった。――もし、自分がいなくなってしまっても、店主が寂しくならないように。


誰もがみな、何を信じるべきで、守るべきなのか、惑っている。

誰かの幸せを願うことを、生きる理由にすることは、人でありながらとても険しいものである。

それは、終わることのない懺悔をしたところで。誰一人とて、帰ってくるものは居ないのだから。

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