第十四話
クリスマスから正月を迎え、そして今に至るまで。仕切りなしに、『フォーリナーゼロ運動』という言葉が至る番組やSNSで拡散された。
知事までもが指でゼロの形を作ると、「国一丸となっていきましょう!」と、満面の笑みで記者に話している。
スーパーやコンビニ、あらゆる場所で、外国人の店員を見なくなった。それどころか、たどたどしい言葉で喋る客には、容赦なく「早く出て行ってください」と店員が冷たく言い放ち、拍手が巻き起こった。
外国人が出している料理店や雑貨店も軒並み見なくなった。品物が売れなくなったので、帰国せざるを得なくなったのだろう。代わりに良く知るチェーン店などが入り、店前にたむろしていた外国人などは見かけなくなった。
S区だけでもゴミはだいぶ減ったし、混雑しすぎていた人込みはほどよく解消された。腰が痛くなるほどの列に並ぶこともなく、清々しささえこみあげてきた。
――あいつが笑えない世界のはずなのに、善い方向に国全体が向かっている気がした。
あの日から毎日、家の前、駅の前、喫茶店の前。かつて働いていた工事現場の辺りまで、仕事の合間を縫っては待ち続けていた。その間、あんぱんと牛乳を持っていたもので、それを見た西川は「張り込みみたいですね」といって、一緒に待ってくれる日もあった。
それでも現れることはなく、淡々と日々が過ぎていった。
その過去が報われたかのような一報が入ったのは、街路樹の桜が満開になる頃だった。
「転勤なくなったそうですよ!よかったですね、先輩!」
なんと、仕事の頑張りが評価されたのか知らないが、俺の地方への転勤が無しになった。それどころか、この本社での出世の話まで出ているらしい。
俺は今までと変わらず、このS区が好きだ。あの屋上から見た時の、人々の生きる力強さが好きだったから。そしていずれは、世界を股にかけていくのだと。ここで働きたいと思っていた、その夢がようやく快方に向かったのだ。
「せっかくですし、この後飲みに行きませんか?お祝いに私からおごらせてくださいよ!」
「いや、いい。あんまお腹空いてなくてさ。この後も用事あるから……悪いな」
「……すみません。でも、気が変わったらいつでも声かけてくださいね!」
「ありがとな。頼りにしてるよ」
こいつともまた一緒に仕事できるようになって、万々歳だ。でもその反面、自分の肉をそぎ落としているようで、気づかぬふりをしている。
……こうやって、俺は昔から、自分の心を噛み潰して生きている。
*******************
「腹空いたなぁ」
公園の桜の木の下で、ぽつりとそう呟くと、懐かしい香りがした。花の風が運んできたのだろう。
ベンチに座って、噴水のシャバシャバと涼やかな音を耳に、春の麗らかな陽ざしにうとうとしていた。
「今どきの桜は、ずいぶん美味そうな香りになったな……」
「ふふ!仕事バリバリなイズミさんでも、ねぼすけさんな所あるんですね」
「………………食ってもいいか?」
「どうぞ!」
目の前に差し出された、待ち焦がれていたそれを、貰い受ける。
シャキシャキのレタスに、快晴の青空を泳ぐひとひらの桜の花びらが、はらりと舞い落ちた。熱々の大きな牛肉と、スパイシーなピリ辛ソースに、思わず舌なめずりをして。
それを一口大きく齧って、俺はようやく、目の前の人物と向き合うことができた。
「曖永、お前ちょっと身長伸びたんじゃないか?」
「ええー、なんか久々にあった親戚のオジサンみたいなこと言うんだねえ!イズミさんは……ふかふかだねえ!」
「お前、くすぐったいって!……このっ」
ちょうどつい数日前、美容院で刈り上げてもらったうなじに頬を擦り寄せられたので、仕返しに曖永の髮をワシャワシャとしてやって。束の間ではあったが愛おしかったあの日々に、自分でも訳がわからない程、涙が溢れた。溢れて、止まらなかった。
「もうすぐここを経つから、バイバイしに来たよ」
気づけば、大きなリュックを背負い、さらには複数のバックやキャリーケースがあった。
曖永は俺をゆっくりと見て微笑んでから、俺の隣に座った。相変わらず曖永からは、どこかの南国の花のような、蜜の香りがした。
「覚えてる?イズミさんが、初めてあの喫茶店に訪れたとき。僕、どうしても心配だったんだよ。でも、元気そうでよかった!」
初めて出会った日の事を思い浮かべる。人生で味わった、底しれない絶望。
そこに突如現れた、ふわふわと屈託のない笑顔を浮かべる、メニューにないものを差し出すUMA店員。そんなふうに思っていた。
でも、その底知れない、紛れもない曖永自身の愛とやさしさに、俺は救われ続けた。
「なあ。本当に、お前の力になれることはないのか」
「イズミさんを困らせちゃうから、それはできないよ」
「じゃあ何も言わなくていいから、俺と――」
喋りかけた俺の唇に、「しいっ」と、指を充てられる。まるで僕は、そんな人生を望まない。というように。
曖永は俺と同じく、別の形で、ただ何かを為さんとする自由と、志があった。閉じ込めてしまっては、こいつの幸せにはならないのかもしれない。
それに、一瞬だけ。この国にはもう、曖永の居場所なんて無くて。きっと母国だとか、帰るべき場所に、居場所があるんじゃないか、と。どんな甘い考えが過ってしまう。
「前にイズミさんが言ってくれたでしょ?僕とこれから、一緒に探しに行こうって。でもね、僕、この国で働いていて思ったんだ。皆、守るべき家族がいて、仲間がいて、国がある。……僕もようやく、向き合う覚悟ができたんだよ」
どうしてこんな形でしか俺は、曖永の幸せを叶えてあげられないんだ。――どうして。
「どうしようもなく俺は大好きなんだよ!!お前の事が!――なのになんで、お前の事を。……曖永を好きでいることが、こんなに、苦しいんだ」
「……ごめんなさい。イズミさん、僕もね。イズミさんのこと、ずっと大好きだから」
「いいか?もう、いいんだよ、お前はお前の為だけに生きるんだ。だから、絶対に!」
出会った時から変わらない。新緑の瞳が僅かに揺れ動いて、俺の苦しい表情を映し出している。
思わず抱き寄せた心臓はすぐそこにあって。今にも、翼で飛んでいってしまいそうな軽さで。
こんなときにも、曖永は笑顔だった。うれしいときも。そして、どんなつらい悲しさのときも。
「僕がイズミさんの事を、誰よりも大好きなことを。どうか、忘れないで」
――桜の絨毯には、ただ、曖永の足跡が残された。
俺は甘じょっぱいケバブをむせながら食べ、麗からな春の陽の下で、快晴に浮かぶ影送りをぼんやりと夢見ることしかできなかった。
とぼとぼと家に帰れば、曖永と一緒に寝転がったハンモックや、髮を乾かしてあげたドライヤー。置いていった曖永の故郷の不思議な置物に、数多の秘伝スパイスがキッチンに置かれいていた。
「…………俺も、前向かなきゃだよな」
真っ暗な部屋が、早朝の朝日に照らされるまで。
俺は玄関に立ち尽くして、ただ、遣る瀬無さに、己を恥じた。




