第十二話
「――それで、答えは出た?」
俺はまた夢の中で、知らない場所の雄大な放牧場で、胡座をかいていた。
隣には犬が長閑に、俺の体に身を寄せて丸まっている。
「詳しいことは分からないけどさ。国境がない世界って、支配してるのと同じことじゃないか?」
曖永は黙って、俺の出した答えの続きを待っているようだった。でもなんというか、曖永はそこに確かにいるはずなのに、全く違う誰かのような気がしてならなかった。まるで生成された、理想の曖永がそこに存在していて。
正直、逃げ出したい。いますぐにでも、この苦しい問いから、逃げ出したい。
――ふわふわとした白昼夢のようななかで、それでも俺は、頭でハッキリしないまま、答えを口にする。
「時々思うよ。同じ人間なはずなのに、どうして生まれや育ちが違うだけで犠牲になる運命があるんだって。俺は良い家庭とは言えなかったからさ、這いつくばってのし上がってきた。でも、それでも救われなかった奴はいる」
「救えない彼らを救うために、何がいけないことなの?」
「……ただ、自由を従えることは、支配と同じだ」
「そっか。……そっかあ!…………ありがとう、イズミさん」
可笑しい。いつもの、太陽みたいな、紛れもない笑顔のはずなのに、どうしてもその表情が堪える。
――どうしてそこまで、笑っていられるんだ。
「その答えを、僕は、僕以外の誰かが示してくれるのを待ってたんだ。だからここで、お別れだね」
「なんでそうなるんだよ!?そうじゃなくて、俺はッ!」
息苦しさだけが、誰もいない空間に取り残されて。曖永は鳥のように、何処かへ飛んで行ってしまったのだろうか。いや、そもそも、飛んで行きたくて、仕方がなかったのだろうか。
焦りに勢いで立ち上がって、椅子が倒れ、ゴトンと空虚な木の音が反響する。
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「メリ〜〜〜アンポンターン!!」
「……………………それ言うなら、メリークリスマスな……あと今日はまだイヴだ」
「あ、間違えちゃいましたあ!えへへ、難しいねえ言葉って!」
曖永の腹から出た大声の挨拶とともに、激安の殿堂で買ったであろう爆音クラッカーを耳元で鳴らされ、暫し耳が回復するのを待った。
街の木々や建物に、星々が実り始める頃。気づけばオフィスのロビーなんかにクリスマスツリーが設置されていて、至る所に『クリスマスフェア』という言葉をよく見る。
ケーキ屋の予約が始まっただとか、そんな広告が商店街の掲示板や店の壁に貼られていたりして、あまりにも早い一年の終わりにゆっくり息をつく暇すらない。師走とは言ったもので、年末にかけて俺や西川、どの部署も大忙しで、行っては帰ってを繰り返してようやく終わりを迎えた。
そして曖永の作ってくれたスパイスたっぷりなキーマカレーを食したところで、風呂や歯磨きをして、紙を乾かしている最中に爆睡。
気づけば最初の年末年始休みは、このように情けなく、世話しない幕開けとなった。
「今日はあの場所行くって言ってただろ。海近いからな、着こんでけよ?」
「はーい!でも僕暑がりだし、イズミさんにずっとくっついてればヘーキだよ~!」
「…あんまそういうこと誰にも言うなよ?ったく…ずっと抱き着いてちゃ動けねえじゃねえか」
それにしても我ながらよくこの日までに、仕事を終わらせたなと思う。
――あれから俺は、考えた。夢で出会った筈なのに、いつまでも忘れられない記憶。
『もし、国境もない、すべてが一つの国だったのなら。僕らは、幸せになれたのかな』
嗚呼、どんな言葉で贈ろうか。
――俺の覚悟はもう決まっている。
ただその前に、俺は一つだけ曖永に打ち明け、約束しなければならないとも。そう、考えている。
それは、明日のクリスマスの日に。
あの高層ビルの屋上で、告白するつもりだ。
「……ッ!だから急に」
「えへへ。イズミさんの顔見てたら、挨拶したくなっちゃった!」
「……………………そうかよ」
相変わらず、心臓が跳ね返る思いだ。こうやって茶化してか知らないが、曖永は俺に突然軽い口づけをする。でもそれは、ショートケーキのホイップを啄むような幸せで、そのたびに俺の心は毛糸みたいにこんがらがって、理性という糸を解すのに非常に手間と時間を要する。
寝ぐせでぐちゃぐちゃな前髪を雑に掻き上げると、曖永と並んで歯磨きをして、作った朝食をテーブルに並べた。
「いつも作ってもらってるからな。ちとカロリー高めだだが、まあ、食ってみな」
「おお~、すごい美味しそう!」
ちなみにこういう時、みそ汁に白米、焼き魚に兎を模したリンゴなんか用意して、こういうのが朝食なんだと胸を張れればよかったのだが。俺はあいにく漢飯しか作れないので、がっつりにんにく入りの焼きそばにバナナ、プロテイン入りの牛乳という、情緒のかけらもない飯を曖永に食べさせてやることしかできなかった。
もしこれが西川であれば、「朝からちょっと重くないですか…?」とドン引きされるだろう。これをペロリと麺一本残さず平らげてくれるので、なんだか俺は嬉しくなった。今なら、”近い方がいい”といった曖永の気持ちも、笑顔を目の前にした今なら少し理解できた気がした。
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車で出かけて数時間後。
海沿いにたどり着いた俺たちは、ようやく空いていた駐車場を見つけて、そこに車をとめた。有名な場所なだけあって、辺りは人でごったがえしている。
「すごーい人だねえ。それに、楽しそうな人いっぱい!」
「例年こんな感じなんだよ。有名なクリスマスマーケットがあってな。ここのウインナーやら酒らが美味いんだ」
「そうなんだねえ、イズミさんはこれまでに来た事あった?」
「あ、ああ……まあな」
その昔、近づいてきた女とここで飲み食いをしたことがあった。相手から誘ってきたもんで、まあ付き合いもあるしな、と承諾した。若かりし俺はそのまま良い雰囲気になったところを、「興味がない」と断ったらその場で泣きだされ、周囲から白い目で見られたのは苦い思い出だ。
…そういえば曖永は、これまでに好きだった女とか居たんだろうか?もしかしたら、俺のことなんて何とも思ってなくて――。
「お~~い、イズミさん?」
目の前で手を振られてハッとする。こんな所で弱気になってどうする?…仕事でも大事なことは、”取り敢えず全力でやる”そういうことだ。
案の定、曖永がクリスマスマーケットの店を全部回るというので、大慌てで首根っこを引きずりながらも、いろんな場所を回った。曖永は『シュトーレン』という、ドライフルーツやスパイスを混ぜ込んだ生地に雪のような粉糖を纏ったパンをえらく気に入ったようで、店員と話してあっという間に材料やレシピを大まかに把握し、窯で作ろうと意気込んでいた。
俺はといえば、曖永にお使いを頼んでいる間にこっそりプレゼントを買っていた。偶然にも以前ビルの屋上に向かう最中に、曖永が入ったのと同じ店があったので、緊張しながらもあいつに似合うピアスを買い終えた。
ちょうど曖永が煙をあげてダッシュで戻ってくるところだったので、それを慌てて内ポケットに隠した。
海に浮かぶ船の明かりを眺めながら、俺と曖永はマーケットから離れた公園の、とある長蛇の列に並んでいた。事前に予約はしていたのだが、思っていたより詰まっていたらしい。
「楽しみだなあ。ねえ、この先に何があるの?みんな、何かを一緒に揺らしてるみたいだねえ」
「それはまだ秘密な。てかどんだけ遠くまで見えてるんだ」
「ねえイズミさん、さっきのお店また一周走ってきていい?寒いから走ってぽかぽかしたい」
着ていた厚手のブルゾンを首元までチャックをして顔をうずめていたので、寒さにはあまり強くないのかもしれない。…きっと、こいつが住んでる場所はもっと喉かで、温かい場所なのだろう。
俺は曖永の手をそっと握って、そのまま、己の着ているロングコートのポケットに入れた。
「これで少しはマシになるだろ。…悪いな、並ぶの苦手だったか」
それ以降、曖永は何も喋らなくなってしまった。ただ、ポケットの中で握っていた手は、湯たんぽのように温かく、戻ってきた体温に俺は安堵した。
長いようで短い順番はあっという間に俺たちの番に回ってきた。
昔使われていた教会の鐘をクリスマス試用に開放していて、順番が回ってきたら一組ずつ、その教会の中に入って鐘を鳴らす。すると、その二人はずっと幸せに結ばれる、という、よくある迷信のような言い伝えがある場所だった。
教会の扉を開けると、そこは静寂に包まれていた。レンガ造りの外壁とは違い、中は真っ白な柱や広々とした天井、ステンドグラスが、暖炉のような光彩で身廊を照らしていた。
歩くたびに靴の音が反響して、最奥には大きな鐘とともに、赤いリボンが結ばれた紐があった。
ポケットから繋いでいた手を離すのに少し惑ったが、そのまま紐を一緒に鳴らすと、キラキラとした輝きが聖歌となって、いつまでも響き渡っていた。
「…俺、ずっと考えてたんだ。俺も、お前も、一緒に暮らしていけるにはって。それでようやくこの前…ようやく分かった」
真横に立つ曖永と向かい合うと、横髪をそっと耳にかけてやって、ポケットから先ほど買ったガーネットのピアスを取り出した。
「これから探そう、二人で」
そして、その小さな耳を優しく擦りながら、俺が開けた穴に、丁寧に付ける。
「ないんじゃねえんだ。これから探して、世界中を回ろう!で、お前はケバブとか、美味いもん作ってさ。キッチンカーで回って、俺たちが暮らせる場所を見つけるんだ。どうだ、面白そうだろ?」
「……ッ!うん、すっごく楽しそう!それに、イズミさんも、なんだか嬉しそうだよ!」
「そりゃあなあ!で、もう一つ伝えたいことがあるんだが…」
「ええ、なに!?なんですかぁ!?」
「なんで急にテンション上がってるんだよ!…明日になったら、な」
忘れさせない様に、曖永の口元に熱い約束を交わして。日に日に、ああ、いつから俺はこんなに意地汚いんだというほどに、抱えようのない独占欲をぶつけたくなる。
「…ふふ。ピアス、いつの間に買ってくれてたんだ…!嬉しい、僕、嬉しすぎてもう、笑いが止まりません…!」
「っておい、お前もしかして、泣いてるのか?」
「違いますよ!嬉しい涙、っていうやつですよ!というかイズミさん、ここ最近、挨拶したくてたまらないんですか?」
「んな訳ねえだろ。ま、挨拶ってことにしておいてやるよ。まだな」
「ちょっと、その……最近のイズミさん、なんか。なんか、つい恥ずかしくて張り手しちゃうような顔で」
「勘弁してくれよ」
とある日のダチョウの顔を思い浮かべながら、その晩はぐっすり助手席で眠る曖永と家に帰った。
ふと郵便受けを覗くと手紙が入っていた。朝に見た時はなかったので、昼頃に投函されたのか?と思いつつ、住所を見ると、たしかに俺の部屋で合ってはいるのだが。
「なんというか書き慣れてないような、んん…?象形文字って言うんだったか、こういうの」
押印のようなものはあるが、表にも裏にも、差出人の住所の記載がない。それに、俺宛てにくる手紙の予定はなかったはずだ。
半分寝かけている曖永を介抱しながらベットに寝かせ、リビングでランプをつけ、その手紙を開封する。
すると、明らかにこの国の言葉ではない文字で、かなり急いで走り書きしたかのような紙が数枚ほどあった。それに、汚れた手で書いていたのか分からないが、紙の端には土の汚れのようなものが付着している。
「もしかしたら、曖永の家族とかだったり…してな」
曖永の枕元にそっと置くと、俺もベットに横になり、そのまま深い眠りに落ちた。




