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ケバブの天使  作者: 犀箸
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第一話



逗口とどぐちくん。君、来年から転勤ね。これ決まったことだから」



その言葉は、俺の心を折るのには十分な、あまりにも十分な、命令だった。


――宇宙にさえ届くような大企業のビルが聳え立つ、S区。

そのビルの高層階のとある会議室で。高らかな嘲笑う声と共に部屋を去られた後には、まるで真っ赤な火鍋を沸々と煮詰めたような怒りと、梯子を降ろされたような脱力が、膝を笑わせた。

俺は放心状態のまま、会議室を出た。


ついこの前、大規模な商談を成功させた。俺ほどの高スペックで顔も良く、仕事をこなす従順な犬はいないだろう。このまま順調にいけば大出世も夢じゃない。そうなったら世界をまたにかけた仕事を成し遂げる。

――そのつもりで、ここまで来たのに。俺はただの”野犬”だったってのか?


組織に属する以上、いつか蹴落とされる覚悟はあった。が、何故だ?何故仲間内から背中を撃たれる?

連日仕事をしているとつい先ほどまで、腹が減らないようかっ食らった筈が、また腹が空いて仕方がなくなる。


「ねえ、この前のバッグまた買ってよぉ〜」

「ええ〜?まあユキちゃんが言うなら、仕方がないなぁ〜!」


気づけば会社を出ていた。広々とした歩道を歩くカップルを後目に、俺はただ苛々と、目的もなくカツカツと鳴らし、練り歩く。

『華の一つでも持ったらどうだ?』入社してから言われた、そんな言葉がふと蘇る。


「ただでさえ刑事(デカ)飯で苛立ってんのになァ……」


刑事飯とは、アンパンと牛乳を毎日食べてた所を、社内でそう揶揄されていた呼称である。

これまでの俺の人生は、とことん詰られる。罵倒される。いつから、こんな狭隘な岐路に立たされている。俺は。


「……クソッ、腹立たしいったらありゃしねえぜッ!!どいつもこいつも!」


やけくそにカラッと蹴り上げた空の缶コーヒーが、宙を舞う。

……そうだ、この国を出よう。

缶コーヒーが立ったら止める。側面が転がっていけば――


「………………こんな国、出てってやる」


ふと目に留まった喫茶店。普段は立ち寄らないのだが、今日のような日には、こういう場所を訪れて一度感情を整理して、腹を満たし、落ち着くことが必要だろう。


俺は普段は立ち寄らないであろう場所に、扉を開けてベルを鳴らした。




**************************




「いらっしゃいませ。ご注文は?」

「ランチセットのナポリタンパスタ大盛り、サラダは胡麻だれ山掛け。セットはホットコーヒー砂糖山盛り」

「ええと、はいぃ……」


お冷を勢いよく飲み干すと、強く握りしめた指の指紋がコップにこびり付いた。

窓際に飾られているヤマユリを見やりながら、鳩時計から響く木製の刻む秒針を耳に刻む。

いつしか効率に慣れすぎた身体にとって、時計のないこの喫茶店はひどく時間が朧げで、なんだか落ち着かない。


「お待たせいたしましたあ。ご注文の――」


良い匂いが近づいてきた。ああ、これは実に食欲をそそる――。



「ケバブサラダ、チリソースパスタ、セットのチャイラテでございまあす!」



“刺激臭”。鼻の鼻腔がその気配を察知した瞬間、俺の意識が吹っ飛びかける。

上品とは程遠い、嵐のようなブッ飛ぶ品の数々。

可笑しい話だ。そうだ、俺はそもそも喫茶店に入ったのに、なぜこんな異国のメニューが出てくる?


「ごおおおおおおおめんなさいねェお客様!?ほら君も謝りなさいよ!」


頭を無理やり下げられた当本人と店主は、「おすすめは『ニギニギなちゃゴレン』だよ〜」「だからいつも勝手に母国の料理出さないでって言ってるよねェ!?」と何やら揉めているのだが、結局は確信犯だということなのだろう。


「……ああ、いい。いいです。じゃあそのナンチャラもみもみゴレンも持ってきてください」

「あいよ!お客様、合点承知だよッ!おまけにケバブもう一個ね!」

「だからこれ以上作るなって言ってるよねェ!?」


店主が大慌てで、俺が頼んでいたランチセットを作りに厨房に戻る。

俺と、ふわふわと屈託のない笑顔を浮かべる、UMA店員。どんな状況なんだ、クソ。

やけくそに口の中に運んだ、真紅の麺。


「…………スパイス入ってんのかこれ」


啜ると、ふんだんなチリソースに目眩がするも、様々なスパイスの調合に俺はつい顎をさすった。


「そうだよ〜!どう?お客様のお口に合いました?」

「ああ、なんだか初めて食べた味でな、うまく言葉にできないが…………。元気が、出るな」


ケバブもチャイラテも、どれもこれも、様々なスパイスや食材が味蕾の上で踊りだす。

味の喧騒ともいうべきこの味は、つい病みつきになるような旨みと、いつからか忘れていた、沁み渡る温かさがあった。


「……ちょっとお客様、元気なかったみたいだから」


がむしゃらに食べていた俺の顔を、覗き込む。

初めて認識したその瞳には、この国では見たことのない山奥に広がるような深林が広がっている。


「僕、この国に来たばかりで、まだ言葉が上手に話せない。だけど、うんと」


俺を覗き込む横顔に、耳にかけていた金色の織物のような毛がさらさらと零れ落ちてきて。

トンボ玉のような澄んだ瞳が、躊躇う様にいじらしく、爽やかに吹かれる新緑の葉のように揺れ動いている。

小麦の肌にオリーブのピアスが、ゆりかごのように、窓からの採光に煌めいていた。



「また来てくださいね。あなたに、元気出して欲しいから!」



小首を傾げながらそう微笑みかけるその横顔に、俺はつい頬杖をついて、目を背けて。


「…………おう」


そんな曖昧な答えしか、口にすることができなかった。



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