第24話 夜祭の喧騒
夕立ちの名残りがまだ石畳に光を宿していた。
湿った空気が町全体を包み、境内の水たまりが赤く沈む夕焼けを映している。
神社の鳥居には、揺れる提灯がずらりと並び、そこから先は笛や太鼓の音、香ばしい匂いが入り混じった世界だった。
雨に濡れた地面の匂いと、焼きそばの甘辛いソースの匂いが一緒になって鼻をくすぐる。
「さぁ、準備は整ったぞ!」
境内の隅で、宮司の弘が大きく腕を振った。
山車の車輪が泥をはね、白木の枠と布幕が夕陽を浴びて鈍く光る。
笛が甲高く響き、太鼓がドンと鳴ると、境内の空気がひときわ張り詰めた。
◇ ◇ ◇
屋台も次々に火を灯していく。
焼きそば、金魚すくい、綿飴、ヨーヨー釣り、かき氷──どの店先も色とりどりの看板を出し、客の呼び込みに余念がない。
浴衣姿の若者たちがラムネを片手に笑い、親子連れがヨーヨー釣りに熱中し、射的の列には少年たちが肩を並べる。
「おばあちゃん、見て見て!」
「お、三匹も取れたのかい!」
水音と歓声が交互に響くたび、湿り気の残る風が通り抜けていく。
◇ ◇ ◇
境内の中央には、踊りの輪が出来ていた。
「輪になって踊ろう!」
呼びかけの声に合わせ、子どもも大人も入り交じりながらゆっくりと回り始める。
山車の上から鳴り続ける笛と太鼓が、その歩幅を導くように響く。
踊りの中心には浴衣姿の佳乃と、笑みを絶やさない雅人の姿があった。
二人は型をそろえながら、時折顔を見合わせて笑う。
「佳乃さん、今年はずいぶん上手くなったじゃないですか」
「雅人さんが隣で踊ってくれるからですよ」
周囲の人々もそのやり取りに目を細め、踊りの輪はますます大きく広がっていった。
◇ ◇ ◇
境内の片隅、石のベンチに腰かけた英子が、その光景を静かに見つめていた。
「……やっぱり祭りはいいもんだねぇ」
「おばあちゃん、前は山車がもっと多かったんでしょう?」
「そうさ、町内会ごとに出してたもんだ。今は一台になっちまったけど……音さえ響けば、それでいい」
英子は膝の上の扇子をゆっくりと仰ぎ、遠くの太鼓の音に耳を澄ませる。
胸の奥にまで響く重い音が、身体を内側から震わせていく。
◇ ◇ ◇
屋台の奥では、無名の少年たちが賑やかに競っていた。
「俺、ラムネ三本目だぞ!」
「金魚五匹だ、見たか!」
店主たちは笑いながら応じ、おまけのおもちゃや線香花火を手渡していく。
湿った空気の中で、花火の火薬の匂いがほのかに漂った。
◇ ◇ ◇
祭りが最高潮に達したころ、境内全体が一つの大きな波のように揺れていた。
踊りの輪はさらに広がり、笛や太鼓が高鳴り、提灯の赤い灯が湿気を帯びた空気にぼんやりと滲む。
「雅人さん、今度はかき氷にしましょう」
「いいね、佳乃さん」
二人が輪を抜けて屋台に向かって駆け出す。
その背中を、英子が目を細めて見送った。
「……こうしてまた、一年、待てばいいのさ」
◇ ◇ ◇
祭りの終わり、弘が再び境内の真ん中に立つ。
「今年も、いい祭りだったな」
古いレコードプレーヤーの針がそっと外され、音楽が止む。
その瞬間、境内はすっと静まり返った。
けれどそれは寂しさではなく、夜祭の余韻として柔らかく漂っている。
「また来年、やろう」
弘の声に誰もが頷き、提灯の灯を頼りに帰路へと歩き出した。
喧騒が去った後の神社には、夏の夜風だけが残った。




