表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/25

第23話 夢のミラクル・ポケベル

 引き戸を開けると、カランと鈴の音が鳴った。

 ナカジマ無線の店内は蛍光灯の白に包まれ、棚には黒電話、ラジオ、録音機が並んでいる。

 奥の壁に貼られたポスターには、大きくこう書かれていた。


 ──『夢の通信 ミラクル・ポケベル 新登場!』


「お邪魔しますよ」


 ゆっくりと入ってきたのは和枝だった。

 後ろには娘の美保、そして婿の亮治が続く。


「母さん、今日こそ持とうよ。今みんな持ってるんだよ」

「そんなに鳴らされるような用事、わたしゃないけどねぇ」


 和枝が笑うと、店の奥から若い店員が姿を見せた。

 名札には「新次」とある。


「いらっしゃいませ。ポケベルをお探しですか?」

「ええ、娘に引っぱられてね。何でも“鳴る”らしいじゃないの」

「はい。こちらがうちのおすすめ、“ミラクル・ポケベル”です。鳴るだけでなく、番号で気持ちも伝えられます」


 新次が小さな黒い機械を掌にのせる。

 手のひらほどの重み。側面には丸い窓と銀の留め具。

 和枝は眉をひそめてのぞきこんだ。


「思ったより小さいねぇ。鳴ったら、どうするの?」

「鳴ったら公衆電話から折り返すだけです。簡単ですよ」


「公衆電話から……ふぅん」

「そうです。たとえば外に出ていても、公衆電話からすぐ折り返せます。お家にいなくても連絡が取れるんです」


   ◇   ◇   ◇


「母さん、ほら見て。数字で言葉ができるんだよ」

 美保が連絡帳を広げて指さす。


「ここ。“084”で“おはよう”。“114106”で“あいしてる”。」

「なんだいそれは。暗号じゃないか」

「そう。だけど分かる人にはすぐ伝わるの」


 亮治が得意げにうなずく。

「会社でもやってますよ。“0833”は“おやすみ”。ちょっとした遊びです」


「へぇ、若い人は忙しいねぇ。寝る前まで数字でおしゃべりかい」

 和枝は笑いながらも、その手はすでにポケベルを撫でていた。


   ◇   ◇   ◇


 引き戸が開き、木箱を抱えた匠が入ってきた。

「納品の帰りに寄ったら、見慣れた背中が見えたもんでね」


「匠さんまで。あんたもこれ持つの?」

「考え中さ。山に配達行くと声が届かんからな。鳴ってくれたら便利そうだ」

「そんなに鳴ったら、町じゅうピーピーうるさくなるよ」


 店の中に笑いが広がる。

 扇風機の風がポスターを揺らし、「夢の通信」という文字がかすかに光った。


   ◇   ◇   ◇


 契約の紙を受け取り、和枝は名前を書き入れた。

 新次が小さなボタンを押す。ピピッと軽い音が響く。


「鳴った……!」

 和枝が目を見張る。


「これが“呼ばれた合図”です。お嬢さんが試しに鳴らしたんですよ」

「そうかい。数字の言葉かと思ったら、音で呼ぶのねぇ」

「どちらもできます。数字も、音も、想いを乗せられます」


 和枝はうなずき、革のケースを帯の内側に収めた。

「落としたら大ごとだからね。煮物より気をつけなきゃ」


   ◇   ◇   ◇


 夕暮れ、商店街を抜けて帰る道。

 和枝の帯の内側で、ミラクル・ポケベルが小さく鳴った。


「おや?」

 立ち止まって覗くと、数字が並んでいる。


 ──084


 ポケットの連絡帳を開く。美保の字で「084=おはよう」と書かれていた。

 思わず吹き出す。

「まったく、もう夕方なのに“おはよう”とはねぇ」


 笑いながら歩き出すと、また小さな音。

 今度は、ゆっくりとした数字の並び。


 ──114106


「……あいしてる?」


 夕陽の光が電柱の影を長く伸ばす。

 和枝は立ち止まり、胸のあたりをそっと押さえた。


 誰かがどこかで、ほんの少しでも自分を思い出してくれる。

 それだけで、生きている実感がある。


 ミラクル・ポケベルは、まだ温もりを残したまま静かに光を消した。

 遠くで風鈴が鳴り、通りの夕餉の匂いが流れてくる。


 和枝は目を細めてつぶやいた。

「鳴るも鳴らぬも、悪くないねぇ」


 その声は風に溶け、町のあちこちへ、ゆっくりと広がっていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ