第22話 ペンの行方
夕方の陽が少し傾き、青嶋文具店のガラス戸を金色に染めていた。
蝉の声が遠のき、代わりに扇風機の回る音が店内に広がる。
時男は、磨き終えた万年筆を一本ずつ布で包みながら、ふと手を止めた。
「……あの子、もう電車に乗った頃かな」
恵美がカウンターの奥から顔を出す。
「悠介くん、いい顔してたね」
「ああ。あの万年筆もきっといい仕事してくれるだろう」
「うん。ああいう買い方って、なんかいいな。自分の“始まり”に贈る感じ」
恵美は麦茶のグラスを指先で転がしながら言った。
店内の時計が、静かに五時を指していた。
◇ ◇ ◇
「時男さん、自分が最初に万年筆を買ったときって覚えてます?」
「もちろんさ。18の時だ。初任給で親父の店に来たら、“一生ものだぞ”って、店で一番高い万年筆を勧められてな」
恵美が吹き出す。
「さすがだねぇ」
「でもな、あの一本があったから今も続いてる気がする」
時男はケースの中を見やりながら言った。
「“書く”ってのは、やっぱり思い出を刻むことでもあるから」
◇ ◇ ◇
そこへ、通りを走ってきた少年が息を切らして入ってきた。
「すみませーん! 母さんの誕生日プレゼントにペンを探してて……!」
「おっと、また若い客人だな」
時男は穏やかに笑みを浮かべ、ガラスケースの鍵を開けた。
「母さんの好きな色、わかるか?」
「赤です!」
「じゃあ、赤いペンにしよう。ちょうどさっき、いい一本が入ったところだ」
恵美が嬉しそうにうなずく。
「時男さん、その流れ、もうお得意だね」
「いやぁ、縁ってのは不思議なもんだ。節目のあとには、必ず誰かの想いが続いてくる」
◇ ◇ ◇
少年が去ったあと、店には再び静けさが戻った。
外では風鈴が鳴り、路地を抜ける風が少しだけ秋の匂いを運んでくる。
「ねぇ、時男さん」
「ん?」
「この店って、なんか“節目の記録係”みたいだね」
時男は目を細めて笑った。
「それなら悪くない役目だな。人が何かを始める時に、少しだけ関われるってのは」
そう言って、手元の布をもう一度広げ、万年筆を丁寧に磨き直した。
その金属の光が、夕陽を受けて静かに輝いていた。




