第10話 十円のたたかい
商店街の片隅にある古びたゲームセンターは、いつも湿っぽかった。
扇風機は首を振るだけでほとんど風を送らず、熱気と電子音が入り混じっている。
菜々子はその片隅の、壊れかけの筐体の前に座っていた。
画面に映るタイトルは──『戦場のカタツムリ』。
動きは信じられないほど遅く、グラフィックはやる気がなく、攻撃方法は“よだれを垂らす”だけ。
敵は唐突に現れては、容赦なく撃ってくる。BGMもどこか壊れたオルゴールのようで、調子外れだった。
だが、1プレイ10円。
誰もやらないこのゲームは、いつも菜々子専用だった。
◇ ◇ ◇
「またあの子やってる」「絶対クリアできないって」「見てると眠くなるわ」
背後で囁かれる声を、菜々子は気にしなかった。
小学五年生の小さな指が、ぬるりと反応の悪いレバーを操る。
じりじりと、止まらず、焦らず。
やがて見慣れない地下水路の画面に入ると、子どもたちは集まってきた。
「……え、こんなステージあったの?」「敵でかっ」
眠たいゲームに、いつの間にか“観客”がついていた。
◇ ◇ ◇
やがて大きなナメクジ兵士が現れ、ぬるっと飛びかかった。
菜々子は反応できず、一発でやられた。
「──あっ」
思わず声が漏れる。
その時、背後から小さな拍手が聞こえた。
「……すごいよ。ここまで来れた人、見たことない」
振り返ると、知らない男の子が立っていた。四年生くらいだろう。
少し緊張したように名乗る。
「俺、陽介。……見てたら、ちょっと勇者に見えた」
菜々子は赤くなり、小さく笑った。
◇ ◇ ◇
次の日から、陽介は十円玉を小袋に詰めて現れるようになった。
菜々子の横で画面を見守り、時には交代して一緒に遊ぶ。
「このゲーム、遅いけど……クセになるな」
「でしょ? だんだん変なとこが楽しくなるんだよ」
二人のやりとりはぎこちなかったが、レバーとボタンがその間を繋いでいた。
週が変わるころには、観客がさらに増えていた。
格闘ゲームの順番待ちをしていた連中も、なぜか“カタツムリの進軍”を見守るようになっていた。
◇ ◇ ◇
ある夕方、二人はついに「ナメクジタワー」に到達した。
画面がちらつき、BGMが歪み、塔の上から巨大なツノがのぞく。
「これ……ラスボスじゃない?」
「でも、まだ動かないわ」
30秒後。ようやく動いたラスボスは、とんでもなく強かった。
四方から飛んでくる“つば弾”に、カタツムリ兵士はあっけなく沈む。
「ゲームオーバー」
筐体に無機質な文字が浮かび、ゲーセンの空気が一瞬止まった。
「──ここまで来れるの、菜々子ちゃんしかいないよ」
「陽介くんがいたからだよ。避けるタイミング、私ひとりじゃ無理」
二人は、次を約束するように目を合わせた。
「……明日もやろ」
「うん、やろ」
◇ ◇ ◇
外に出ると、商店街の空は赤く染まっていた。
入り口に腰かけていた店主のじいさんが、うちわを動かしながら言った。
「……あのゲーム、壊れてんじゃないかって思うだろ」
陽介が首を縦に振ると、うちわで仰ぎながらじいさんは笑った。
「壊れちゃいねぇ。あのゲームはな、わけが分からなくて当たり前なんだ」
菜々子はもう一度、筐体を振り返った。
カタツムリ兵士がタイトル画面の中で、静かにうねっている。
まるで、再び10円の勇者を待っているように。




