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行きはよいよい

 乗り込んだパトカーの中は蒸し暑かった。窓を閉め切っていたせいで、雲間から差し込む朝日を浴びて、熱が内部に籠もってしまったようだ。さっきから鳴り続けている無線の声が、どこかセミの鳴き声のように感じてしまう。


「サイトウ、お前またエンジン切って出たのか? これじゃあビニールハウスと変わらんぞ」

「あ、すみません、つい」

「エコだか知らんが、地球の前に自分の体壊すぞ」


 年配の警察官のタカミネさんがそう言いながら、助手席のウィンドウを全開にした。外からの生ぬるい風が、車内に籠もっていた空気を少しづつ追いだしていく。

 だが、俺たちと警察官たちの間に漂う、不思議と張り詰めた緊張感までは変わらないままだった。


「お二人は、その……大丈夫なんですか?」


 若い警察官のサイトウさんが、厚着してる俺と春雛さんを不思議そうに見つめてくる。


「すんません、この下、上裸なんで」

「へー、そういうファッションなの?」


 タカミネさんが抑揚のない声で尋ねてきた。


「いえ、単純に服が無くて、それで仕方なく」

「ほー……? じゃあ、そっちの子はまた何で?」

「あ……、その……」

「―――こいつ昔から人見知りが激しくって、初対面の人にはだいたいこんな風に顔隠しちゃうんですよ。気に障ったのならスミマセン」


 言い淀んでいた春雛さんの頭に手を置いて、頭を下げさせるフリをしながら、フードを目深に被せる。

 ちらりと見えた彼女の口もとが驚いたような形をしていた。俺が庇うような行動をしたのが意外だったのだろう。警察官たちの死角になってる座席の陰で、気付かれないように親指を上げる。


 事情は分からないが、彼女があまり顔を晒したくない事ぐらいは察せられる。なら、出来るだけそう振舞えるように協力してやろう。それが記憶の無い俺に色々教えてくれた、この子への恩返しみたいなものだ。


「いやいや、そんな気に障るってほどじゃ……それじゃあ、君らは知り合いなんだね?」

「親戚です。この子は夏休みを利用して、地方から東京に遊びに」

「そりゃあ災難だったね、お嬢さん。せっかくの旅行なのに、こんな事に巻き込まれちゃって」

「い、いえ……」


 タカミネさんの同情するような言葉に、春雛さんは小さく首を振った。

 ……嘘は、バレてないみたいだ。


「それじゃあこれ以上時間取らせるのも可哀想だし、さっさと済ませちゃおうか。形式的なものだから、楽にしてくださいね。それじゃあ……まずお兄さんから、名前を伺ってもいいかな?」

「戸草郷二郎です」

「何か、身分証は持ってる?」

「免許証でいいっすか? ちょっと待ってください……」


 バッグの中を漁って、財布を取り出す。


「すごい量のお菓子ですね……?」

「……食べます?」


 俺のバッグの中身に唖然としているサイトウさんに、免許証を渡しながら尋ねる。そういやこのバッグ、盗品ばっかりじゃねえか。素で忘れてた。記憶が抜け落ちたせいで、物忘れも激しくなってるのか? 急になんかイヤな汗が出てきたぞ……。


「ああ、いえいえ、勤務中なんで……えー、戸草、郷二郎さん……。住所は中野区……はい、確かに。お返しします」

「ご職業はなにを?」

「えっと―――」


 ……そういや俺、なんの仕事してたんだろう……? 精神的には無職なんだが……いいや、適当に誤魔化すか。


「―――コンビニのアルバイトを……まあ、フリーターです」

「あらぁ、ダメだよ? いい大人なんだから、ちゃんと安定した職に就かなきゃ」

「ハハハ……」


 余計なお世話である。こちとら記憶すら不安定なんだ、まずそっちをどうにかしたい。


「それで、二人はどうしてこの病院に?」

「まあ、この頭の包帯見てもらえばだいたいわかると思うっすけど、昨日の夜に自宅で転んでタンスの角に頭ぶつけましてね、それで救急のあるここに来たんです。彼女は俺の付き添いで」

「そうでしたか、怪我の具合はどうです?」

「ええ、治療のおかげですっかり。でもその後に、いま噂になってる暴力事件に巻き込まれてしまって、この子と騒ぎが落ち着くまで、隠れてやり過ごしてたんです」

「はぁー。それはまた、運が悪かったねぇ。まあ直接被害に遭ってないようで何よりだよ」

「そうですね。見た感じ、二人とも噛まれてたりしてないようですし」


 二人の警察官が、どこかホッとしたような顔付きで頷いていた。噛まれたらどうなるか、知ってる口ぶりだ。


「あの、やっぱりあの人らに噛まれたらマズいんっすか?」

「うん? まあ、そうね……ここだけの話し、同僚が何人か噛まれてね。そうなると、短い時間で一気に体調が悪化するんだよ。いまの君たちみたいに、イスに平静と座ることも出来ないくらいにね」


 タカミネさんが少し声を潜めて、秘密を打ち明けるように教えてくれた。ちらりと春雛さんを見ると、コクリと頷いている。


「よしっと……。それじゃあ、次はお嬢さんの名前を聞いてもいいかな?」

「は、長谷尾春雛です……」


 俺への質問に一通り満足したのか、職質のターゲットが春雛さんに変わった。

 彼女が緊張している様子が隣から伝わってくる。すこし心配だな……。


「ハセオ、ハルヒナさんね。一応聞くけど、学生証とかは?」

「す、すみません、持ってないです……」

「まあ、そうだよね。旅行中とはいえ、学生さんはなるべく学生証を持ち歩くようにしてね? いざって時に必要になるから」

「は、はい……」

「それで、戸草さんとのご関係なんだけど……」

「あっ、あっ……! あの、とぐっ、キョージロさ……いえ、お、お兄様っ、じゃなくてっ、あ、兄上?とは日頃から仲良くさせて頂いておりまして……???」


 やっばい。バグったみたいにテンパりだした。


「落ち着け、春雛……。変に畏まらずに、いつもどうり名前で呼んで大丈夫だから……」

「そ、そ、ソウデスカ……?」


 目をぐるぐる回している彼女をなんとか宥める。

 どうやら、春雛さんにアドリブは無理そうだ……。


「どうやら、人見知りが激しいっていうのは本当みたいだねぇ……」

「ハハハ、そうなんですよー」


 春雛さんの慌てっぷりに、二人の警察官は少し驚いた表情を見せてきた。

 よかった、人見知りキャラに設定しておいて……。


「まあこんな感じで、いい子なんですけど昔っから少しダメな所もあって、なにかと俺が面倒見てきたんです」

「なるほどねぇ。頼れるお兄さんなんだ?」

「ぁ、ぁ……―――はいぃ……」


 温かい目を向けてくるタカミネさんに、春雛さんは蚊が鳴くような小さな声で頷いた。たぶん、フードの下ではまた顔を赤くさせているのだろう。

 実際は、記憶喪失の俺が彼女に頼りっぱなしな状態なんだがな。


「仲が良いってのは良いことだよ、うん。えーっと、どこまで聞いたっけな……」

「タカミネさん、来ましたよ」


 サイトウさんがバックミラーに目配せすると、道路の向こうから、2、3台のパトカーがサイレンを鳴らしながらこちらへ向かってきてた。アレが多分、廊下で言っていた応援の警察官なんだろう。


「お。それじゃあ、ちょっと誘導してくるから、後頼んだぞ」


 そう言うとタカミネさんは、ドアを開けて車から出ていった。

 やってきた複数のパトカーから降りてきた警察官たちと、何やら病院を指差したりしながら話し込んでいる。


「いやー、ごめんなさいね二人とも。こんな事態だし、本当はすぐに帰してあげたいんですけど、これも僕らの仕事でして」

「ああ、大丈夫っすよ。お疲れ様です」

「そう言っていただけるとありがたいですよ……」


 職質を引き継いだサイトウさんに言われて、全然平気だとアピールする。

 ちょうどいい。タカミネというベテランっぽい警察官が離れた事だし、ガードのゆるそうなこのサイトウさんに色々聞いてみよう。


「……あの、お巡りさんに聞きたいんですけど、今の東京の状況ってどんな感じなんですか?」

「いやもう……昨日からの暴力騒ぎで都内はめちゃくちゃですよ。あっちこっちで事件やら火事やら起こりまくりで、警察(ぼくら)や消防救急は昨日からフル稼働状態なんです……僕らも徹夜で対応にあたってて、……正直キツイですね……」


 よく見れば、顔に濃い疲労の色が浮かんでいる。まともに休憩も取っていないのだろう。


「さっきのタカミネさんなんか、やっと通った有給使って家族旅行してた時に呼び戻されちゃったんで、特にかわいそうっていうか……」

「誰がかわいそうだって?」


 いつの間にか運転席側の窓に立っていたタカミネさんに、サイトウさんが驚いたように振り向く。


「あっ、いえなんでも。……それより、どうでした?」

「施設閉鎖だと……」

「ええっ? でもまだ中に……」

「丸ごとだろ」

「うわ……」


 短いやり取りを終えて、タカミネさんが再び助手席へと戻ると、会話の続きが始まった。

 俺と春雛さんは、後部座席で大人しくその様子を伺う。


「タカミネさん、これもう二人とも帰してあげたほうが良いんじゃないですか? 都から『屋内退避勧告』も出てることですし……」

「だなぁ……。あ、戸草さん、頭のそれ本当に大丈夫?」

「ええ、全然平気っす」

「そっかそっか。それじゃあ、何もないならこのまま自宅まで送るけど、どうする? 自分たちで帰るかい?」

「まじっすか、助かります。……春雛も、それで良いか?」

「……」


 春雛さんにも確認を取ると、無言で首肯した。


「よし、じゃあ二人とも、シートベルトつけてね。同僚に違反切符切らせたくないからさ」


 そう冗談めかしながら笑うタカミネさんがシートベルトを着けると、ハンドルを握るサイトウさんがエンジンを掛けて、パトカーはゆっくりと病院の敷地内から発進した。

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