dd/−02.【都内連続暴力事件:映像記録①】
【0:00】
映像が始まった。
スマホのカメラが、道路を挟んだ向かいの建物を映している。撮影者は大分焦っているのか、カメラが落ち着きなく左右に揺れて画面が見ずらい。
『おいおいっ、ヤベェって……マジかよ……なにやってんだあれ…』
焦燥に駆られた声が映像の後ろで流れる。次第にピントが合いだしたレンズが、一件のコンビニを画面に捉えた。そこには、コンビニの窓ガラスに体当たりを続けている、一人のスーツ姿の男が映っていた。
【0:12】
『……うわ……血だらけじゃん……』
窓にヒビが入り、男の血らしき赤い点も付着してるが、やめる気配はない。
男は次第に両手も使いだし、コンビニの窓を執拗に叩きながら、口から血液混じりの唾液を辺りに飛ばしている。
【0:28】
コンビニの店員が画面右から出てきた。「何してんだアンタっ!?」と怒鳴る声が微かに聞こえる。店員が男を取り押さえようと近づく。
『やめてくださいッ! 警察呼びますよ! ちょっと誰かァッ?!』
次の瞬間、男が店員を地面に押し倒した。カメラがズームされるが、アップにしすぎてよく見えない。
悲鳴が響く。
【0:41】
店員を地面に押し倒した男は、上半身を激しく動かして暴れている。
『うわ、やばいやばい! 噛んでる? 噛んでるよアレ! ヤバイってこれ……!!』
カメラが震えだし、一時画角から二人が外れる。画面端に、血のようなものが飛び散ってるのが見えた。
【1:17】
画面にカウントダウンと、【!閲覧注意!】のテロップが一瞬映る。
カウントダウンの終了後、襲われていた店員が自力で男を振りほどいて逃げ出すが、腕は真っ赤に染まり、深く引き裂かれて出血しているように見える。
『おーい逃げろ! 逃げろーッ!』
店員に早く逃げるように手振りする撮影者の手が映る。
【1:20】
男が突然、カメラのほうに顔を向けた。
鮮明に映し出されたその顔は、口元にべったりと着いた被害者の血が、化粧に思えるほどの形相を浮かべていた。
目が異常に充血し、眼光は異様に爛々と輝き、顔中の血管が浮き出ている、異様なモノだった。
撮影者が、その眼光に射抜かれたように動きを止める。
するとカメラが急に揺れ、どこかへ向かって走る映像に変わる。しばらく足音と荒い呼吸音だけの映像が続く。
【1:37】
映像が停止する直前、後方で「きゃああああ!!!」という複数の叫び声が響いた。
動画はここで終わった。
―――――――――
「……これ、いつ撮られたやつ?」
1分半程の短い動画を見終わり、傍らでじっと待っていた春雛さんに質問をする。
「昨日のお昼前です。昼過ぎには、インターネット上に」
スマホの時計を見ると、ちょうど午前6時00分と表示されている。どうりで外も病院の中も暗いわけだ、まだ日が昇ってない時間帯だったのか。
「一応、確認したいんだけど……この動画は、映画の撮影とかAIで作られた物じゃないんだよね?」
「はい……。編集はされていますが、実際にその場で撮られたもので間違いありません。―――それと同様の事件が、東京各地で起きているんです……。一応、他にも動画が幾つかありますが……」
「いや、いいよ。疑ってるわけじゃないんだ」
気が進まなさそうな春雛さんの提案を、やんわり断る。
俺がさっき遭遇したナースさんも、この男と似た異様な顔付きだった。確認する必要はない。
しかし、病院の中だけじゃなくて、外にもあんなのが彷徨いてると思うと、一気に気が重くなるな。
「そもそもこれは、なんなんだ? なんで人が、こんな……」
「政府からはまだはっきりと公表されていませんが……一種の感染症ではないか、と見做されています」
「というと、つまり?」
「感染者―――便宜上、彼らをそう呼びますが、彼らは正気を失ったように暴力的になり、近くの人間を無差別に襲うようです。そして、彼らと接触した人々が、のちに同様の症状を見せるケースが多発していることから、何らかのウイルスが原因ではないか、と」
「伝染るのか、これが?」
スマホを指差して聞き返す。そこには理性を失ったように暴れている男の狂態が映っている。まったく健康な人間をこんな風に変貌させる病気だなんて、少なくとも俺のなけなしの知識には存在しない。
「まだはっきりそうと断定されているわけではないんです。ですが、感染者に襲われると感染する……という噂は、既に流れています」
「……本当に、ゾンビじゃねえか」
いよいよホラー映画地味てきたと心の中で悪態をついていると、ふと別のことに気が付いた。
このスマホの電波、ちゃんと通じている。
「あのさ春雛さん、スマホもう少し借りていい?」
「え? あ、はい、どうぞ」
彼女に「ありがと」と手短に礼を言うと、急いで検索サイトを開いて、さっき見た免許証に書いてあった住所を打ち込む。
検索で出てきた地図を見ると、中野駅の少し北側辺りにピンが刺された。
「春雛さん、ここの病院の名前って分かる?」
「都立総合医療病院です」
「ありがと。……お、意外と近いな」
すんなりと病院名が出てくる春雛さんの聡明さに感謝しつつ、自宅近辺との距離を測る。
直線でだいたい、1〜2キロといったところか。
これなら何とか歩いて行けそうだ。
地図とにらめっこしながら道順を記憶していると、持っていたスマホが小さく振動した。ニュースアプリの通知がきたようだ。
ポップされた文字を目で追うと、【東京都が全域に『屋内避難勧告』】と書かれていた。
「こんな朝早くから、偉い人たちも働いたりするんだね」
「え……?」
びっくりしたような顔をしている彼女にスマホを返すと、食い入る様にニュースを読み出した。
「そんなっ……」
「なんて書いてあった?」
「…………都が、独自の判断で感染症の情報を公開しました……。人から人への感染であると……感染者には近づかないように、と……それと」
「それと?」
「―――感染者と接触して負傷した場合は、救急に連絡後、自宅で待機して救助を待つように……って」
「まあ、病院がこんな状態だしな……。体の良い、自主隔離だろう」
「…………」
「つまり感染者とやらは、都庁公認ゾンビだってわけだ。本当に、目が覚めてから世の中どうなってるんだか」
余程衝撃を受けたのか、春雛さんはスマホの画面を見つけたまま黙り込んでしまった。
そんな彼女を尻目に、俺は腰掛けていたレジカウンターから降りて、食料で一杯にしたボストンバッグを肩に掛けた。
「! あ、ど、どちらに……?」
「まずは、じぶん家に行ってみようと思う。あ、ありがとうスマホ貸してくれて、帰り道分かんなかったからさ」
ははは、と記憶喪失ジョークをかましていると、春雛さんが何か意を決したように、真っ直ぐ俺の目を見上げてきた。
「……あの、私もご同行させては頂けませんか? 途中までで構いませんから、どうか!」
「俺は別に構わないけど、春雛さんの家はどこなんだ?」
「家、ではないのですが……―――どうしても、市ヶ谷に向かわなくては行けないのです」
深刻そうな彼女の顔を見るに、断っても一人でそこに行きそうな雰囲気だ。
「……分かった。まあ、こんな所に女の子を一人置いていくってのも、大人としてアレだろうしね」
「っ! あ、ありがとうございます! 決して足手まといにはなりませんので!」
「ああ、またしばらくよろしく」
この短い時間でもはや見慣れてきた綺麗なお辞儀を受けていると、彼女が急に「うっ……!?」と苦しそうな声を上げた。
「どうかしたか……?」
「い、い、いえ…………そ、その、言った手前、さっそくで申し訳ないのですが、お願いが……」
「……俺にできる事なら」
うずくまるように身体を押さえながら、足を震わせる春雛さんから、少し距離を取る。
まさか、この子……。
「お、お」
「……お?」
「お………………お花摘みに……行かせては、貰えないでしょうか……?」
……。
……?
「お花摘みって……あ、あー! お花、って、あー……!」
「き、昨日の夜からっ……シャッター、開けれなくてぇっ……!」
泣き出しそうな顔の少女の一大事に、すべてを察した俺は、売店の重いシャッターを素早く持ち上げた。
脱兎のごとく店内から駆け出した彼女は、一目散にトイレを目指そうとして、ピタッと止まった。
今度はどうした?
まさか、手遅れか……っ!?
「い、一緒に来てくださいっ……!」
「あ、あー、そうね。何があるか分からんもんね。ついでに、近い場所知ってるから案内するよ」
「うぅぅぅ……!」
こうして俺は、おそらく人生初となる、女子中学生と連れションをすることになった。
おしがま、ってやつやね。