天然少女と記憶喪失の男
少女の年齢は、中学生くらいだろうか? 150センチあるかどうかといった小柄な子だ。
可愛らしくも、どこか気品を感じる美貌を持ち、長く艶があってふわふわとした濡れ羽色の髪が、身動ぎするたびにさらさらと揺れている姿を一言で形容するなら―――『お雛様』。と、言った感じだ。
「あ、あのう、お店の方でしょうか……?」
「いいえ、違います」
困惑している様子の少女に堂々と返事をして、天井に掲げていたペットボトルをソロソロとバッグに入れる。
「え……そうなの、ですか? で、でもそれはお店の商品では……?」
「そうですね。確かに、その通りだ」
俺が新たにドリンクコーナーから取り出した黄色いエナドリを、少女が戸惑いながら指さす。
それを肯定しながらバッグに入れつつ、今度はこちらから少女に質問を返す。
「ところで、君はどうしてこんな所に? いまこの病院がどういう状況なのか、分かっているのか?」
「っ!? そ、そうです! いま外は……病院はどうなっているのですか!?」
「…………どうなっているんだろうね?」
「え、えぇ……?」
急に焦った様子でまくし立ててきた少女に、アホみたいな返事しか返せなかった。
仕方ない、記憶喪失なんだから。偉そうに聞いたが、本当になにも知らないんだから、仕方ない。
「答えれなくて済まないけど、実は記憶がないんだ。気がついたらこの病院に居てね。冗談にしか聞こえないだろうが、名前とこのエナドリが好きってこと以外、何も思い出せないんだ」
頭の包帯を指差しながら、自分の状況を説明する。
きっとふざけてると思われるか、本気には受け取ってはもらえないだろう。当の俺だって、直ぐには信じられなかったんだ。
……と、思っていたのだが。
「そんな……! そうだったのですか……それは、さぞお辛いでしょう。申し訳ありません、そんな事情を露知らず、自分のことばかり……どうか、ご容赦ください」
少女はまるで自分の事のように辛そうに顔を歪めると、姿勢を正して深々と頭を下げてきた。
その年齢不相応な礼儀正しさに、思わずエナドリをバッグに詰め込んでいた手が止まる。
「いや……君がそんな謝る事じゃないよ、これは俺の問題だし。だから、頭を上げてくれないか?」
「ありがとうございます。無礼な物言いをしてしまったのに、寛大な方なのですね」
そう言って柔らかく微笑む少女の眼差しに、バツの悪さを感じた。これじゃあどっちが大人か分からん。
小さく溜め息を吐きだし、エナドリ集めを諦めて、少女と正面から向き合う。
「自己紹介をしてなかったな。俺の名前は、戸草郷二郎だ。記憶喪失で、それ以外は分からない。君の名前を聞いてもいいか?」
「! ……私は、『春雛』と申します。はじめまして、戸草さん。以後、どうかお見知り置きください」
またも折り目正しく礼をする、春雛と名乗った少女。やはりというか、こんな不審な男相手にも関わらず、やけに礼儀正しい子だ。ちょっと浮世離れした雰囲気もあるし、どっかのご令嬢だったりするんだろうか?
「ああ、こちらこそ。……で、上も聞いていいか?」
「はい? 上とは……?」
「いや、だから……苗字は? 下の名前しか聞いてないんだけど……」
「…………あ!? も、もも、申し訳ありませんっ! 私ったら、ついうっかりを……!?」
大人びた子だと思ったが、ちゃんと年相応なところもあるようだ。ちょっと安心した。
「え、えっと……苗字は、は、『長谷尾』ですっ! 長谷尾と申します!」
「長谷尾さん、か。まあ、こんな状況だけど、よろしく」
「あ、はい……あの、どうか春雛とお呼びください。そちらの方が、慣れておりますので」
「そう?」
初対面なら苗字呼びが普通だと思うが、まあ、普段から友達とかに下の名前で呼ばれているんだろう。
『ハルちゃん』とか、『ヒナちゃん』とか、略しやすそうな名前だもんな。
「それで? 春雛さんは、どうしてシャッターの閉まった売店なんかにいたんだ?」
話題を戻そうとさっきと同じ質問を繰り返すと、彼女は重そうに口を開いた。
「それは―――彼らに襲われて、やむなくここへ逃げ込んだのです……」
「彼ら……?」
「あ……、失礼しました。戸草さんは記憶を失っているんでしたね。―――でしたら、私の口から説明するよりも、こちらをご覧頂いた方がきっとご理解頂けるでしょう」
そう言って彼女は、あまり似合っていない暗いオリーブ色のジャンパーのポケットからスマホを取り出して、何やら操作しだした。
「それは?」
「これは、スマートフォンと言いまして、遠くの人と会話できたり、他にも映像を撮ったりと、様々な機能を持つとても便利な機械でして―――」
「い、いや……さすがにそれは覚えているよ……?」
「っ……?!」
真剣な顔で説明を始めた少女に思わず割って入る。
「……か、かか……重ねがさね、申し訳ございません!! 私ったら、なんて失礼な事をぉ!?」
春雛さんは徐々に顔を真っ赤にさせると、ものすごい勢いで何度も頭を下げてきた。その慌てっぷりに、思わず笑いがこぼれる。目が覚めてから、初めてちゃんと笑った気がした。
この子、もしかしなくても天然だ。
「も、もうしわけっ……、もうしわけぇ……っ!」
「大丈夫だって、そんな気にしてないから。俺の聞き方も悪かったし……それよりほら、話の途中だっただろ? 続きを聞かせてくれないか」
「うぅ……お、お言葉に甘えさせて頂きます……。―――では改めまして、こちらの映像をご覧ください」
そう言ってようやく頭を上げた彼女は、まだ赤みの残る頬を誤魔化すように少し目を伏せながら、自分のスマホを俺に手渡してきた。
「改めて聞くけど、これは?」
「先日、インターネット上にアップロードされた、とある映像です。そこに、現在の東京に混乱を齎している、原因が映っています。……刺激の強い映像ですので、心構えが出来ましたら、再生を」
さっきまでの穏やかな口調とは打って変わり、長谷尾さんの真剣な語り口に、思わず固唾をのみこむ。
一体これから、どんな物を見せられるというのか。
けど生憎と、何も知らずに、空っぽのまま死ぬ訳には行かないと、覚悟を決めたばかりだ。
俺は躊躇なく、画面の再生ボタンをタップした。