映画とかである、無人の店内で商品を片っ端からカバンに詰めているシーンの時に感じるロマンの名が知りたい
病室に戻り、トイレにある洗面台の蛇口を捻ると、問題なく水が出た。水道は止まっていないようだ。
手についた血を無言で洗い落としていく。無我夢中だったからか、刺したときの感触とかは覚えてないが、それでもこの手で人を一人殺した事実だけは消えそうになかった。
―――あれは、何だったんだ?
正気を失ったように襲いかかってきたあの異様さ。
痛みを感じてないように平然と立ち上がった姿。
あれじゃまるで、ホラー映画やゲームに出てくるゾンビだ。
この病院の状況と無関係……では、ないんだろうな。なんだろう、秘密の地下室で怪しい実験でもしてたとか? 流石に無いかと失笑する。
とても現実とは思えない出来事の連続に、本当の俺はまだベッドで呑気に寝ていて、ここは夢の世界なのではとも考えたが、指の間でベタつく血の感触が、嫌でも現実に引き戻してくる。
血を洗い落として視線を上げると、洗面台の鏡に、見知らぬ顔が写っていた。
俺はどうやらこんな顔をしているらしいと、他人事のように空っぽの脳ミソに記憶しながら、手にすくった水で顔を洗う。気分は変わらないが、少しだけサッパリした。
蛇口を閉めて、病室へと戻る。
「さて、と……さっそく、お宝とご対面しますか!」
意識的に、明るい口調で呟く。
いつまでもウジウジしていられる状況では無い。気力を奮い立たせてくれるような記憶も無い。ならもういっそ開き直って、空っぽな人間らしく、空元気に振る舞ってやる。
それじゃあメインディッシュの前に、まずは前菜からいこう。
俺は改めて、自分の病室内を探索することにした。
そしたら出るわ出るわ、俺の物らしき服やらバッグやらがきちんとクローゼットに収納されていた。意識のなかった俺の代わりに、誰かが仕舞っておいてくれたのだろう。それらをベッドの上に広げて一つずつ見ていく。
まずは服を着替えるか。いつまでも汚れた服を着ているのは気分の良い物じゃない。血のついた病院着を脱ぎ捨てて、見つけた暗い紺色のジーンズとスニーカーを履いて、ネイビーのウィンドブレーカーに袖を通す。やはりと言うか、サイズはピッタリだった。しかし何故かインナーがない。これでは露出狂一歩手前ではないか。上着のジッパーは首まで上げておこう。
次はバッグだ。色は黒で、20〜30リットルくらいのサイズのボストンバッグだ。妙にボロボロだが、使う分には問題なさそうだ。
中に何か入ってないか調べると、チョコバーが一本だけ、サイドのポケットに入っていた。
腹が減っていたので、さっそくチョコバーに齧り付く。チョコの甘さが舌いっぱいに広がるが、満腹にはほど遠い。
「ふぁーて、はにはへへふるふぁな?」
チョコバーを咥えながら、ナースさんから貰った鍵を貴重品ロッカーの鍵穴に差し込む。いよいよご対面だ。
貴重品ロッカーの中に入っていたのは、画面がバキバキに割れたスマートフォンと財布。それから、新たな鍵が一つ出てきた。
「うーん……壊れてるな」
スマホの電源ボタンを押すと、起動はしたが、画面の液晶がおかしくなっていて操作を受け付けない。
電話帳とかアプリを使って、俺の事を知っている人間に連絡を取れないかと思ったのだが、それも無理そうだ。
諦めてスマホをカバンの中に放り投げ、次に財布の中身をチェックしていく。
電車のICカードと、紙幣と硬貨が幾つか。それと、免許証が出てきた。
「戸草……郷二郎……ダメだ。なんも思い出せねぇ」
免許証の名前を読み上げてみるが、脳ミソは1ミリも反応してくれない。免許証に登録されている住所の欄には、中野区とある。一緒に出てきた鍵は、おそらく自宅のものだろう。
さっき鏡で見たのと同じ顔写真が張り付いてるし、俺の免許証で間違い無いはずだが、こうも記憶が呼び覚まされないものなのか?
いつまでも自分の顔とにらめっこしていても仕方ないので、免許証と財布もバックに放り込んで、鍵はズボンのポケットに入れておく。
ここで出来ることは、もう無いだろう。
「チョコ一つじゃ腹の足しにならないな。病院なら、売店か食堂があるはず……よし、行くか」
俺の頭みたいに中身スカスカなバッグを肩に引っ掛けて、再び病室の外へと足を踏み出した。
再びナースステーションに戻り、近くの壁に掲示されている院内図を確認する。
どうやら、連絡路を渡った先の別棟に売店があるようだ。
ここに来るまでに病室を幾つか覗いてみたが、ほとんどの部屋が空だった。慌ててベッドから起きだしたようにシーツが乱れているだけで、人の姿は皆無だ。
意識のなかった俺だけが逃げ遅れてしまったのだろうか? でも、誰か俺を避難させてくれてもよかったんじゃないか? などと考えながら進んでいると、目的の売店が見えてきた。しかし、入口にはシャッターが降りている。
「ロックが掛かってないといいけど……よいしょっ」
シャッターの淵に指を滑り込ませて力を入れると、錆び付いてるのかかなり重かったが、少しずつ持ち上がっていった。
半分程まで上がったところで、店内へと滑り込む。
「ふぅ。……よし、商品はそのままだな」
薄暗い店内を見回すと、棚の商品は特に荒されておらず、きれいに陳列されていた。
人知れず悪い笑みを浮かべた後、とりあえず目についた食べ物を掴んでバッグの中に突っ込んでいく。カップ麺はお湯が無いからパスして、保存が効いて直ぐに食べられる栄養ブロックや菓子類を選ぶ。後は、病院の売店らしいラインナップの絆創や軟膏といった医薬品を片っ端から貰っていく。
そうしてだんだんバッグに重さを感じた頃、ドリンクコーナーに差し掛かったときに、ふと黄色いラベルのエナジードリンクに目を惹かれた。
な、なんだ……? この妙に心惹かれる感覚は……?
気づけば、自然とそのエナドリへと手が伸びていた。赤いキャップを回すと、プシュッと炭酸ガスが抜ける涼しげな音が鳴る。いつの間にかまた喉が渇いていたので、躊躇わずに一気飲みする。
「―――ぷはぁっ、うめぇ! 生き返ったぁー!」
ビタミンとロイヤルゼリーが織り成す絶妙な旨み。喉を突き抜けていく炭酸の爽快感。今までの疲れが一気に吹き飛んでいくようなこの感覚を、俺は知っている!
「間違いない、このエナドリをっ、俺は知っている!! 思い出した、思い出したぞーっ!!」
「―――あ、あのー、どなたでしょうか……?」
炭酸が脳を刺激する様な感動を思いのまま叫んでいたら、いきなり横から遠慮がちに声を掛けられた。
「……えっ。お、女の子……?」
そこには、長い黒髪の小柄な少女が、困ったような顔で棚に身を隠しながら、ペットボトルを天に掲げている俺を見ていた。
エナドリはデカビタCが好き。