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遭遇

 病室を出て、物音一つしない不気味な廊下を、非常灯の明かりを頼りに歩いていると、ナースステーションはすぐに見つかった。


 躓きそうになる足を何とか前へ動かし、一縷の望みを賭けてカウンターを覗き込むが……その希望を嘲笑うように、そこはやはり無人だった。本来なら、看護師が常駐している場所のはずなのに。


「マジで誰もいない……。本当に、ここで何が起きたんだ……?」


 病室を出るまでは半信半疑だったが、改めて人っ子ひとり居ない異常なこの状況を眼前に突き付けられたような気分だ。

 困惑して立ち止まってても仕方ない、意識を切り替えよう。ここでなにか、役に立つものがないか探してみよう。

 周囲に人が居ないのを確認して、やっぱり気になってもう一度辺りを確認して自分以外誰も居ないのをちゃんと確かめて、最後にもう一度振り返ってたっぷりと挙動不審ぶりを晒してから、カウンターを周って堂々とナースステーションの中へと侵入する。


 こ、コッチは理由も分からず放置された患者なんだ、少しばかり物を失敬しても許されるだろう。……ほんとに許されるだろうか? い、いや、何を弱気になっている! 記憶は微塵も無いクセに、倫理観はしっかり有りやがる。


 気を取り直して、何でもいいから役に立ちそうな物……できれば、食べ物が無いか室内を物色する。腹が減りすぎて、さっきから目眩がする。このままだとすぐにまた気を失いそうだ。


 しばらくの間、辺りの机や棚の中を調べていると、壁の一画で何かが点滅しているのが目に入った。

 気になって近づいて見ると、それはカレンダーくらいの大きさの、数字の書かれたボードだった。色んな数字が並ぶ中で、303の横のランプだけが点滅している。303と言えば、自分の病室の番号と同じだ。


 このナゾ機械をなんと呼ぶのか知らないが、きっとナースコールの大元の機械なのだろうとなんとなく理解する。

 よく見ると、幾つかの番号には付箋が貼られていた。自分の番号の横にも貼られていたが、暗くて文字が読めないので剥がして間近で見ると、急いで書いたような粗い字で、短くこう書いてあった。


『患者所持品は病室の貴重品ロッカーに カギは看護師長預かり』


 どうやら、病室に俺の持ち物が保管されているらしい。そこでようやく、自分の病室をまだろくに調べていなかった事に気が付いた。いや、そこまで意識が回らなかったと言うべきか。

 確かに記憶は無くしたが、ここに運ばれて来る前の俺が、サイフなりスマホだったりを持っていたとしてもおかしくない話だ。そうと分かると、にわかに希望が湧いてきた。自分が何者なのか、その手掛かりが掴めるかもしれない……!


 となると、問題は鍵だ。鍵がなければ、当然ロッカーを開けることは出来ない。しかし在り処を知ってる当の看護師長さんは、病院に居るのかどうかも怪しい状況だ。いっそ壊して開けたほうが手っ取り早いか……。

 ちょうど近くの机のペン立てにあった、ハサミを手に取る。


「こんなんで壊せるか……?」


 やや頼りない道具に渋面を作っていると―――どこかから『ゴツっ……』という、小さな鈍い物音がした。


 反射的にハサミを握りしめて音がした方を振り向くと、視線の先に『休憩室』と書かれたドアがあった。物音はその部屋から、断続的に響いている。


 人がいる? という考えが直ぐに浮かんだが、不思議な事に、安堵感は無かった。

 ついさっき窓から見た非日常の光景が、どうしても思考に影を差す。


 嫌な考えを振り払い、意を決して、休憩室のドアへと向かう。


「す、すみませーん、誰かいますかー……?」


 念のため誰何するが、返事はない。

 相変わらず、何か硬い物をぶつけているような、『ゴっ……』という音が響いている。何の音だ……?


 ドアノブに手を掛けると、鍵は掛かっておらず、ノブはあっさりと回った。

 慎重にドアを開けて中を覗き込むと、部屋の奥で、白い看護服の女性がこちらに背を向けて床に座り込んでいるのが見えた。

 白衣姿に自然と警戒心が緩み、声を掛けようとしたが、彼女のすぐ目の前に、俺と同じ病院着を来た患者が床に横たわっているのに気が付いて、声が喉を塞いだ。

 ナースは何故か右手に握っている銀色のメスを、その患者の身体に何度も振り降ろしていた。

 メスが振り下ろされる度に、刃が患者の体を滑って床を削り、『ゴっ……』と鈍い音を立てていた。


「お、おい何やってんだアンタ!?」


 思わず飛び出して、ナースの腕を掴んでその凶行を止めに入る。

 しかし、振り返ったナースの顔を見て、絶句した。


 ナースの口の周りは血で真っ赤に汚れ、白衣の前は夥しい量の返り血で赤黒く染まっていた。異常に真っ赤に充血した両目でこっちを睨みながら立ち上がると、メスを握っているのとは逆の手に握られていた、患者から引っ張り出された臓物がずるずると延びた。


「嘘だろッ……!?」

「あ゛ぁぁ…………」


 低い唸り声をあげながら、血染めのナースが覆い被さるように襲って来た。

 反射的にナースの両腕を掴んでそのまま突き放そうとしたが、まだ覚束ない足腰が急な負荷によろめき、半開きだったドアに背中をぶつけながら、ナースもろとも室外へと倒れ込む。

 顔を近づけてきて、歯をガチガチと鳴らして俺に噛みつこうとするナースの両腕を必死に押さえながら、自由な両足を使ってナースの身体を蹴り飛ばす。

 大きな音を立てて机に衝突したナースは、それっきり動きを止めた。


「なんなんだ、こいつ……」


 立ち上がって壁に背を預けて、息を整えながら様子を伺う。

 しかし、いつまで経ってもナースは動かなかった。不思議に思い、慎重に距離を取って回り込むと、ナースの胸にはメスが深々と突き刺さっていた。きっと転がった時に弾みでそうなったんだろう。


「ああ、クソッ……! どうしよう、救急車……は、ここ病院だし……!」


 おもわず悪態を吐き出して、頭を抱える。

 襲われはしたが、俺が原因でああなったのは間違いない。いや、そもそも、どうしてナースが患者を襲うんだ? 俺が気を失ってる間に、この病院で本当に何が起きたんだ?

 色んな思考が頭の中を駆け巡っていると、不意に視界に変化が起きた。


 死んだと思っていたナースが、ゆっくりと起き上がった。


 胸にはメスが突き刺さったままだし、傷口から血も流れている。

 それにも関わらず、ナースは平然と立ちあがった。


「なんなんだよ、ホントにさぁ……!?」


 死んでなかったのを喜ぶべきか、それとも死ななかったことに恐怖すべきか。

 こちらのぐちゃぐちゃな感情などお構いなしに、ナースは相変わらず俺をエサでも見るような目で凝視してきた。逃げ出そうにも、運の悪いことに出口はナースの向こうにある。

 このままでは、きっと俺もあの患者みたいにコイツに殺されるんだろう。

 俺に向かって唸り声を出しながらフラフラと近付いて来るナースから逃れようと、壁に背を擦るようにして後退る。


 そうしてジリジリと移動していると、何かが足に触れた。

 気になって目を下にやると、そこには、さっきまで俺が持っていたハサミが転がっていた。いつの間にか落としていたらしい。


「ッ……!」


 ハサミを拾い上げて、今度は落とさないようにしっかりと握って、血塗れナースと対峙する。


 ……目が覚めたら記憶が無くて、今度は理由も分からず襲われて、次は命まで亡くしかけている。

 なんだ、この状況は? 俺が何か悪い事でもしたのか? ……したのかもなぁ、なんも覚えてないし。

 もし神がいるなら、きっとソイツは俺が大嫌いなんだろう。なにせここまで念入りに俺から全てを奪おうとしてくるんだから。


 けど、そんな簡単に死んでたまるか。自分が誰かも判らず空っぽのまま死ぬのは、きっと何よりも恐ろしい事だ。

 だから、記憶を取り戻すまでは、せめて死ぬ気で生き抜いてやる!


 覚悟を決めて、今度は自分からナースに飛び掛かる。

 緩慢に上げられたナースの腕を掻い潜り、人体の中でも柔らかい急所である目にハサミを突き刺す。


「ァアアアアアア!!!」


 獣の咆哮みたいな悲鳴を上げて倒れたナースの顔面に、近くのテーブルにあるラップトップを持ち上げ、力任せに叩き付ける。


 最初に悲鳴が止み、次にビクビクと痙攣していた手足が動かなくなるまで、警戒が解けなかった。

 今度こそ、もう二度と起き上がってこないと判断すると、ガラクタになったラップトップを放り投げて、その場にへたり込んでしまった。


「はぁ…………」


 鉛みたいに重いため息を肺から吐き出し、息を吸うと、血なまぐさい匂いが代わりに入ってきた。

 最悪の気分だった。


 視線を下げると、ナースの死体の近くに、さっきまで床には無かったものが落ちていた。


 気になって拾い上げてみると、それは“303”と書かれた、小さな鍵だった。


 思わずナースの方を見ると、首から下げられたネームプレートに、『看護師長』の文字があった。


「…………ごめんなさい。貰っていきます」


 手に入れた鍵を握り締めながら、俺は自分の病室へと引き返した。

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