『ダーウィンが来た』はヒゲじいのダジャレ以外はおもしろいので責任とってあのヒゲ剃って欲しい
「優先順位……ですか?」
「そう」
「それはつまり、彼らには、〝いま何をすべきか考える知性が残っている〟……ということになりますが……」
「うん、そうなるね」
「…………」
横目に春雛さんの様子を見ると、難しい顔をして考え込んでいた。この仮定の話が何を意味するのか、聡明な彼女なら、きっと理解して答えてくれるだろう。
暫くして、彼女は重そうに口を開いた。
「……そう思った根拠を、聞かせて頂けませんか?」
「そんな大したモノじゃないんだけど、例えば最初のこの動画だとさ」
説明しながら、最初にアップされたという動画を再び再生する。
「この感染者、周囲の人に取り押さえられているのに、襲った人にまた噛みつこうとしてるように見える」
「たしかに、そう見えますね……」
「変じゃないか? 近くの人間を襲うって話だったけど、それなら自分を抑えている人の方が物理的にも近いし、そっちに意識を向けるのが自然だと思うんだ。……どう?」
「……そこまでの知能が働いていない、と考えられます。目の前の事しか見えてなくて、直線的な行動しか取れないのかも……」
「なるほど。でもそれだと、こっちの感染者の行動はどう説明する?」
次に、発症直後の子供の感染者の動画を再生する。
「この子の場合、人を襲わずに、そのまま何処かへと姿を消してる。近くに人間がいるにも関わらず、襲っていない。暴力的で知性がなく、直線的な行動しか取れないなら、有り得ない行動をしている」
「……発症直後だったからかもしれません、まだ意識があったのかも……。あるいは、年齢や性別といった、個人差で行動に差異が生じるとも考えられます」
「あり得そうな話だ。じゃあそれを踏まえて、いま外にいる感染者の集団行動には、どう説明をつけたらいいと思う?」
「……うーん、そこまでいくと、私の想像の範疇を越えますね……戸草さんは、感染者には何らかの判断基準があって、彼らはそれに従って行動しているとお考えなのですね?」
「それがどんなものかは判らないけどね。でもそうじゃないと、ただ闇雲に人を襲っているにしては、説明がつかない行動が多いと思って」
タカミネさんに襲いかかった女の感染者もそうだ。まるで待ち伏せか、品定めでもしていたみたいに、襲うタイミングを伺っていたように思える。
それに、知能がないなら感染者同士で食い合っても良さそうなものだけど、それはさっきの感染者の群れが否定している。あれは明確に、感染者とそれ以外の人間とを区別していた。つまり仲間か敵かを判断するだけの知能があるってことだ。
ヤツらは、無差別に人を襲ってる訳じゃない。理由があって人を襲ってる。
「でも、もしそうだとしたら、彼らは―――」
「まあそこから先は、いま俺らが考えても、どうしようもないことだよ」
「……そう、ですね」
春雛さんが言いかけた言葉を途中で遮る。それこそ、俺達が考えても判らない事だ。
「話を戻しますけど……この仮定が正しかったとして、戸草さんは何を考えていらっしゃるのです?」
「うん? まあ、敵を知り己を知れば、ってやつだよ」
「―――彼を知らずして己を知れば、一たび勝ちて、一たび負く。彼を知らず、己を知らざれば、戦うごとに必ず敗る……孫子の謀攻の一節ですね」
「お? お、ぉうん、そう、それ……孫子」
びっくりしたぁ……。今の、原文ってヤツ? やっぱり春雛さん、頭良いな……。ほとんどの人間はそんなの知らんぞ。
「この事態がいつまで続くかは判らないけど、感染者がどういう行動をして、何に反応するのか、知っておいて損はないと思ってさ」
「賢明ですね。身を守るためにも、必要な事だと思います」
「そう言ってくれると、自分の行動に自信がでるよ」
春雛さんに苦笑を返す。
現状、己を知らない俺がこんな事を言っても、説得力がないからな。
「それじゃあ、さっそく試してみるか」
「試す、ですか?」
イスから立ち上がり、春雛さんと部屋を出る。
「ちょうど部屋の真下に大勢いる事だしね。どうせ今はマンションから出れないんだ、だったらせめて、この状況を有効に使ってやろう」
リビングに戻って、冷蔵庫の奥から鶏肉を取り出す。もったいない事に、賞味期限が切れてしまっている。流石に自分で食う気にはならない。
次に空き缶入れを探って、缶コーヒーの缶を取り出す。
それらを抱えて、ベランダに出た。
マンションの下では、相変わらず感染者の列が微かなうめき声をあげながらノロノロと行進している。
「さて……まずは小手調べ、っと」
マンション向かいの路地目掛けて、空き缶を一つ放り投げる。
東京の昼間にしては静かな夏空の下に、カランカランと甲高い音が鳴り響く。
頭を引っ込めてベランダの手すり壁の隙間から群れをジッと観察していると、空き缶が落ちた近くの何人かが、立ち止まって音の出処を探るように首を回した。まるで野生動物みたいな動作だ。
だが、群れを外れて、音の正体を探そうとする感染者はいなかった。
意外な結果だ……。
「あんまり動かないね……」
「そうですね……」
隣で一緒に縮こまっている春雛さんと、ヒソヒソとやりとりをする。
気を取り直して、次の実験にいこう。
ベランダの床に置いていた鶏肉のパックを剥がし、感染者の目に付くように、タイミングを測って群れに投げ込む。
すると、ちょうど目の前に鶏肉が落ちてきた感染者は、脇目もふらずに地面に落ちた鶏肉を掴んで貪りだした。
「食べてるね……」
「食べてますね……」
「腐ってるんだけどな……」
「お腹、大丈夫なんでしょうか……? 生ですし……」
どうやら、人間だけを食らうわけではないようだ。腐ってようが肉ならなんでもいいらしい。ヴィーガンの感染者も肉を食うのか、気になるところだ。
さて、空き缶、鶏肉と反応は見た。最後の実験と行こう。
緊張を抑えるように、深呼吸をする。大丈夫……ここは5階だ。
意を決して、大きく息を吸い込む。
「? あの、戸草さんなにを―――」
「―――おーーーいッ!!!」
通りに俺の大声が響き渡る。
すると、通りにいた感染者の群れが、一斉にこっちを見上げてきた。
急いで頭を引っ込めて、息を潜める。
うるさい心臓の音が落ち着くのを待って、慎重に手すりの隙間から覗いてみると、群れは何事もなかったように、またノロノロと行進を始めていた。
「よ、よし、実験終了、撤収撤収……!」
「は、はい……!」
試せることは全部試した。春雛さんをつれて、ベランダから部屋の中へと静かに戻る。
窓とカーテンをしっかり閉めて、リビングのソファに座ると、一気に疲労が覆い被さってきた。
「お、大きな声を出すなら、事前に言ってください……心臓に悪いです」
「ごめんなさい……」
ソファの反対側で、肘掛けに項垂れている春雛さんからの苦情に素直に謝る。
「でもまさか、あそこまで反応するとは……」
「空き缶の時とは、大違いでしたね……」
流石にヒヤッとした。けど、危険を冒したおかげで、有益な情報を得られた。
ヤツらは物音よりも、人の声に反応するらしい。この情報は、きっと役に立つだろう。
「……お腹空かない、春雛さん?」
「もうお昼近くになりますね……そういえば、昨日の夜から私、何も口にしてないです……ぺこぺこです」
「お詫びになんか作るよ。アレルギーとかある?」
ぶんぶんと頭を振る彼女の後頭部を見たあと、ソファから立ち上がって、一人でキッチンへと向かった。




