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 ……全身が痛い。どうやら、生きてはいるようだ。

 腹の底が捩れたような不快な鈍痛に体を慣らしながら、ゆっくりと目を開ける。

 庇った春雛さんの様子を見ると、眠っているみたいに穏やかな顔をしていた。どうやら事故の衝撃で気を失っているみたいだが、特に目立った怪我は見当たらない。

 彼女の無事を確認して、安堵でほっと息を吐き出す。


 ―――そうだ、前に座っている二人は……?

 確認する為に座席から顔を上げた瞬間、悲鳴が喉まで出掛けた。


 前の席では、タカミネさんが、サイトウさんの体を喰い千切っていた。


 喉の肉がほとんど食われ、首の骨と皮一枚で体と繋がっている頭が、座席の間から風鈴みたいにぶら下がっていて、虚ろな目で俺を見ていた。

 心臓の鼓動が一気に跳ね上がり、息が上がりそうになるのを必死で堪える。


 ―――まだだ……。まだ、こっちには気付いていない……。まだ、大丈夫……。


 感染したタカミネさんは、今は腕の肉を食うのに夢中になっている。動いたり音を出すような目立つ事さえしなければ、すぐには襲って来ないだろう。

 グチャグチャと怖気のする咀嚼音に、歯がガチガチと震えだすのを食いしばって耐え、この状況を打開するものはないかと、目を動かして車内を探す。


 すると前の座席の間……アームレストにもたれているサイトウさんの体の下から、受話器のコードみたいな黒い紐が伸びて、こっち側へ垂れているのに気が付いた。

 コードの先を目で追うと、さっきサイトウさんが持っていた拳銃が、運転席の下へと入り込んでいるのが見えた。

 事故でこっちに飛んできたのか? なんにせよ、好都合だ。


「っ……!」


 音を出さないように、静かに拳銃へと手を伸ばす。

 だが春雛さんを庇ったままの不自然な体勢のせいで、とても届きそうにない。

 仕方なくコードを指先で手繰り寄せて、慎重に、少しづつ拳銃を手元に引き寄せていく。


 拳銃がフロアマットを擦る微かな音が、いまはヤケに大きく聞こえる。

 気づくな、と何度も頭の中で祈りながら、慌てて引き寄せそうになる焦燥感を抑え、永遠のように引き伸ばされた時間を耐える。


 あと少し、という場所まで手繰り寄せたところで、不意に、誰かのスマホの着信が鳴った。

 音の出どころは春雛さんのジャンパーのポケット……ではなく、何故か、俺のボストンバッグの中から鳴っていた。


 俺とタカミネさんが動いたのは同時だった。


 なりふり構わず急いで拳銃を拾う俺に対して、タカミネさんはもっと直接的に、片腕を突き出してきた。

 拳銃を掴んだ俺の顔面目掛けて、血塗れの手が迫って来るのがやけにゆっくりに感じられる。

 鼻先を指が掠めそうになった瞬間、ガクンとタカミネさんの動きが止まった。

 どうやら急な動きでシートベルトが作用したらしい。さすが警察官だ、しっかり交通ルールを守って着用している。おかげで助かった。

 その隙に、銃口をタカミネさんの顔面に向ける。


「……ごめんなさい」


 なにを謝っているんだ、俺は?


 これからこの人を殺すからか?

 それとも、さっき嘘をついた事か?

 それとも、顔も知らぬ彼の家族へか?


 それとも、この人の命より、空っぽな自分の命の方が重いと、天秤に架けたことをか……?


 いずれにせよ、今は自分の気持ちを整理する時間も貰えない。俺は引き金を引いた。


 至近距離で額に撃ち込まれた弾丸は、タカミネさんの後頭部を貫通して、ドアとフロントの窓に赤い内容物をぶち撒けた。

 ぐったりと動かなくなったタカミネさんから目を逸らして、次にする行動だけを考える。


「う……、んぅ……あ、あれ? 私、どうなって……?」


 さっきの銃声のおかげか、気を失っていた春雛さんが目を開けた。


「あ、春雛さん……。無事?」

「あ、は、はい。戸草さんのおかげでなんとも……。警察の方々は……って、あの、どうして目を塞いでくるのですか……?」


 車内の惨状を見られる前に、咄嗟に片手で春雛さんの目を覆い隠した。

 死体なんて子供に見せるようなものじゃない。ましてや、こんな女の子に。


「二人はもうダメだ。だから、見ないほうが良い」

「っ!? そ、そんな……」

「とりあえず、車の外に出よう。俺が先に出るから、それまで目を瞑っててくれる?」

「……は、はい」


 彼女がちゃんと目を閉じたのを確認してから、トラックがぶつかって来た自分の方のドアに手を掛ける。

 車が歪んでいるせいで開きそうになかったので、割れたガラスを取り除いて窓から外へと出た。


 周囲を見回して、状況を確認する。

 路地の向こうに渋滞している大きな通りが見えるから、パトカーは目指していた駅前通りから、一本横にズレた路地の交差点で事故を起こしたようだ。

 ぶつけてきたトラックは、どこにも見当たらない。パトカーとの事故にビビって当て逃げしたんだろう。


「よし。春雛さん、そのまま手をこっちに伸ばして」

「こう、ですか……?」


 恐る恐る差し出された手を掴んで、春雛さんを窓から引っ張り出す。


「はい、お疲れ様。もう目を開けていいよ、あ、でも振り向かないでね」

「ありがとうございます」

「どういたしまして。まだ中に荷物残してるから、もうちょっと待ってて」

「お気をつけてくださいね……?」


 そう言ってその場に彼女を残して、再びパトカーの中へと戻る。

 座席にあるバッグを掴んだ俺は、すぐには戻らず、二人の警察官の死体へと視線を移した。

 目に映るのは、二人の拳銃だ。


 この国で銃を手に入れる事は容易じゃない。こんな事態だ、銃が役立つ機会なんていくらでもあるだろう。

 心中で二人に謝罪しながら、腰のベルトからコードごと拳銃を取り外していく。

 死体を漁る行為に、良心がガリガリと音を立てて削れていく気がした。


「―――と、戸草さん、来てください!」


 無言で作業をしていると、外から春雛さんが焦ったように声を掛けてきた。

 なにがあったのかと、バッグの中に取り外した二つの拳銃を放り投げて、急いで車外に出る。


「どうした、春雛さん!?」

「あれを見てください。道路の向こうで、何かあったみたいなんです……!」


 春雛さんの指の先を目で追うと、路地の向こうの大通りを、大勢の人が同じ方向に走っていた。

 中には、車を捨てて走り出す人までいる。只事じゃない。


「……行ってみよう。走れる?」

「は、はい……!」


 春雛さんが頷いたのを確認した後、路地を駆け出した。

 大通りに近づくと、次第に人々の悲鳴が聞こえてきた。嫌な予感を感じながら路地から飛び出して人が流れてくる方向を眺めると、原因が分かった。


 ―――群れだ。


 走る感染者の群れが、まるで波のようにこっちに押し寄せてきてる。

 波に飲まれた人間は複数の感染者に引き倒され、地面に落ちた菓子にアリが群がるように貪られている。

 流石に、拳銃の一つや二つで対処できるものじゃない。


「なんだよ、あの数……どこから来た!?」

「と、戸草さん、とにかく今は逃げましょう! 御自宅はこの近くなんですよね!?」

「あ、ああ……確かこの大通りに面してるマンションで……あれだっ!」


 辺りを見回してネットで見た画像と同じ外見のマンションを見つけると、急いでそこに向かって走り出した。

 途中、春雛さんを心配して振り返ると、群れの中から抜け出した数人の感染者がすぐ後ろにまで迫っていた。


 息を切らせながらマンションに辿り着くと、玄関口のドアを開けて春雛さんを招き入れてから、背中でドアを塞ぐ。

 すぐに背中へ衝撃が連続でやってきた。前へ吹っ飛びそうになるのを、両足を踏ん張って堪える。


「と、戸草さん!」

「どうしたぁ!?」

「あ、暗証番号は!?」

「えぇ!?」

「暗証番号がないと、ドア開かないです!」


 オートロックかよここ! いいトコに住んでんなぁ俺!?


「えーっと、えーっと…………ダメだ、番号なんて思い出せねぇ!!」

「そ、そんな、どうしたら……!?」

「何かないか、なにか…………そ、そうだ!! 春雛さん、ラムネ!」

「は、はい!?」


 病院から盗ってきた食料の中に、ラムネ菓子があったのを思い出した。それを使えば暗証番号を解くヒントになるはずだ。


「俺のバッグから、ラムネ菓子取って! あとビニール袋も!」

「た、食べるんですか戸草さん? いまですか!? ここで!?」

「いいから早く!」


 肩に掛けていたバッグを春雛さんへ放り投げて指示を出す。


「ビニール袋にラムネを入れたら、袋の上からラムネが粉になるまで噛み砕いて!」

「……で、できました!」

「粉にしたやつをボタンの上に振りかけたら、息で吹く!」

「ふーっ、ふーっ……! ……あ! こ、粉が残ってるボタンと、残ってないボタンに分かれました!」

「ラムネの粉が残ったボタンが暗証番号に使われてるボタンだ! あとは数字を適当に組み合わせて正解引いて! なるべく早めにお願い!!」


 春雛さんがポチポチやっているのを、どんどん激しくなるドアの衝撃を必死に押さえながら待ち続ける。すると……、


「……あ、開きました! 開きましたよ、やったー!!」

「先にエレベーターに乗っててくれ、すぐに俺も行く!」


 春雛さんを先にエレベーターに向かわせ、乗り込んだのを確認してからドアに体当たりをして、ドアの向こうにいるヤツらを突き飛ばす。出来るだけの時間稼ぎをしてから、全力で自動ドアへと走り出した。


 閉まりかけていたオートロックのドアを走り抜け、そのまま春雛さんが待っているエレベーターへと駆け込むと同時に、春雛さんが閉のボタンを押した。

 肩で息をしながら振り返ると、思った通り、何人かがオートロックが閉まる前にエレベーターフロアへと侵入してきていた。

 けど、ここまでは流石に距離がある。


 ヤツらを阻むように、エレベーターのドアが閉まった。タッチの差で乗り遅れたヤツらが勢いよくエレベーターのドアに衝突し、小窓から充血した真っ赤な目をこっちに向けてきた。

 エレベーターが動き出し、赤い目が下へと消えていった瞬間、二人揃って大きく息を吐きだした。


「た、助かりましたぁ……ありがとうございます、戸草さん」

「はぁ、はぁ、いや、春雛さんもよく頑張ったよ……」

「一番頑張ったのは戸草さんですよ……」

「そうかな……そうかも。はぁ、疲れた……」

「お疲れ様です」


 感染者たちから何とか逃げ切った俺達は、並んで座り込むと、お互い無事に逃げ延びた健闘を称え合い、狭いエレベーター内で一息つくことにした。

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